プーチンを非難するだけで良いのか

 プーチンウクライナ侵攻は明らかに愚行だが、ロシアそしてプーチンを取り巻く現状を打破するために行ったという観点から見ると、単に非難すれば良いと いうものではないように思える。難題が山積し、その解決が出来ない状況はロシアだけではないからだ。米国も日本もEU諸国も同じような状況にあるが有効な手を打てていない。解決のために武力を使わないという点では理知的だが、トランプ前米国大統領のようにプーチンの今回の行為を天才的だと評する指導者もいるから大差はないのかもしれない。

 世界の多くを覆っているのは温暖化による自然災害の頻発と激化と、貧富の差の拡大による社会の分断、経済活動の停滞という資本主義経済の限界だ。そして資本主義ではない国の経済は一層低迷している。そんな状況下で自由主義陣営と強権国家の対立が起こっている。強権国家は地球共通の問題に対する対処より自国の問題の解決を優先する。今回ロシアは問題解決のために最も過激で自分本位の手段を選択し、核使用も辞さない姿勢さえ見せて恫喝しているのだ。

 

 これは何としても止めさせなくてはならないので、日本が自由主義陣営の一員として強力な非武力的手段をとるのは当然だが、それだけでは日本は現在の苦境から脱出はできないと思う。世界が様々な面で変化したために起こっている諸問題に向き合おうとしていないからだ。日本では産業構造の転換が進まず経済が停滞し、経済を支える中産階級が疲弊し、政府の無責任な経済・福祉政策の結果、膨大な財政赤字を抱えている。中国、ロシアなどとは領土問題でもめている中で軍事的な威嚇を受けている。世界的な変化の下で、従来の政治・経済のシステムが有効に機能しなくなっているのは明白なのにそれを議論せずに、目の前の出来事への対処に汲々としている。目の前の問題への対処は大切だが、そのもとになっている本質的な問題を解決しようとしなくては事態の悪化は防げない。

 将来中国がロシアのような行動をとった時はどうするのか、ロシアが北方四島を返すことを期待できるのか、こうした問題になると野党もマスコミも思考停止のような状態になり、現実的な分析ではなく、非現実的な理想に依拠した願望に基づいた議論にしがみつく。一方で保守派はそうした非現実派を糾弾しながらこれも必要以上に強硬になる。柔軟で現実的な思考での議論がほとんどなされないのだ。これからを担う若い人への教育制度の改革も進まず、日本の若者は国際性のなさで世界から取り残されそうになっている。どうしたらこの国を維持し発展させてゆけるのか政治家は国民が納得できる案を議論し、提示する義務があると思う。与野党ともにコロナ禍でのポピュリズムからくる無思慮な経済補助や、石油製品への価格補助などの小手先の政策へは熱心に議論するが、この国の将来の安全と発展に関する骨太な議論はしない。

 

 今こそそんな議論をする時だと思うのだが、参院選を前にしてそれでは票が取れないと思っているのだろうか。こうした議論が最も大切だと国民を納得させるのも政治家の仕事のはずだ。国家とは何によって作られ維持されるのか。多民族なのか、単一民族なのか、そもそも民族は何で規定されるのか、それとも地理的要因がより重要なのか、国民に対して話すべきことは多い。こうしたことが明確になってこそ国をどう守るのかについて、足が地に着いた議論が出来るはずだ。ロシアや中国のいいなりにならないためにも政治家にこうした点への意見表明を要求する。また参院選にはこうした気持ちで一票を投じようと思う。