世界の覇権争いと集団的自衛権

 習近平国家主席オバマ大統領が会談しているのを見ると、つくづく世界はこの二国が覇権を得ようと争っているのだなと感じる。米国はソヴィエト連邦崩壊後世界の一強となった感じがあり、西側諸国の大半が米国の戦略を支持してきたが、9.11事件があったりイスラムやアフリカでは思い通りにはいかずに有効な手を打てないことがある。それでも現時点では圧倒的な覇権を持ち、政治、経済、文化等の多くの面で世界の国々に強い影響力を保持している。経済的、軍事的拡大をバックに中国がこの状況を崩そうとしているが、両者の間にはまだ力の差が歴然で中々簡単にはいかない。しかし中国が自国の権益拡大と防衛のために米国支配の構造に挑戦していること、今後も挑戦し続けることは間違いない。ロシアも西側諸国には簡単に屈しない姿勢を見せているが、原油安による経済的苦境が中々抜け出せないのが辛いところだ。

 中国の様々な動きの中で米国、日本、東南アジア諸国が注目をしているのは南シナ海東シナ海におけるシーレーン確保の活動だ。この地域では自国のエネルギー等の輸送ルートを確保するために、強大な軍事力を背景に人工島を作ったり、領海侵犯を繰り返して既成事実を作ろうとしている。中国はここの統制権を確立しないと中東から原油等を輸入する際の調達ルートを米国に握られ、エネルギー確保が危うくなると考えているのだろう。しかし中国がここを支配すれば今度は日本の原油確保の成否を中国に握られることになるし、米国のアジアにおける力が激しく弱まる。中国がこうした行動を取る背景には清の時代にイギリスやフランスに蹂躙されたことや、その後ロシアと日本に満州を制圧されたことの教訓があるのだと思う。しかしよく言われるように軍事力を背景にした現状の変更は日本を含む東アジアの国々や米国からは受け入れられるものではない。


 一方で日本では集団的自衛権を含む「平和安全法制整備法」が成立したが、その過程では反対のデモが各地で行われた。デモ参加者の多くが言う’子供を戦場に送りたくない’のはどの親も共通に持つ気持ちで理解できるが、上述した米国支配の構図に中国が挑んでいる状況で、こうした情緒的な基準だけに依存した判断で日本の安全を守れる選択が出来るのかはもう少し冷静に議論すべきだろう。米中に挟まれ、ロシアとも領土問題を抱える日本がとるべき基本的な姿勢とは何かを明確にしてから「平和安全整備法」の問題を議論すべきだと思うのだが、デモ参加者がそこをどう考えているのかがどうも分からない。米中の二大国の間にいる日本が取りうる基本姿勢には以下の三つの選択肢があると思う。

1.米国との同盟関係を維持する
2.中国と同盟関係を結び米国とは距離を置く
3.米中とも距離を置き独自の道を歩む

 おそらく国民の大半は1を選択するのだと思う。もちろん自民党の戦略もこれをベースにしている。また集団的自衛権反対のデモに参加した人たちはどうなのだろうか?意見を聞いてみたい気がする。中には2や3が良いと考える人もいるとは思うが、やはり多くは1なのではと思う。もちろん元伊藤忠社長で元中国大使の丹羽宇一郎氏のように「日本は中国に属国になるのが国民の安全と幸福につながる」という人もいるから断言はできない。鳩山元総理も同じ事を言うかも知れない。
 
 しかし2の選択は共産主義社会というか独裁国家を受け入れることであり、自由を謳歌している現在の日本人が受け入れられるものではないと思う。また3の選択も大きな困難を伴う。これを選択して自国の防衛も行うとすると相当の軍事力強化が必要だろう。核保有は選択肢にないのだからそれ以外の兵器を増強し、兵士を今以上に訓練することが大切になると思う。それには今とは比較にならないくらいの膨大な予算が必要なのは明らかだ。今の日本にそれが出来るだろうか。

 そうするとやはり1が現実的な選択肢だ。これを確認してやっと個別的自衛権が良いのか集団的自演権が良いのかの議論になる。ここでの判断基準は ’どちらが戦争に巻き込まれるリスクが小さいか’と ’いざという時に米国は本当に助けてくれるのか’という点だろう。

 一番目の問いについては、どちらが国家の行動を抑制するだろうかということだ。宮崎哲弥氏は今週の週刊文春で「集団的自衛権の方が、同盟関係、国家間の協調関係を旨とするため、結果としての単独の国家の行動は抑制される可能性は高い」と書いている。政治学者や政治家にも同じ考えをするする人は多い。今回の法改正の背景には現在PKOのスキームで自衛隊を戦闘地域に派遣していることに対しての解釈の無理があると思う。個別自衛権の問題はこうした解釈上の拡大を続けることが起きやすく、歯止めがきかないリスクがある。自衛隊員は交戦の規定が明確でないまま戦闘地域に送られているのだ。こうした状況で彼らは明らかに高い死のリスクに直面している。子供を戦場に送らないと声高に主張する人たちは自衛隊員が法律の不備のために無駄死にすることがおかしいとは感じないのだろうか。彼らは職業上こうしたリスクを有しているのは事実だが、戦闘において明らかに不利になることを放置しておいていいはずはない。

 話を国家の防衛に戻すと、例えば尖閣や日本領海内で戦闘状態が起こったときに冷静に対処できる政治家や自衛隊幹部がどれだけいるのだろうか。今の日本の指導層に戦争経験がある人はいない。また軍事力も中国が圧倒しているように見える。そんな状況で政治家たちがパニックに陥った時どんな行動を取るのかきわめて不明だ。ましてマスコミが冷静な態度で何か意味ある提言をするとは全く考えられない。もし日本の指導層に冷静さをもたらすものがあるとすれば米国をはじめとする同盟国の意見ではないだろうか。

 また第二の問いである米国は有事の際に本当に日本を助けてくれるのかも上記と密接に絡んでくる。この問いの答えは知る由もないが’イエス’でもあり’ノー’でもあると思う。米国が日本に軍隊をおいているのはあくまでも彼らの防衛戦略上の結果であり、日本を守るためではない。しかし多くの場合彼らの防衛戦略を実施しようとすると日本を守らざるを得ない。この日本を守るという程度において集団的自衛権と個別的自衛権に差があるとは思えないが、米国をはじめとする同盟諸国との関係を密にしていたほうがオペレーションがスムーズに行くように思う。こう考えると集団的自衛権が戦争のリスクが高く良くないとは単純には言えず現実的には妥当な選択肢だと思う。

 では個別的自衛権の選択はないのかというと必ずしもそうではない。その理由のひとつは安部総理が集団的自衛権の必要性を説明していた時の事例のほとんどは(すべてを覚えていないのでこう言っているのだが)個別自衛権の問題だと感じたからだ。総理が挙げたような事例が起こっても個別的自衛権で対応できるのではないか。問題は個別的自衛権で可能な行動と範囲が明確になっていないことだ。また自衛隊の海外活動の範囲や交戦の規定についても個別的自衛権の下で明確に定めるべきだ。

 ただもう一つ重要な条件がある。個別的自衛権を明確に定義した後で、やらなくてはならないのは軍備をもっと増強し、かつ自衛隊員の戦闘能力を高めることだ。これをやってこそ個別的自衛権を維持する意味がある。このためには米国と一層の協同が必要だろう。極めて強い兵器と軍人を持つメリットは政治家や自衛隊幹部が有事の際にもパニックに陥り冷静さを欠くリスクが小さくなることだ。これは国民が自国の防衛の重要な点を米国任せにして、平和主義の美名で思考停止になることを防ぐという点でも優れている。また中国の挑発的行為に歯止めをかけることも期待できる。問題は金が掛かることだ。国民が今より多くの金を払ってでも自国の安全を高め、戦争に巻き込まれるリスクを抑えるという判断が出来るかにかかっている。

 こうした議論を集団的自衛権反対のでもに参加した人たちと、いや政治家たちとも行うべきではないのだろうか。