東北関東大震災(2)

 今回の大震災はその被害の大きさと共に、平時には見えにくかった多くの物事の実態を明らかにした。原発の危うさはその筆頭で、原子力に頼った生活の基盤の頼りなさを鮮明にした。私たちが直面する問題の難しい点は、原発以外に有効な電力供給の手段を持たないことだ。こうした状況になると単純に原発廃止を叫ぶ人が沢山出てくるが、現状の電力消費を減らす具体的な手立てがないのでは、それは現実的な対応とは言えない。

 こういう手合いはすぐに勢いで多量な電力を消費する経済成長などいらない、経済力を落としても人間らしい平和で安全な暮らしを目指そうなとという。しかし現在のようにグローバルな経済活動が行われている状況では、上手く少しだけ経済規模を落とすことなど現実的ではなく、一歩下がればとことん下がると言うことが分かっていない。日本の財政状況では経済規模を縮小すればするほど赤字が膨らみ、財政破綻国家になるリスクが高まるのだ。今後こうした原発廃棄の議論が、それは多分に感情的なものになるだろうが、出てくることは明らかなので、事実を冷静に見つめた議論をしてゆかなければならないだろう。

 その他にもプロ野球セリーグの球団経営者達のお粗末さ、外国人力士の帰郷を政府からの指示にゆだねる相撲協会の思考力のなさ、遅まきながらの対応がツアー賞金総額の5%という問題意識の低さを露呈した男子プロゴルフ協会など、スポーツ界だけをとっても世間の意識からずれた考え方を持つ団体やその幹部達が明らかになった。その半面スター選手たちの多くは被災者の支援に素早い行動をとり、経営者たちと対照的な姿勢を見せた。


 そうした中で与党の対応にも常識とはかけ離れものが見られた。それは菅政権の本質を図らずも明らかにするものだった。わたしが最も驚いたのは、3月21日だと思うが、枝野官房長官の会見でのコメントだった。ちっとも姿を見せない菅総理の代わりをする枝野氏の最近の奮闘ぶりは目をみはるもので、何年か前に「朝まで生テレビ」に出ていたころの若手論客がついに国家の中枢の地位を得たのだという感慨さえ抱かせる。民主党の政治家としては前原、岡田氏を凌ぐポテンシャルさえ感じさせた。
 そんな枝野氏だが出荷停止となった福島県産の野菜や廃棄されている原乳の補償について聞かれた際に、「東電が支払うものだ」と冷たく言い放った。これを聞いた時、わたしはつくづく民主党政権の限界、枝野氏の政治家としての限界を感じざるを得なかった。
 
 東電の事故後の対応は確かにお粗末で、何とか実態を隠したままことを収めようとする姑息な面があったと思う。菅内閣もそんな対応にいらいらしていたのかもしれない。しかしすべて東電のせいだと言わんばかりの態度は政府の幹部としては思慮を欠いていると感じる。東電が原発を推進してきたのは果てしなく増え続ける電力需要に対応するためだった。これだけの電力を消費し、贅沢な暮しをしてきたのは国民である。政治家もこうした膨大な電力消費が経済回復の後押しをするとして容認してきた。前原氏は国土交通大臣の時に'もうダムはいらない。八ッ場ダムも建設中止をする'と言ったが、その前提として現在の電力の供給が続くことがあったはずだ。要するに民主党も東電の電力供給体制、原子力に頼ったそれに全面的に依存してきたのである。

 今回の原発事故を引き起こしたのは'千年に一度'という天災である。福島原発が今回の地震津波を想定していなかったと非難する人達がいるが、これ程の規模の天災を予測して対策をたてるのが現実的だろうか?わたしは東電を単純に非難することは出来ない。あたかも決して落ちない飛行機を作れと言っているようなものだ。実際震災前から私たちに影響を与える程度に、東電の地震津波対策を批判し、改善を要求していた政治家やマスコミがいただろうか。こうした結果になってから、東電だけに責任を負わせようとする態度は無責任で卑怯としか言えないだろう。原発事故による被害は、膨大な電力を消費し続けた国民全体で負うのが筋なはずだ。枝野氏は質問を受けた時に、そのことを言うべきだった。東電だけを非難しても問題解決にはならないことを国民に訴えるべきだった。政府がそうした態度を取っていれば、海外の投資家の日本に対する見方も変わり、いたずらな日本売りも少なかったろう。要職につく政治家の無思慮な発言は結果として国家/国民にに多大な損害を与える。

 枝野氏だけではなく、菅総理も企業性悪説のような考え方に染まっているような気がする。いや企業だけではなく、従来の日本を支えた基盤そのものをなくそうと思っているのかもしれない。自衛隊天皇とそれに付随する日の丸や国歌への嫌悪の強さは信じ難いほどである。そういう意味で今回の枝野氏の発言は、前官房長官の仙石氏の「自衛隊暴力装置だ」という発言と根は同じだと思う。後になって菅総理もまずいと思ったのか「原発の補償は東電の能力を超えたら政府が行う」などの発言をしているが、暴力装置と言った前官房長官を叱責せずに今になって「自衛隊は誇りだ」と言っているのと全く同じだ。「君が代は元気がないから反対した」と言い繕った菅総理の発言も同じだ。信念を持って反対をしたのなら総理になってもそれを貫き、国民にその姿勢を問うべきなのに、子供でもばかにするような理由を付けて曖昧にする。私たちは菅総理が本心では君が代をどう思っているのか未だに分からないのである。愚かで思慮のない発言の落とし前をつけずに、後で口先で言い繕う姿勢は心ある国民の支持を失うだろうし、命を賭けて被災現場で働く自衛隊員や東電社員の信頼は決して得られないだろう。

 自民党と異なる政治を目指すとしても、戦後の発展の基盤となったものや社会や治安を支えたものまでないがしろにする態度は、国際的にも通用しない。自らの国家とその歴史に敬意を抱かない政治家を誰が信用するものか。震災の前でさえ日本の経済は危機的であった。そこに今回の大惨事である。社会の治安を守り、経済を立て直すことが最優先であるべきだ。それなくして被災者への継続的な支援もままならない。しかし現在の民主党の幹部たちはそうした政治感覚がないようだ。与謝野氏を一本釣りする位だから経済が分かる幹部などいないのだろう。グローバルな経済体制のもとでは、もはやイデオロギー政治は有効ではないのだ。この辺を理解しないと現政権は日本を地位を本当に劣化させてしまうだろう。

 民主党にはブリヂストンの大株主である鳩山氏や、公共工事で金を集めるとの疑惑をもたれる小沢氏のような政治家と、角マル派からの支援を受けていると言われる政治家や(枝野、仙石氏も角マル派とのつながりは深いといわれる)日教組の票で当選した政治家が混在している。政権を取るだけの理由でこうした政治家が寄り集まっている。それは国民のためではなく自分たちの利益のためだ。世界にも様々な国家体制があるが、イデオロギーを全面に出して統治を行う国家では国民の自由が乏しく、独裁体制になる傾向がある。私たちが民主党を選んだ時はそんなことを望んでいなかったはずだ。角マル派が支援する政治家が権力を持った今こそ、私たちは真剣に現在の民主党にこの国を委ねて良いのか考えてみるべきだ。大震災の後、国民が団結して復興を目指さなくてはならないが、同時にもう少し長い目で見て日本を任せて良い政治家を選びなおすことをしなくてはならないと思う。