Playboy誌を読む(2)

 前回に続き、サンフランシスコで買ったプレイボーイ誌の内容について書く。今回はティム・シュルツと言う人が書いた'Outlaw Economists'という記事だ。'異端の経済学者達'とでも訳すのだろうか。この記事は彼が、米国経済連合(American Economic Association)の年次総会に行って感じたことのレポートだ。

 筆者は会議に出る前に、次のような議論がなされるだろうとの予想をしていた。つまりこれまで主流だった経済学者への反対派が勢いを持ち、現在の経済理論や政策への疑問が出され、新しい方向性についての議論がなされるだろうと考えていた。そしてこれまで異端とされた経済学者達の存在感が増しているだろうと期待したのだ。

 というのは経済バブルの危険を主張し、リーマンショックのようなバブル崩壊を予測していたのは、異端と言われる経済学者だったからだ。経済学の分野で主流の新古典派の学者たちは、バブル経済をもたらしたとされ、金融界が詐欺まがいの商品を販売することを奨励したと異端派からは批判されている。
 主流派は経済現象を複雑な数式モデルで解明しようとするが、異端派はそのやり方が現実に適していないことは歴史が証明していると主張する。人は合理的な選択をし、市場は自動的に効率的な状況に至るという主流派の前提は、現実の人間行動にはそぐわず、従ってその理論も不適切だというのが異端派の意見だ。主流派が規制撤廃(deregulation)を主張するのに対し、異端派は政府のコントロールの必要性を主張する。

 
 会場となったデンバーのホテルでは多くの分科会(panel)が開かれており、そこでは主流派と異端派の議論がなされると期待していた。しかし実際はそれぞれの分科会には、それぞれの立場の学者たちが出席するだけで、立場を超えた議論などはなかった。主流派の分科会は多数の出席者であふれていたが、異端派の方は出席者もまばらで閑散としていたそうだ。新古典派の学者たちはバブルを招き、破裂させたことへの一定のやましさは持っていたようだが、真剣に反省しているようには感じられなかったとの印象を筆者は持った。

 主流派の学者たちは、バブルの到来と崩壊を予測した異端派の学者を、どちらかといえばジャーナリストで学問的な厳密さに欠けると批判した。 彼等は自分たちの学問的な正当性に全く疑いを持っていないようで、アイビーリーガー特有の明るさと闊達さを保持し、高級なスーツに身を包みパーティを楽しんでいたそうだ。筆者はその屈託のなさに違和感を覚えたようだ。

 非主流派は学会で数パーセントを占める少数派で、学会でも大学でも冷遇されているという。理論的にはハイマン・ミンスキーの流れをくみ、リーダー的存在としてはジョン・ガルブレイスの子供であるジム・ガルブレイスがいるそうだ。わたしにはミンスキーの理論は良く分からないが、こうした学問的対決は経済現象をとらえる立ち位置の違いを反映しているようで、私たちが学生時代に存在した近代経済学者とマルクス経済学者(なんて懐かしい言葉だろう)の対決を思い出させる。
 
 私にとって印象的なのはプレイボーイ誌の記事の質の高さだ。日本のオヤジ向け週刊誌とは、グラビアの美しさだけではなく、記事の内容も違うようだ。また日本には30才台から40才代の人達が読む、質の高い雑誌がないような気がする。’今はインターネットの時代だから’といってすまされる問題ではないような気がした。