ロールモデルの必要性

 ロールモデル(Role Model)という言葉がある。’目標とすべき人’とか’お手本’とかいう意味だ。’あんな人になりたい’とか’あんな生き方をしたい’と思わせる人のことだ。ある分野で成功した人がいると、その人がロールモデルになり、その分野で彼/彼女のようになりたいという人達が増えることになる。

 スポーツの世界を見るとこれが分かりやすい。はっきりとしたロールモデルがいる分野では優秀な選手が育ってくる。あの人のようになりたいという具体的な目標があり、そうなれば違う人生が送れることが理解でき、、強烈なモチベーションになるからだ。

 今年のプロ野球では新人選手が活躍している。大谷(ハム)、菅野(巨)、則本(楽) 、小川(ヤ)、藤波(神)等々でまだ他にもいる。このような有望選手が数多く出てくるのは野球のすそ野が広いからだろう。何故すそ野が広いかと言えば、ロールモデルとなる選手が昔からずっといて、子供達の憧れになっているからだ。今なら大リーグのイチローダルビッシュ、黒田、岩隈などで、日本では田中(楽)、前田(広)、中田(ハム)等々だろう。頑張って彼等のようになれば、高給やきれいな女性、名声、有名人などを手にしたり、知り合ったり出来るのだ。もちろんスターにはスターの大変さや苦労があるのだが、下から仰ぎ見る人達はそんなことは頭に入らない。

 サッカーが人気を持つようになり、良い選手が増えたのも三浦和、中田、中村俊輔などが活躍してロールモデルになったからだ。今それは本田、香川、長友達に受け継がれている。男子体操であらわれたニューヒーローの白井選手も内村航平のような先輩を目標にして練習してきたのだろう。

 ロールモデルは国内にいるというわけではなく外国にいる場合もある。ゴルフの石川遼松山英樹は間違いなくタイガー・ウッズに憧れてやってきたのだ。タイガーのようになりたいと言ってゴルフを選択した若者は世界中に沢山いるはずだ。

 ロールモデルはスポーツだけではなくビジネスの世界にもいる。ビル・ゲイツスティーブ・ジョブズに憧れてITビジネスを立ち上げた人は多い。それほど大げさではなくても、各企業にロールモデルはいる。若手社員が’あの人のようになりたい’と思い、その行動や思考を参考にする対象だ。優れた企業のロールモデルはやはり人物がすぐれ識見に富む人が多く、企業の質はロールモデルとなる人の質と密接な関係があると言えるだろう。

 こう考えてから日本の政治の世界を見てみるとロールモデルになりそうな人はいない。最近の人気や支持率からは小泉純一郎と現在の安倍晋三にその可能性を見ることが出来るが、やはりロールモデルになるとは思えない。だから良い政治家が出てこないといえるのだろう。

 小泉純一郎の人気の高さは、自らを抵抗勢力と戦う改革者としてイメージを国民に上手く売りこんだことによる。もちろん彼の見た目や演説の上手さは人気の重要な要素だった。しかし彼は改革者というより、従来の自民党主流派への対立者であった。ずっと党内で孤立していた小泉は主流派からは距離を置き(師匠の福田赳夫田中角栄に総裁選で負けたことがその発端という説もある)、その利権とも無縁だった。彼の自民党をぶっ壊すとは主流派と叩きその利権を取り去るという仕返しに近いものだったというのが本当のところだろう。

 従って彼の行動は国家的見地に立つというより、私的な怨念に彩られていたようだ。そんな彼が行った改革が上手く行くはずがないのだ。小泉に政治的な基本姿勢があるとすれば、対米従属だけだったと思う。政治哲学も政策実施の方法論もないのだから、郵政改革も単に従来の組織を壊しただけでその後の具体的プランがなかった。何故これをやると言ったかを考えると、主流派の利権構造の解体と、郵貯の預金へ米国(金融機関)が手を伸ばす環境を作るためだったとしか言えない。だから郵政グループはずっと混乱し続けている。

 いかに人気があったとはいえ、その結果がこうではロールモデルにはなりえないだろう。いかに大衆の支持と人気を得るかという点では小泉はロールモデルたりえたのかもしれないが、その成功は過度のポピュリズムとの引き換えだったのだ。政治を志す人なら、また今政界にいてそんな様子を見た人なら、彼を目指そうとは思わないのが普通だろう。今彼をロールモデルとして活動しているのは小泉進次郎だけに思える。

 安倍晋三首相は前回の政権時の失敗から学んでこれまでは上手く政権運営をしているようだ。支持率もこの数年の内閣にはなかったほど高い。これは経済再生に焦点を当てていることが大きい。実際株価はこの10年見なかったほどに回復をしている。アベノミクス批判も多いが、株価が曲がりなりにも上がっていることを過小評価は出来ないはずだ。つまり彼の支持率の高さはやるべきことに焦点を当てて実行したという、戦略の成功によると言えると思う。

 安倍氏は自民の安定政権を作った後は憲法改正を目指し、真の独立国家としての'美しい日本'を作ることを目指しているらしい。わたしは憲法改正は重要な問題で一度きちっと議論すべきだと考えているので安倍氏の目指す方向に反対しているわけではない。少なくとも現憲法の文言の妥当性の検証もせずに、現憲法を守り抜こうなどと発言する野党の党首よりはるかにまともだと思う。

 しかし、安倍氏憲法改正後の日本をどうしたいのかが見えてこない。川端康成ノーベル賞受賞記念講演のような'美しい日本'を掲げても、まるで抽象的だ。具体的に政治、経済、外交の基本案が示されないと、兵力だけが増強された右寄りの国になってしまう様な危惧を覚える。特にこの国は新聞に代表されるマスコミが全く頼りにならず、平時には権力に批判的な姿勢を取っていても、緊急時に脅されたらすぐ腰砕けになるのが明白だから、政治家自らが仕組みとして権力の暴走に歯止めがかけられる(仕組みがあっても実際にはどれほど有効かは分からないが)物を用意できるか、そしてリーダーがそれを支える政治哲学なり、基本精神を国民に語れるのかいうことが非常に重要だと思う。しかし現状ではそれはとても期待できない。要するに安倍氏には自分で考え抜いた政治哲学があるようには思えないのだ。

 安倍氏の一見毅然とした外交姿勢などは、思慮の浅い人達には受けるかもしれないが、長期にこの国に安定をもたらすのかは分からない。中国の帝国主義的な行動や韓国のヒステリックな被害者意識にも辟易だが、日本はやはり一度自らの戦争責任について冷静に考え、評価し直すことをしないと先に進めないような気がする。安倍氏にはその辺をやる勇気、柔軟性、覚悟があるのだろうか。もしそれが出来たら安倍氏ロールモデルになりうると思うが、今のままではあまり期待が出来ないように感じる。そしてそうならば日本の政治の未来にも期待が出来ないことになってしまう。

 小泉、安倍両氏が政治家としてロールモデルになれないのなら、他に期待できる政治家など日本にはいないだろう。いるのは反面教師として優れた人達だけだ。では政治にはロールモデルはいないのかと言うと、米国のオバマ大統領ならロールモデルになりそうに感じる。保守派からの批判はあるが、リベラルで黒人の大統領は、人間としても魅力的だし、自らの信念に基づいて弱者を救済する政策を実行しようとする姿勢も評価できる。自由競争の名のもとに極端な経済格差が出来てしまう米国社会で、弱者の権利を守ろうとして基本的な社会保障制度を導入しようとする行動力、信念は今の日本の政治家には中々見ることが出来ないものだ。

 しかし日本で政治を志す人達や若い政治家たちが外国の政治家をロールモデルにするのは少し違和感を感じる。スポーツなら問題ない。しかし政治家の役割は国民が安全で平和な生活をおくることが出来るようにすることだから、やはり日本の政治家にロールモデルになる人がいて欲しいのだ。オバマの政治姿勢や哲学を学べばよいのだから、米国人でもお手本になりうるという意見もあるだろうが、そうだとしてもオバマは米国の利益を代表していて、その政策は必ずしもと言うか往々に日本の利益とは一致していない。日本の政策の基礎となる哲学や信念を持った政治家がロールモデルにはふさわしい。

 日本人の政治家でロールモデルになれるのはどんな人なのだろうか?そもそも政治家でロールモデルになるのはとても難しいことだと思う。スポーツなら勝つなり、記録を出すなりすれば評価されるが、政治家はその仕事を評価するのが難しい。後になって初めて良いか悪いかの評価ができるということが普通だからだ。また10年、20年たって判断出来る事柄も少なくない。それ故に無能な政治家でも、見栄えや弁舌で人気や高評価を得ることが出来てしまう。

 だから一つは有権者の方の問題になる。目の前のことに一喜一憂するだけではなく(これも中々重要だが)、その人物の哲学や基本的な政治姿勢、中長期のビジョン等を見て評価することが必要だろう。
 同じことが政治家にも言える。短期の政策だけではなく、哲学やビジョン、中長期の政策をどれだけ分かりやすく伝えられるかに力をそそいで欲しい。乱暴に言うなら短期の結果は二の次で、日本の将来を考え訴える勇気を持つべきだと思う。そうでなければ年金問題や、公務員改革などにとりくめるはずがないからだ。若い人達が憧れるような政治家が出てくれることを願っている。今度の参院選でその兆しを見ることがあるだろうか?