70歳で初めての東野圭吾と伊岡瞬

 本屋でぶらぶらして本を探すのは大好きだ。もっとも本に限らずCDとか洋服を見て回るのも嫌いではない。コロナ禍であまり出かけなくなってぶらぶらショッピングが減り、暇なのに面白そうな本が手元にないので、息子の部屋の本棚を探してみた。(息子は独立して家にいないが部屋は残っている)村上春樹村上龍以外はわたしと全く作家の好みが違う。その中で東野圭吾と伊岡瞬の本を手に取った。東野圭吾については 何をいまさらといわれそうな大ベストセラー作家だが、わたしは読んだことがなかったのだ。映画やテレビドラマに使われることが多い作家なので、今更読むのも何となくミーハーに感じて敬遠していた。伊岡瞬については名前もよく知らなかった。

 

 手に取ったのは東野圭吾は「白夜行」で伊岡瞬は「悪寒」だ。どちらも面白かったので他の本も読んでみた。東野圭吾は「幻夜」「新参者」「危険な ビーナス」「祈りの幕が 下りる時」で伊岡瞬は「本性」「痣」「代償」だ。「幻夜」と「新参者」は息子の部屋にあったものだが他のは本屋でわたしが買った。東野圭吾の小説は息子の部屋にまだ沢山あったのだがそれらにはあまり興味を引かれなかったので自分で探して選んだ。わたしは二人の作家の本に似たような印象を持った。それは犯罪者が主人公のものが多かったからだろう。「白夜行」「幻夜」「本性」がそうで「代償」は悪人が主人公ではないがその悪さの描写は際立っていた。犯罪者が主人公のものはノワール小説という分野でわたしは特に嫌いでもないのだが、前記の本は話としては面白いのにあまり好きになれなかった。それでも「本性」は主人公の行動にペーソスがあり、小説全体が乾いた感じに仕上がっていて楽しく読めた。他の3冊は不幸な境遇で育った主人公が犯罪を重ねてゆく話で、小説としての展開には興味を引かれ最後まで読んだが後味が良くなかった。これは多分、作者が描いた主人公または登場人物の悪行とその設定がとてもリアルだったためで、好きになれないのはわたしの嗜好のせいだ。暗い話は好きではない。特に「代償」の悪人ぶりには辟易としたが、これは作者から見ると成功なのだろう。

 

 一方で東野の「新参者」と「祈りの幕が下りる時」は加賀恭一郎という刑事が主人公の小説でとても面白く読めた。勇敢で頭が良く、誠実なヒーローにはわたしはとても弱い。そのうえこの主人公はハンサムなのだ。映画では阿部寛が演じたそうだ。「危険なビーナス」もひどい悪人は出ずに、昔の殺人を暴く話で面白かった。伊岡瞬の「痣」の主人公も刑事で妻が殺され失意の中で起こった事件の解決と妻の犯人捜しを行う。主人公の真壁という刑事は前述の加賀恭一郎とは違ってタフでハードボイルドな設定だが、若い相棒で軟弱な宮下と組んで行動する様子が可笑しい。この二人は「悪寒」「本性」にも現れる。

 

 やはり食わず嫌いというのはあまり良くなく世間を狭くする。息子の本を読むのもそうしたマイナス点を補うメリットがあるようだ。もう少しこの二人の本を読んでみようと考えているし、暗くていやだなと感じた「白夜行」の映画版を見てみようかという気になった。

 それにしてもオリンピックを本当にやるのだろうか。菅首相は重要なことは明言せず、答えにくい(国民が本当に知りたい)質問には答えない。責任を追及されるのを恐れて何もまともなことを言わない。能力のない管理職のようだ。丸川五輪大臣などいてもいなくてもいい存在だ。それでいて役人などがミスをすると責任をとらせる。いつから政治家はこんな風になってしまったのだろうか。英国のジョンソン首相が国民に向かって、多くの方がコロナで亡くなったことを詫び、すべて自分の責任だと言っていた。確かにコロナ初期のジョンソンの対応はひどかったし、こうした発言も政治的効果を狙ったものと言えるかもしれないが、それでも菅首相の泳いだ目で意味のない話をするのに比べると、政治家らしい雰囲気に満ちていたと思う。

 安倍元首相は菅首相のことを立派に職責を果たしているし、後継の首相も菅氏以外にはいないなどと持ち上げていたが、どんな思惑でこんなことを言っているのだろうか。少なくとも国民のことを考えての発言ではなく、前総理としての自分の責任を曖昧にするためか、今後の自身の権力維持のためとしか思えない。安倍氏の発言が本音ではないことはみんな分かっている。こんな見え見えの嘘しかつけない政治家とは何なのだろうか。政治家に嘘はつきものだが、国民が分からないか疑わしくても本当かもしれないと思わせるレベルの嘘をつくのが力量というものだろう。最近の権力者は見え見えの嘘をつき、それを正しいとごり押しする、要するに追加で嘘をつくことを平気でやる。これでは発言全部が嘘になってしまう。せめて正しい発言とうその比率は8対2くらいにしてほしいものだ。今までに何度も書いたが本当に今年オリンピックなどやったら、日本はダメになる。太平洋戦争に突入した時と同じだ。

 

 

 

 

 

 

 

プロゴルファーのスイング改造

 松山英樹のマスターズ優勝でゴルフ人気が高まるのは嬉しいことだ。実際ゴルフ場はとても混んでいる。老人が多いのは事実だが、30-40歳代の人も増えた気がする。今日のテーマはプロゴルファーのスイング改造についてだ。アマチュアゴルファーにプロが直面する技術的な問題など分かる由もないが、改造に踏み切ろうとする気持ちを想像することは出来るのでそれを書いてみよう。松山選手は自分のスイングを信じ、その精度を高めることでマスターズを制覇したが、トップゴルファーの中にはスイング改造を通してゴルフのステージを上げようとする人がいる。日本では石川遼とか女子ゴルフの渋野日向子などがそうだし,世界のトップではR.マキロイもスイング改造中だと伝えられた。

 わたしの年齢だとスイング改造というと中嶋常幸を思い出してしまう。彼は全盛期に全英優勝を惜しくも逃した後ぐらいでスイング改造に取り組んでいた。

 

 どんな技術的な問題があって、トッププロがスイングを改造しようと思うのかはわたしのような素人には分からない。しかし興味を引くのはすでに実績のある選手がなぜそのスイングを変えようと思うのかという点と、その改造が必ずしも良い結果をもたらしていないという事実だ。成績の良くない選手や、年齢を重ね昔のような筋力や体力がなくなった選手がスイングを変えようとするのは理解できるが、強い選手が過去にスイング改造した人たちの結果を知っているのに、なんであえてリスクを冒すのだろうか。

 

 中嶋常幸は4大メジャーすべてでトップ10入りし、そのスイングは世界一美しいとまで言われた。その彼がスイング改造に取り掛かったのはメジャー優勝にあと一歩と手が掛かった後だった。彼はその時に自分に足りない何かを感じたのだろう。世界のトッププロに交じってプレ-して感じたのだと思う。その何かを得るためにはスイングを変えるしかないと考え実行した。しかし彼はその後スランプになり、長い間海外はおろか国内でも勝てなくなった。数年後に国内ツアーで何勝かしたが全盛期は過ぎていた。前のスイングのまま足りないピースを埋める練習をしたほうが良かったのではと第三者は考えてしまうが、中嶋にはそれしかなかったのかもしれず、そう考えると彼は後悔などしていないかもしれない。今ならその時のことをどう思うのか訊いてみたい気がするが、彼が信じてやったことだろうからそんな質問は意味ないのかもしれない。

 

 石川遼も米国PGAで戦い、自分に足りないものを感じてスイング改造を行った。石川は今もスイング改造途中で徐々に目指すものに近づいていると語っている。しかし今年招待で出場した米国PGAソニーオープンとホンダクラシックは予選落ちしたし、2021年の国内最初の試合、東建ホームメイトでも予選落ちだった。改造途中なので本人はそれほど悲壮感はないとの報道だったが、ガッカリなのは否めない。石川は16歳で日本ツアーで勝利し、17歳でプロになった、いわば天才だ。2012年から米国PGAツアーに参加した。21歳の時だ。5年ほどいたが最後はシード権を失い国内ツアーに復帰した。彼についてはネットなどでネガティブなコメントをよく目にするが、わたしは米国での成績は決して悪いものではなかったと思っている。何度もベスト10に入ったし、2位が二回ある。彼の後で参加した小平智は運よく1勝を挙げたが、全般的な成績としては石川のほうが上だと思っている。

 しかしこの成績は石川が目指すもの、ツアーで優勝し、メジャーで上位に行く、からは遠いものだったのだろう。おそらく飛距離を求めスイング改造に取り掛かった。しかし腰痛もあってスイング改造は完成せずにシード落ちとなった。体幹をもっと鍛えるトレーニングをし、従来のスイングの完成度を高める方向を目指したらもっといい結果になったのでは考えてしまう。しかし米国で足りないものを感じた石川が、もっと上のステージに行くためにはスイング改造しかないと考えたのだろう。

 

 同じことが女子ゴルフの渋野日向子にも言える。渋野は石川と違ってすでに2019年の全英女子ゴルフオープンに勝っている。ルーキーイヤーでの世界メジャー制覇だ。目も眩むような成功をしたのだから、そのゴルフを突き詰めればいいと思うのだが、彼女もスイング改造を決断した。翌年の全英女子に予選落ちし、その後の米国ツアーでも良い結果が得られなかったので、全英勝利は幸運で真の実力がないと考えたのだろう。しかしその後の全米女子でも優勝争いをしているからその実力は折り紙付きだとおもうのだが。彼女もやはり足りない何かを見たのだろう。極端なまでにフラットになったスイングには驚いたし、今のところ良い結果もないが本人は改造に迷いがないそうだ。一段上のステージに行くには不可欠な改造だと考えているのだろう。

 

 トッププロとしてマスターズ以外のメジャーをすでに制したR・マキロイがスイング改造をしようとした理由はデシャンボーの飛距離を見たからだそうだ。デシャンボーが昨年の全米オープンを制したのはその圧倒的な飛距離のせいだと考えたのだろう。マキロイも十分ロングヒッターなのだが、その彼でさえデシャンボーの飛距離には魅力を感じたのだろう。スイング改造中の彼は今年のマスターズには予選落ちした。

 

 こうした例を見ているとどんなに上手いプロゴルファーも自分に足りないものを見つけるとスイングを改造したくなるようだ。その足りないピースを手に入れればもっと上のステージに行けると考えるのだと思う。彼らは特別な才能に恵まれたゴルファーなので、これまでゴルフの練習や様々なトレーニングでスイングに磨きをかけてきた。おそらくっ練習と努力で何でも身につけてきたのだろう。だから自分にない重要なものを見つけると手に入れようとする。しかしその足りないピースを手にいれることで、自分が従来から持っていた何かが変化することがあるように感じる。足りないものを補ったが、持っていた利点が微妙に損なわれるといったことが起きているのではないか。従来から持っていた利点は元々のものだけに、自分では変化しても気づきにくい。だからスイング改造をしてもトータルでは何かマイナスが起きていて、結果につながらない気がする。

 

 要するに隣の芝生は青いのだ。だからそれを求めてスイングの改造を目指すが、自分の庭も良い青色なのにそれを忘れてしまう。だから改造後の芝生はそれなりには良くて綺麗だが、何か前の芝生ほどしっくりこないし、隣の芝生の色とも違う。でも石川や渋野は今の方向を変えることはないのだろう。自分に足りないものを得ることでこれまで成功してきたのだから。今のレベルになったら従来と同じように改造の成果が得られるかどうか分からないとは考えないようだ。松山が自分のスイングにストイックに磨きをかけてマスターズを制したのを見ても自分たちが信じた道を行くしかないと考えているように見える。そう思うとトッププロゴルファーは因果な商売だが、なんでも一流になるとそうなのかもしれない。ファンとしては石川や渋野の改造が上手くいって良い結果をもたらすのを祈りたい。

 

 

阪神サヨナラ勝ちだ

 昨日(4月3日)阪神がサヨナラ勝ちで中日を破った。巨人から移籍した山本泰寛がランナー1,2塁のチャンスで福からセンターオーバーのヒットを打った。初球を狙った見事なバッティングだったが、陰の立役者はその前にフライでアウトになった糸原だと思う。これまで打率4割をマークして絶好調の糸原は、この時も追い込まれてもファールを連続して打ち粘っていた。福投手はやっとのことで糸原を外野フライに仕留めたが、神経をすり減らしていたように感じた。ホッとして山本に投げた1球目が真ん中低めに行き、打たれたというわけだ。山本は2016年に慶応から巨人に入ったが十分な活躍が出来ずに阪神にトレードされた。守備の人という触れ込みだったが、それだけではないことを見せてくれた。慶応OBの阪神ファンとしてはこんなにうれしいことはない。

 

 プロ野球が始まるとやはり楽しみが増える感じだ。1950年生まれでずっぽりと野球にはまって育った世代としては、サッカーやラグビーもいいがやはり野球だ。今年の日本プロ野球はいろんな話題が満載なので特に楽しみは大きい。阪神ファンとしてはやはり佐藤輝明だ。オープン戦で打ちまくったので興味をもって見ているが、やはりプロの水は甘くなく、公式戦では三振の山を作っている。ホームランももう2本打っているところが長距離打者としての才能を示しているが、現在のところではまだ大成するかどうかは分からない。

 それでも三振かホームランかという感じでブンブン振り回しているのは中々の魅力にあふれている。大リーグから来た助っ人が、初めは日本の野球に慣れずに三振が多くても、その内打ちまくるのではと期待を持たせるが、それと同じものを感じる。日本人の新人で(ベテランでも)こんなに三振を喫しても臆せずにマン振りを続ける選手は見たことがない。今のところは内角を速い球で責められ、追い込まれると沈む球で空振りというのが続いているが、そうした配球と変化球に慣れてきたら楽しみだ。慣れないまま終わってしまう選手も多いが、佐藤はいろんなプレッシャーにも負けないメンタルがあるように思う。 ヤクルトの村上や巨人の岡本と本塁打王を争うようになってくれたらいいのだが。

 

 早稲田から楽天に入った早川投手もすでに勝利投手になった。この選手も本物かもしれない。一方で2019年と2020年の大物新人だった日本ハムの吉田輝星やロッテの佐々木朗希などは中々一軍で活躍できない。大事に育てているのかもしれないが、早川に限らず一流になった投手はみな早いうちに頭角を現している。育て方や起用法を見直すことも必要なのではないか。打者でも日ハムの清宮は伸び悩みだし、中日の根尾は一軍で使われるようになったが線が細い。二人ともこのままでは大丈夫かと心配になるが、まあ阪神の大山の例もあるので5年くらいしないと分からないのかもしれない。

 

 MLBでは大谷が好調で今年はフルに二刀流をやるようだ。日ハムにいた時も体を休めながらだったのが、移動も多くて距離も長いMLBで休みも少なくしての二刀流は心配な気がする。特別な才能があるのは明白だが、活躍しすぎると酷使されて怪我や故障をするリスクが高い。今年、来年くらい二刀流でそこそこの成績を収めたら打者に絞ったほうがいいかもしれない。そのほうが選手生命は長くなるだろうから。

 

 日本も米国も今年は最初から観客を入れてやっている。コロナ感染がまた広まっていて大変だが、今年はぜひ全試合をやりきって欲しい。オリンピックのように全世界から選手や役員が来るわけではないから出来なくはないと思う。それにしても日本の野球選手も相次いで感染している状態は第4波なのは間違いない。東京で毎日1000人を超す新規感染者が出るようになっても、オリンピックをやると言い続けるのだろうか。ワクチンの接種が今年前半に終わるからオリンピックは出来るという説明をしていたと思うが、今年中に全員接種が出来るかどうかわからないのが明らかなのに、止める可能性に言及しないのはどういう理屈なのだろうか。竹やりで戦争に勝つといい続けた日本軍幹部と同じとしか見えない。コロナの東京変異種などが世界中にばらまかれる事態は悪夢だ。

 

 

 

佐藤靖子ステップアップツアーで優勝、そして菅総理は・・・

 少し出かけて3時半ころに帰ってきてCSのスカイAを見たら女子ゴルフのステップアップツアーのプレーオフをやっていた。昼に見たときは9ホールが終わったくらいで上位のスコアは4アンダーがトップで競り合いの感じだった。佐藤靖子が前半でダブルボギーを打ち苦しい展開になっているとアナウンサーが紹介した時、それは2000年代半ばにレギュラーツアーで活躍していた佐藤靖子なのだろうかと思って見ていたが、当人のプレーを見てもマスクをしているので確信は持てなかった。すらっとした感じが似ているとは思ったがまさか下部ツアーでまだやっているのかと半信半疑だった。

 

 しかしプレーオフでアナウンサーがプロ22年での初優勝なるかなどと言っているのであの佐藤に間違いないと確信した。ただ佐藤はレギュラーツアーですでに勝利をしていたと思っていたわたしには、下部ツアーも含めて初優勝というのがちょっと意外だった。プレーオフ1ホール目で相手選手がボギーとなったのに対し、佐藤は長いバーディパットを決めて勝利を手にした。

 インタビューでプロをやめようと思ったこともあったが、続けてきてよかったと佐藤は語った。子供や周りのサポートがあるからここまでこれた、若い選手たちにママになっても選手としてやっていけることを見せていきたいと謙虚な口調で話す様は見ている側を感動させるものだった。決して雄弁ではないが自分が信じることを率直に話す姿が感動を与えるのだろう。これからはレギュラーツアーでも見ることがあるかもしれないと思うと応援を続けたい気持ちになった。

 

 それに比べ菅総理の話はなぜ面白くもなんともないのだろうか。自分の強い思いを語るというより、批判を恐れて当たり障りのないことを原稿を読みながら話すだけだからだ。強い思いがまるで伝わらない。多分ないのだろう。菅首相の関心はいかに政治的効果があるか、支持率や選挙にプラスになるかということで、そのために何かするように感じる。コロナのワクチンも、オリンピックも、携帯値下げも、二酸化炭素の削減もみんなそのための道具に見えてしまう。政治家だからポピュリズムに傾くのはある程度やむをえないが、それだけではまずいと思う。国際問題でも、国内でも難問山積で簡単に解決できないことは分かるが、総理の態度は正面から難題に取り組もうとするのではなく、難しいことは先送りにして、国民に受けそうなことを取り上げる姿勢はとても1国のリーダーとは思えない。そこには哲学や責任感が感じられず、上手く国民の目をそらして政権を維持することに汲々としているように見える。

 

 米国と中国の外交トップが話し合いをしたが、双方とも正面から自分の主張をぶつけ合っていて、その発言内容の是非はともかく迫力のあるやりあいになっていた。日本の政治家でここまで言える人材はいないと思う。もちろん日本は米中に比べれば軍事力も弱いし、国土も小さく、この2大国のような発言をするのは難しいと思う。しかし困難なことに正面から対処するのが政治家とくに総理の役目だろう。コロナが収まらず拡大していってもオリンピックはやるのか、止めるのはどういう状況の時かなど我々が知りたいことには触れず、開催するの一点張りだ。以前のブログでも書いたが太平洋戦争の時の幹部たちと何が違うのだろうか。東日本大震災から10年経っても原発をどうするのか、東京への1極集中をどうするのか真面目に議論しているようには見えない。携帯料金とこれらの問題を比べたらどちらが日本の将来にとって重要かは明らかなはずだ。この国は戦争に負けても変わらないのだろうか。暗い気持ちになるが、若い世代には物事に正面から取り組める優秀な人たちがいるはずだ。わたしはもう年寄りだが、そういう人たちがいたら何らかの方法で応援していきたいと思う。若い人たちが沢山選挙に出て、またみんなが投票してこの国を少しでも良いほうに向けて欲しいと心から願う。

 

 

 

権力者は国民の希望とは逆のことをしたがる

 東京オリンピックについてのアンケートをとると日本国民の大半(調査にもよるが7割から8割)は実施に反対している。再延期か中止を求めているのだ。日本では大都市でコロナ感染が下げ止まりだし、変異種が増えている、ワクチンの接種が遅れている状況で、海外では変異種の流行による第4波の感染が起こり、ロックダウンをしそうな都市もある、こういった諸々を考えるとオリンピック実施は新たな大流行を引き起こすリスクが高いと考えるから反対するのだ。これはまっとうな感覚で、オリンピックは楽しみだが感染拡大のリスクを取ってまでやるものではないということだ。

 

 一方で国内外のオリンピック関係者や国内の権力者たちはいまだにやるという姿勢を崩していない。菅首相などは壊れたテープレコーダーのように「コロナに打ち勝った証としてオリンピックを成功させる」と言い続けているのだが、オリンピックを強行してもコロナに打ち勝ったことにはならないし、上述のように新たな感染大爆発の恐れもあるのだ。「コロナに勝てない証としてやった」ことになったらどうするのか。

 

 なぜ関係者や権力者たちがオリンピック実施にこだわるかというと、やることが彼らにとってプラスだからだ。大半の国民にとっては.オリンピックは利害の対象ではないので、やめたところで大きなマイナスはないし、むしろ感染リスクを抑えるといったプラスのほうが大きい。だから開催か否かを客観的に判断できる。しかし大きな利害が絡む人達にとってはやめた場合のマイナスがあまりに大きく、感染リスクを抑えながらやることしか頭にない。海外からの観客を入れないとか観客数を制限するとかしても、世界中から選手や役員が多数参加するのは事実だし、観客を制限しても多くの人たちが国内を移動することは避けられない。現時点で避けるべき行動として国民に要請していることをオリンピックに関しては無視してしまうことになる。しかもその時までにワクチンが接種できている人は少数だとの見通しだ。

 

 しかしよく考えてみると国民の大半がやって欲しいという政策を権力者たちが行うことは少ない。国民の大半が支持する政策とは国民の大半にとってプラスになるものだ。しかし権力を握る人たちにとっては大したプラスにはならない。プラスの総量をみんなで分けるからだ。しかしプラスの総量が10分の1になっても、それを国民の0.1%の権力者達が得るなら彼らにとっては大きなプラスになる。こうした政策は権力者たちはとって美味しい。政府が実施することは多岐に及んでいるので、一般国民にはすべてが明確にわかるわけではなく、一部の人たちが多くの恩恵を得る政策があっても見逃してしまいがちになる。しかしオリンピックのような大イベントだと国民の関心は高い。また大イベントなだけに利害も大きいし、その配分も複雑だ。金銭的なモノだけではなく、名誉や個々人の将来のキャリアなども絡んでくるので調整はやたら複雑怪奇になるだろう。そうなると何が何でもやるといった姿勢で、関係者のプラスを守ることを示さざるを得ない。それが今の状況だと思う。

 

 緊急事態宣言を2週間延長したがその効果は上がっていない。これは当然で何も新たな、または追加的な方策を打っていないからだ。宣言による心理的な行動抑制の効果を狙ったのかもしれないが、それでは最悪の状況は脱しても、一層の改善とはいかないだろう。今のような手詰まりなら緊急事態宣言の再延長はやめにして、国民に行動自粛を続ける要請をするほうが国民も受け入れやすいと思う。同時に現状の改善がなければオリンピックの中止も視野に入れると伝えれば、国民は権力者たちが国民の声に耳を傾けたと考え、納得感も増すし支持も高まると思う。

 

 

 

 

もう3月、普通に生きてるけど・・・

 あっという間に3月になった。時間がたつのは本当に早い。年寄りには時間の経過は残る時間が減ったことを意味する。これは若くても年寄りでも変わらぬ真実なのだが、残る時間を意識するのは先の短い年寄りだ。こう考えていては身も蓋もないので少しポジティブにとらえて「今日が人生で一番若い日」と言い換えるようにする。こうすると確かに少し前向きになれる気がする。実態は変わらないが、ちょっと頑張ろうなんて気がおきる。

 

 最近の株価の動きには神経質にならざるを得ない。2月16日は30,700円を超えたが、26日には前日から1000円以上下げて29,000円割れとなった。今日の11時時点では29,400円前後だ。株をやっている人の大半は今の株価は上がりすぎでどこかで大きく下落すると考えている。問題はそれがいつ起きて、どのくらいの規模かということだ。26日の下落はまだ単なる調整と考えられているので、次の節目はやはりもう一度30,000円台に乗ってからだろう。30,700円は既に達成しているので、31,000円くらいまで行かないと本当の調整というか下落は起きないだろうと思う。だから今はまだ買いのポジションだ。もっとも去年結構の損切をした上に、まだ売るに売れない株を持っているので資金に凄く余裕があるわけではない。それでも今を逃すとチャンスはそうそうないようなので、それなりの勝負をしないといけないと思う。もう一段の上昇を期待するのみだが、まあ結論を言うと楽して金は稼げないということだ。 

 

 12月にマーティンのギターのペグが壊れたが、不要不急の外出自粛を守って2ヶ月近く直さず代わりのギターを弾いていたことをこのブログでも書いた。早く直したいとの思いが強くなって、2月半ばに車で御茶ノ水まで行きペグの交換をした。行くのも簡単だったし、交換もすぐにやってもらえたので、政府の要請を守り2ヶ月も行かなかったことが愚かしく感じた。不急だが、不要ではないことは臨機応変に行動すべきだと思う。次はこのギターにマグネットのピックアップを付ける加工をしようかと考えている。今もマグネットのピックアップを付けているのだが、サウンドホールにかませたピックアップからコードがだらしなく出ているので見栄えが良くないのだ。ギターの後ろのエンドピンを少し広げるとそこからコードをアンプに繋げるこが出来てかっこが良くなる。何軒かの楽器屋に電話したら、コロナ禍での巣ごもりで楽器を弾く人が増えているらしく修理に2-3週間かかるといわれて驚いた。せっかく使えるようになったのに、また長い間預けるのは気が進まないので思案しているところだ。

 

 ゴルフは1月には4回も行ったが、2月は1回だけだった。その代わり練習には普段以上に行った。西武が経営している杉田練習場が近いのでそこの会員になっている。とても広くて200打席ほどあって200ヤード以上打てる。100ヤード以内のアプローチが出来る9ホールのコースもあるし、バンカーとパターの練習場もある。隣には屋外と室内のテニスコートもあって至れり尽くせりなのだが、ここが3月末で営業をやめる。広大な土地なので何に使われるのかと思っていたら、アマゾンの物流基地になるという噂だ。確かにゴルフ人口が減るばかりのところに、コロナで追い打ちをかけられた感じで採算も悪そうだから妥当な決断なのかもしれないが、何十年も通っていた客としては残念な気持ちだ。 それにしてもアマゾンの勢いは凄いものだ。

 練習で頑張ったからか、アイアンの捕まりが良くなって希望の灯が見えたと思ったら、腰痛がひどくなった。12月と1月に酷い背筋痛を被ったので気を付けていたのだが、また同じようなことが起きてしまった。学習しないというか、年を考えないというか困ったものだ。それでも今回は寝込むほどではないので、少し大事にすれば治りそうなのが救いだ。せめてゴルフが出来るうちに70台のスコアか、ホールインワンをやりたいと思っているのだが、神様がいたずら心を出してくれるのを祈るだけになってきた。

 

 菅首相は批判にも少し我慢して丁寧な説明をするようになっては来たが、やはり総理にはちょっとという感じだ。安倍前首相もいろいろと怪しい事柄にかかわっていて、納得がいく説明をしないまま首相の座を去ったが、彼は国内で困った時には外交でやってる感を出して首相の地位を守ってきた。トランプ前米国大統領とも馬が合ったようだし、G7などでもそれなりの存在感を示してきた。欧米のトップと並んでも見た目で劣るという感じがなかった。これは1国のトップとしては大切な要素だ。菅首相は外交で国民の目を紛らわすということが出来そうもない。いかにもドメスティック感が強くて、欧米のトップから一目置かれそうにはないし、プーチン習近平のような危険な野心を持った権力者に太刀打ちできるとはとても思えない。国内で窮地に陥った時に逃げ場がない感じだ。

 

 日本の新聞やテレビの記者とのやり取りでも、目は泳いでいるし、少し突っ込まれると冷静さを失ってしまう。実務家としては出来る人なのだろうが、1国を引っ張ってゆく人物ではないように思える。適した場所にいれば良い仕事が出来そうなだけに、総理にならなければ良かったのにと思ってしまう。最近の言動を見ていると小池東京都知事のほうがよほど大物感がある。もっとも小池氏が総理になるのはもっと怖い気がする。彼女は自分の野心のためには平気で国益を損なう決断をしそうだからだ。

 

 コロナ禍でのオリンピックをどうするのか、尖閣をわがものにしようとする中国にどう対処するのか、決して簡単には答えの出ない、もしくは正解が分からないことが目の前にある。経済の立て直しや膨大な財政赤字など他にも答えのない事柄は山積みだ。こんな時には誰が総理でも上手く物事をきれいに処理できるはずはないのだが、だからといって誰が総理でもいいはずがない。日本は高度成長を終え国力が下りに差し掛かっているのは事実だが、同じ衰えるのでも上手く衰えたい。どこかの国に蹂躙されることなく、国民がそれなりの誇りをもって生きていけるならいい。そうしたビジョンを示しながら国民を導こうとするリーダーがいればいいのだが。ビジョンの通り行くかどうかなど分からないし、どこかの強権国家に屈するかもしれないけれども、国民としての誇りを保ち続けられる人がトップにいてくれれば希望はなくならない。今の政治家たちの中にそうした気概を持った人はいるのだろうか。持っていない人を見つけるのは簡単なのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

    

バッシングの終わらせ方

 バッシングはなぜ起こるのだろう。バッシングは恥ずべき行為だが、バッシングをする人の根底にはある種の正義感があるようだ。これが問題をややこしくしている。多くの場合バッシングをされる人の方にも何かの問題、それは言動が多くの人の考え方からすると多少または大幅にずれているといったことだが、があるので、バッシングされても仕方ない、またはバッシングしてもよい、という感覚がする側にある。自分が考える常識とか規範から外れた言動をしていても当人がそれに無頓着な場合や、その人が社会的な成功を収めている場合、おかしいではないか、何か言ってやらなくてはというのが出発点にあるような気がする。法律を犯して金を稼いだり、非倫理的な方法で会社を拡大させている人たちがバッシングを受けても当然だし、こういう人たちは法律で取り締まられる(そうでない場合もあるが)ので、ここで問題にするのはそうではないケースだ。

 

 バッシングは正義感がベースにあるといったが、その他に嫉妬や差別が絡んでいるケースが多いので感情的になりやすい。こうした感情が絡んでいるからこそバッシングをしてしまうのかもしれない。腹が立ったとしても「そんな奴もいるかもしれないな」とやり過ごせばいいのに、バッシングにまで行ってしまうのは正義感だけではない感情が入っているからだろう。特に同調する人が増えてくると根本の問題は何かがよく分からなくなるし、そこで飛び交う情報の真偽も怪しいものが増えてくる。バッシングが拡大する背景にはインターネットの普及や格差社会の広がりがあるからだと思う。匿名で意見を言えるし、誰かを非難することで日ごろのうっ憤を吐き出すことが出来る。それに加えてマスコミ、週刊誌やテレビのワイドショーなどが取り上げて人々の怒りを増幅させる。テレビのワイドショーなどは表面上は中立を装っているが、根底は視聴者の関心を引く、要は視聴率が上がればよい、といったスタンスだから、根拠のないバッシングはやめようといいつつ、問題が過熱することを黙認するし期待もしているように見える。こうなるとバッシングは簡単には終わらない。

 

 バッシングが終息するにはみんながその話題に飽きてくるか、他のことに関心が移るかしないと難しい。問題はそこに行く過程で色んな事が起こるリスクがあることだ。した側がされた側に何かの行動を起こしたり、された側がショックを受けたり悲観したりして思わぬ行動に出てしまうとかだ。こうなる前に、言い換えれば自然に終息する前に、何かの手を打ってバッシングを終わらせる方法を考え出す必要があると思う。むろん学者や評論家が言いそうなこと、もう少し心に余裕をもって言動や容姿(外国人を含め)が異なる人に対して寛容になることなどは大切だが、現実の問題はそこまで待っていられないということなのだ。わたしはメディアの役割はそこにあるような気がする。具体例を取り上げて終わらせる方法や情報を流して過度なバッシングには歯止めをかけるべきだと思う。

 

 こんなことを書いたのは、秋篠宮家の眞子さまの結婚相手の小室圭氏へのバッシングが相変わらずだからだ。小室さん母子の過去の言動については色々と報道されてきたし、それを元に想像してしまう結婚後のリスクや不安はわたしも理解できないわけではない。そのことは12月10日の当ブログでも取り上げたが、同時にこの結婚を認めると表明された秋篠宮さまの気持ちもわかるし、子を持つ親として支持すると書いた。 ここまで長い間様々な報道がされ、それを元にしたバッシングが続いてきたが、ご両人の結婚に対する強い思いは変わっていない。これは重要なことだと思う。

 

 バッシングをする人たちの中には小室氏はこの結婚で社会的にも金銭的にも大きなものを得るのだから気持ちが変わるわけはないし、眞子さまは冷静に判断できない状態なのだなどと主張する。こうした状況でも小室氏は海外の法科大学院で勉強を続け成果を上げているのは凄いことだし、眞子さまも強い意志で結婚を待っている。小室氏の過去のことよりこれからの母子の言動のほうが重要なのだからそれに注意して、二人の今後を見守る時なのではないかと思う。小室氏が結婚をあきらめ、一介の市民としてまたは法律家として生きてゆくなどと宣言すれば、バッシングをする人の留飲は下がるのかもしれないが、眞子さまの気持ちを無視した態度としか言えない。もう十分だろう。週刊誌やテレビのワイドショーはこうした視点からこの問題を報道したほうが良いのではないか。当人たちの意志と希望を理解し、今後を見守るのも国民の役目だと伝えるべきだと思う。