戦術家でいいのか;菅首相

 菅首相の評価、人気が下がってきたようだ。苦労人、庶民派として好感を持たれて政権をスタートしたが、本当に庶民の味方なのか、リーダーとして相応しいのかといった疑問が出てきている。自らの政策への批判を強気に抑え込もうという姿勢から度量の狭さや柔軟性の欠如を感じる人が多いようだ。国民を引き付ける人間的魅力、国を引っ張るための先を読んだしたたかな思考が感じられない。

 菅氏は抽象的な議論や理念や哲学を語ることを好まないという。確たる理念や哲学を持っているがそれを話さないのではなく、興味がないかもともと持っていないようだ。一方で細かな政策の実施には強いこだわりがあるようだ。デジタル化の推進、携帯料金の引き下げ、GoToキャンペーンの実施などである。これらが間違ったことだとは思わないが、これを行って何を得るのか、どんな社会を作るのかといった議論があまりに少ない。国民は経済的なメリットがあれば満足で国家の将来像など興味がないと考えているようだ。確かに国民を食わせる(豊かにする)ことは政治家のもっとも重要な仕事の一つだ。それなくして国家や社会の安定はないことは歴史を見ても他国を見ても明らかだ。

 

 しかし一方でこの国の将来をどうするのかといったデザインを示すのも政治家の責務だ。理念なりビジョンを訴えて理解を得ることは中長期に国力を高めるのに必要だ。国民は信じることができる国家像やビジョンがあってこそ、我慢すべきことを受け入れリーダーについていくのだ。経済が回ればいいというものではない。菅氏はある意味で極めて有能な政治家だ。それはある戦術をとり実行する時に発揮される。地盤、カバンがないところから総理大臣まで昇りつめたのも、現実的な戦術をやり通すことに長けていたからだろう。しかしその成功体験が強烈なだけに、菅首相は広い視野でものを見て将来像を語ることをおろそかにしているように思う。自分の政策に固執して批判者を認めないことにも通じる。

 

 総理大臣に求められるのは国民に夢を話し共感を得ること、そしてその実現のために戦略をたてることだ。その次に実際的な戦術をとり徹底して行う。総理も人間だからすべて分かっているわけではないので自分に弱いところ、出来ないところは適切な人に移譲してやることになる。しかし理念と戦略は総理大臣が深く関与すべきところだ。戦術を作って実行するのは人に任せることになるが、結果について総理としてこれだけは譲れない点を明確にしておかなくてはならない。例えば小泉純一郎郵政民営化を実現したが、現在の郵政3社の状況は相変わらずの官僚体質で効果を上げているとは思えない。これは小泉がデザインを描くまでは良かったが、民営化の実施の戦略、戦術に関して第三者に丸投げをしたからだ。小泉元総理は大きなデザインを語るのは上手かったが、それをどう実現することには興味がなかったというか、そうした能力が欠如していたと思う。菅首相はその反対だ。戦術への関心のみが高い。小泉氏とどちらが良いかは難しいところだが、総理としてはやはり小泉氏の方がおさまりがいい。歴代の総理大臣では中曽根康弘が、ビジョンを描くことから戦術を実施することまで上手くやっていたように思う。

 

 今のままでは菅首相は総理の器ではなく、参謀だという評価になってしまうと思う。政権は始まったばかりなのだから、信頼できる参謀を見つけて理念なりビジョンを語ることをしたほうがいいのではないか。すぐに菅氏に代われる人材がいるとも思えないだけにそう思う。将来的にもそうした人材はいるのだろうか?国会議員より地方の首長に期待したほうがいいのだろうか?トランプの米国のようにしてはならない。