横浜を歌った5曲

 金曜日にインドの電力会社の幹部社員への研修を担当した。ほぼ一日のコースで中味も多岐に及んだので準備に時間がかかった上、事務所の引越しも重なり、ブログどころではない状況だったのがやっと終了し、いつもの日常に戻ってきた(少し大袈裟か)という感じだ。だから前回の続きを書く事にした。

 横浜を歌った5曲としてわたしの印象に残っているというかすぐに思い出すのは、’よこはま たそがれ’、’ブルーライトヨコハマ’、’伊勢佐木町ブルース’、’海を見ていた午後’、’恋人も濡れる街角’である。この中でわたしが好きだったのは’恋人も濡れる街角’だけで、後の曲が記憶に残っているのはとても流行っていたのと、’海を見ていた午後’は例の’山手のドルフィン’という歌詞のせいだ。

 今回YouTubeであらためてこの五曲を聞いてみた。’恋人も濡れる街角’以外はキチッと聴くのは初めてなのでとても新鮮な気がして楽しかった。
 ’よこはま たそがれ’は1971年の曲で平尾昌晃と山口洋子が作り五木ひろしが歌った。あらためて感じたのは五木ひろしはとても歌が上手いということだ。’よこはま たそがれ ホテルの小部屋’で始まる歌詞のせいで、勝手に山下公園あたりのホテルかな(昔はバンドホテルとか、シルクホテルなどがあったが今はなく、そのあとでもホテル横浜ができたが今は名前が変わっている)と思っていた。
 しかし歌詞をよく聞くとバーとかスナックらしきことが歌われているので伊勢佐木町の方の夜の世界が舞台なのかなという気がする。そうなると港近くのホテルではないのかもしれない。勝手な思い込みは良くなく、歌詞をキチッと聞くべきだと反省した。大ヒット曲の定石だろうが、この曲も出だしが素晴らしくそこで心を奪われる。

 ’ブルーライトヨコハマ’はもう少し古く1968年の曲だ。筒美京平と橋本淳のヒットメーカーのコンビが作り、いしだあゆみが歌った。この曲も出だしが素晴らしく’街の灯りがとてもきれいね、ヨコハマ、ブルーライトヨコハマ’と聞いただけで曲の世界にハマる感じがする。’よこはま たそがれ’といいこの曲といい、いわゆるプロの作詞家が作る歌詞は文句なしに上手くてほれぼれする。フォークブームやニューミュージック以降歌う人が曲も詩も作るのが多くなっているが、いわゆるシンガーソングライターやアイドル歌手の作った詩にはとても人前で発表する水準ではないものも見られる。それが手垢が付いていなくて新鮮だという見方もあるのだろうが、やはりプロの詩には凄いものがある。そして平尾昌晃や筒美京平はそうした詩を上手く活かす曲作りがうまい。歌謡曲の世界でアマチュアイズムの尊重もいいが、プロの仕事にもっと敬意を払う風潮があっても良いのではと思う。

 この曲はほかの歌手も歌っていて、去年話題となった由紀さおりとピンクマルティーニのものと徳永英明のものを聞いた。後者はいわゆる徳永節で歌われているが、あの歌い方がこの曲に合っていない気がして好きになれなかった。一方で由紀さおりとピンクマルティーニの方は何を今更と言われるかもしれないが、とても良い。トーマス・ローダデールのラテン風の編曲が新鮮で、そのリズムに由紀さおりの唄がぴったりあっている。いしだあゆみの歌も良いがこちらの方がずっとおしゃれな感じだ。このあたりのことは2012年10月の当ブログで由紀さおりとピンクマルティーニのコンサートの印象を書いたのでそちらも参考にしてください。

 ‘伊勢佐木町ブルース′は鈴木庸一作曲で川内康範作詞で青江三奈が歌った。川内康範といえば月光仮面からポルノ小説まで書いた才人である。あの悩ましい溜息から始まるこの曲は康範先生ならではといった感じだ。尤もその溜息のせいでこの曲にはキワモノ的で良くない印象を持っていたが、改めて聴くと違う印象を持った。歌詞は康範氏が職人的に書いてあまり新鮮さはないが、曲はジャズ風な雰囲気でとてもモダンだ。この曲もほかの歌手やグループが歌っていて、アップテンポのポップスにしているのもあったが違和感はなく、歌詞のしっとり感とミスマッチな感じが奇妙な良さを出していた。1968年の曲で18歳のわたしにはこの良さがよくわからなかったのだろう。どんな曲でも長く経ってから改めて聴くことの意味はあると思った。

 さて‘海を見ていた午後’である。荒井由実が1968年に作った曲だ。今回は荒井由実と、山本潤子坂崎幸之助の二人のものを聴いた。どちらもそれなりに良いがわたしの好みは後者だ。この曲は第二小節に出てくる‘山手のドルフィンは’のくだりでこのレストランを一躍有名にした。ここはわたしが大学生の時に時々行って当時はまだ珍しかったワッフルなんか食べたところだ。根岸から坂を上がったところにあるので、下に日石の根岸の製油所が見えて、今で言う工場夜景がとてもきれいだった。それがこの曲で歌われたせいで何かメジャーな感じになりとても混み、値段も高くなった。わたしも全く行っていない。親戚の家がここの隣にあり法事かなにかで会った時に、やたら混んで迷惑千万だと言っていた記憶がある。同様にわたしもこの曲に良い印象を持っていない。

 横浜の住人からするとここは山手ではなく根岸である。山手というと外人墓地とかフェリス女学院あたりのことで、ここに来るにはそこから一度坂を下りまた登る感じで、根岸の競馬場跡と言ったほうがぴったりだ。しかし八王子の呉服屋さんのお嬢様にはどうでも良いのかもしれない。彼女が山手だといえば山手なのだろう。荒井(松任谷)由実は極めて才能豊かな人だが、特にこうした穴場や見落としそうな事象を歌詞に取り入れるのが上手い。その際には上記のような些細なズレは無視してそうする効果を優先する。その才能はすごいが反面あざとい気がする。その辺が好きになれない。だからこの曲も良い曲だと思うが好きになれないのだ。ちなみにドルフィンを始めたのは山川惣治氏であの‘少年ケニア′を書いた人である。

 最後は‘恋人も濡れる街角′だ。桑田佳祐が作り中村雅俊が唄った。あらためて聴いたがやはり訴えるものがあり印象的だ。とてもセクシーというかエッチな歌詞だがそれがまた良い。もっとも′横浜じゃ今、乱れた恋が揺れる’などと歌われるとどこのことだと言いたくなるが、まあいいかといった感じだ。Youtubeには綾戸智恵のピアノ伴奏で中村雅俊が歌うのがあるがこれがご機嫌だ。なんといっても綾戸智恵がとても嬉しそうにピアノを弾いていて、変にハモったりせず伴奏に徹しているのがいい。どこかの洒落たバーで真夜中に実際起こっているようだ。いい男がエッチな歌詞を歌うのがたまらないといった雰囲気が綾戸にいっぱい溢れていて、やはりいい男の力は凄いなと感じざるを得ない。そういうのに無縁な庶民にはわからない世界だ。戦争を起こしそうな美女という表現があるが、美男も戦争を起こすのかもしれない。
 ちなみに中村雅俊は慶応の経済でわたしと同学年のはずだが、学校で見た記憶はない。もっとも向こうはそのころからスターで全く違う道を歩んでいたのだから当然かも知れない。今でもスターの中村雅俊は相変わらずカッコ良く綾戸智恵だけでなく多くの女性を引きつけている。スターで居続けるのは大変だろうが、容姿と才能に恵まれた人はつくづく凄いなあと思う。

 以上横浜を歌った5曲について印象を書いたがみんな良かったが、強いてどれかと言われたら由紀さおりとピンクマルティーニの‘ブルーライトヨコハマ’と中村雅俊綾戸智恵の‘恋人も濡れる街角’を勧める。でもやはりみんな良いからチャンスがあったら聴いてください。