洋楽の邦題について

 桑田佳祐週刊文春に「ポップス歌手の耐えられない軽さ」というエッセイを連載している。傑出したソングライターだけあってエッセイも中々のものだ。最近は’邦題をナメるな’というテーマで2週連続で書いている。日本人の造語能力の高さをあげ、それがみごとに活かされた例が洋楽の邦題だと言っている。洋楽の多くは英語の歌詞なので日本人は聴いただけではどんな意味か分からない。そこで曲の内容を感じさせる日本語タイトルをつけて売り出す。桑田佳祐ビートルズピンクフロイドベンチャーズなどを取り上げて、これらの邦題のおかげで自然に 曲に親しめ夢中になれたという趣旨のことを言っている。

 

 これは洋楽だけでなく、映画や小説でも同じだ。桑田も映画の題にも触れていて’The Apartment'の邦題が「アパートの鍵貸します」ではなくて「アパート」だったら、’The Longest Day'が「史上最大の作戦」ではなく「最も長い日」だったら・・・と書いている。

 

 わたしも原題と邦題の違いにはずっと興味を持っていて桑田の議論には全く同感だ。わたしの印象では欧米の原題は作品のテーマや内容をストレートに表すシンプルなものが多いが、邦題はもっと作品の内容を想像させたり、感情に訴えて説明するものが多い気がする。例えばホセ・フェリシアーノの'Rain'は「雨」ではなく「雨のささやき」になっている。日本人には欧米の作品の原題はどちらかというとシンプルすぎて心に響かないようだ。ただし日本人にもわかる簡単な英語や人の名前のタイトルはそのままカタカナにされて使われることが多い。

’Yesterday’、’Girl'、’Sweet Caroline', 'Love Me Tonight', 'Hotel California'など沢山あり、最近はほとんどがこれで日本人が英語に慣れてきたことをあらわしているようだ。

 

 もちろん英語の原題にも説明的で情景や感情を表したものも多くあるが、これも日本人の心には響かないようで、もう少し叙情的で琴線に触れるような邦題にすることが多い。

’Tie A Yellow Ribbon Round The Old Oak Tree'は「幸せの黄色いリボン」だし、

’It Never Rains in Southern California'は「カリフォルニアの青い空」でどちらも邦題のほうがしっくりくる。

 この系統にはとても上手いタイトルが多いが、曲の内容というより歌手のイメージや歌いっぷりに影響をされてつけたのではないか思わせるものも多い。

'You Don't Have To Say You love Me'が「この胸のときめき」なのはどうかな思ってもプレスリーの歌を聴くとこれでいいかと感じてしまう。

’When Will I See You Again'が「天使のささやき」になってしまうのもスリー・ディグリーズのハーモニーのせいだという気がする。

 中でも少しぶっ飛ぶのがエンゲルベルト・フンパーディンクの曲だ。原題は ’Love Me With All Your Heart'だが邦題は「太陽は燃えている」になっている。どうすればこのタイトルがつくのか分からないが、確かにフンパーディンクの歌唱は素晴らしく、心が燃えているようだ。

 

 桑田佳祐は好きな邦題として3つあげている。

’Heart Of Gold' と「孤独の旅路」 ニール・ヤング

’Land Of Thousand Dances'と「ダンス天国」 ウィルソン・ピケット

’Both Sides, Now'と「青春の光と影」 ジョニ・ミッチェル

 

さすが桑田先生と感心するが、わたしが好きなものも2つあげたい。

'Hard To Say I'm Sorry'と「素直になれなくて」 シカゴ

'Can't Take My Eyes Off Of You' と「君の瞳に恋してる」 フランキー・ヴァリ

もちろん曲もいいんだけどね。