なでしこジャパン、国歌、消費税

今年のスポーツ界を振り返るといったTV番組を見ていたら、なでしこジャパンがワールドカップの準決勝か決勝の試合前に君が代を歌っている場面があった。劣勢と言われた試合のためか、選手たちの表情には明らかに強い緊張が見られた。ことここに至ったらもう自分を信じるしかないという気持ちと、国歌に象徴される自分たちのアイデンティティに誇りを持って戦うしかないという決意が、国歌を歌う姿に現れているように感じられた。

 それは見る者に国家と個人の相互依存の関係を感じさせて、'そうだ私たちは日本人以外の何者でもないし、本質的な意味で日本人以外にはなりえないのだ'という事実をつきつけた。その時、私たちはプレーする選手と共通の土台を持つことで一体化し、彼女たちが全力で悔いのない試合をしてくれるのを望んでいた。日本人プレーヤーが海外で活躍するのに私たちが感動するのは、こんなメカニズムがあるからだと思う。

 そんな感動的なシーンとは裏腹に国歌を歌わない総理がいたことが思い出される。その総理、菅直人なでしこジャパン国民栄誉賞を与えた張本人である。日本国歌が嫌いで歌わないといった過去の発言が報じられると、そんな事実はないとしらを切り、その証拠を突きつけられると'君が代は元気がなくて良くないと思った'などとその場限りの発言をした前総理である。こんな総理を持ってしまったこの国の不幸を嘆かざるを得ないが、総理を選んだのは国民だから、我々はこれに反省し二度とこのような人間が総理になることを手助けしてはならないと肝に銘ずるべきだ。

 わたしは君が代が嫌いだという人がいても良いとは思う。君が代天皇賛美で、そうした姿勢が日本を戦争に乗り出させたのだという主張を頭から否定するものでもない。しかし政治家として信念を持って主張しているのなら、状況に応じて発言を変えるべきではない。菅直人は'なでしこジャパンは立派だが、国歌を歌うあなた達は良くない’と言うべきだったのだ。それを子供だましのような答弁で切り抜けようとして平気なのは、君が代そのものへの嫌悪も信念に基づいているのではなく、単にその時代雰囲気に同調していたにすぎないのではと疑ってしまう。こんな程度の人間はどこにでもいるのかもしれないが、総理にしてはまずいと思う。そんな人間が自らを犠牲にして国家のために働くとは思えないからだ。せいぜい国家を利用して自らの功績を上げようとするくらいだろう。私たちが鳩山、菅という民主党出身の総理に見たのはそんな姿だったのではないか。彼等を持ち上げたマスコミや有識者たちも大いに反省すべきだ。出来るならもう二度と人前に出て来て欲しくない。

 その二人に比べると私は野田現総理のほうがよほど良いと考えている。野田総理は官僚の言いなりで、きちっとした説明もなく、消費税を上げようとしていると非難がでている。しかし40兆の歳入で90兆の予算を組むこと自体が異常ではないか。消費税より景気対策だという昔からの根強い反論もあるが、ことここに至ってはそれも無責任な主張に感じる。消費税の上げはマニフェストに反すると言って離党する民主党議員や、離党しないまでもあくまでも反対を唱える議員達の本音は、選挙で苦戦する政策はとりたくないということだろう。彼等は国家の将来よりも自分たちの明日の身分が大切だと言っているのにすぎない。そんな党内の反発を見て野田首相には求心力がないとか民意が離れていると報道する新聞などは何を考えているのだろう。こんな時こそ野田氏擁護の論陣を張る位の気概を示せと言いたい。そして不明朗な税システムをもっと真剣に議論すべきだ。特に宗教法人への課税となると全く論じようともしないマスコミとは何なのだろうか。彼らには物事の真実や正解を求める姿勢はなく、自分達に都合の良い事実だけは報じるといった考えしかないようだ。

 叩かれても叩かれても消費税アップを目指す野田氏にはここでくじけないで欲しい。誰かが今すぐにやらなければならないことに取り組んでいるだけなのだから。民主党の藤井税制会長が党の議員を前に'議論ばかりしているのは野党で、与党は正しいと信じることを決めなくてはいけない'といった趣旨の発言をしているが、まったくの正論で、これを言うのが年老いた藤井氏だというのが民主党の人材不足と議員のレベルを表しているようだ。野田総理も自らの信念を貫いて愚かな議員達の姿勢を変える位の迫力を出してもらいたいと思う。来年こそ日本再生のための一歩を踏み出す年であって欲しいと切望する。