高潔さとは

 書斎で本の整理をしていたらディーン・R・クーンツの「ベストセラー小説の書き方」をみつけた。1983年に日本で翻訳出版されたものだから、もう30年ほど昔の本だが、いま読み返しても古さを感じさせず、とても面白い(現在この本は文庫になっているらしい)。 クーンツは米国では大ベストセラー作家だが、日本ではもう一つ知名度が低い。私もずいぶん前に二冊読んだが、SF小説と言えるもので面白かったものの、特に印象に残るという感じではなかった。


 この本はいわゆる'How to'本で、日本なら根っから馬鹿にされて際物扱いされるのかもしれないが、内容は決していい加減ではなく、作者が真面目に書いているのがよくわかる。クーンツの12年間の作家生活で(彼はこの時35歳でもう売れっ子作家だった)得た、様々なノウハウを読者に伝えようとしており、この本に書かれていることを実際にやれば、作家として成功する基礎が作れると作者は信じていると思わせる。この辺りが米国の凄いところで、'How to'本でもあなどれないレベルになっている。日本の知識人の分かりにくくペダンティックなつまらない本より、遥かに物事の本質を捉えた内容になっている。要するにベストセラー作家はお金を出して買ってもらう価値のある本の作りかたを知っているのだ。

 その内容で興味深いところを少し紹介しよう。ベストセラー小説に必要な要素を具体的にあげ、それぞれがどう作られてなくてはならないかを述べている。彼のあげる要素は次のものだ。「ストーリーライン」「アクション」 「ヒーローとヒロイン」「信憑性のある登場人物」「ありそうな動機」「背景描写」「文体」である。

 「ストーリーライン」では、プロットは小説の最大必要条件だと述べ、最初の3ページが勝負だと言っている。その具体的例として彼は3つの古典をあげている。デュマの「三銃士」、オルコットの「若草物語」、ディケンズの「オリバーツイスト」であり、これらの小説は冒頭のシーンで読者を惹付け、本から離れられなくしてしまうと賛辞を贈っている。

 読者が好感を持つ「ヒーロー」の人物像を作り上げるためには、次の5要素を考えなくてはならないと言う。1.高潔さ、2.有能さ、3.勇気、4.好感、5.不完全さである。これらの要素を見ると日本の政治家に最も欠けているものではないのかという気がしてくる。一番目の要素である'高潔さ'についてはこう述べている。
「なにもわたしはここで、厳格なビクトリア朝的な観点から、作品を書けと言っているわけではない。また、主要な登場人物たちが、性的な面で高潔さを保つべきだと主張しているわけでもなければ、酒やタバコをたしなむことや悪態をつくのを禁じているわけでもない。登場人物がこういうことに関して自由に振舞っても、なお高潔な人物であることは可能なのである」

 クーンツはヒーローについて7ページにわたって論じているので上記の引用部分はごく一部だが、極めて本質を突いている。高潔さと一般的な道徳上の行動は別のものだと明確に切り離している。ヒーローが持つべき高潔さとはまさにそうでなくてはいけないのだ。これに関して思い浮かべるのはマスコミの有名人、特に政治家、に対する報道姿勢である。

 私たちが政治家に求めるのは本当の意味での高潔さであって、社会のため、この国のためには身を捨てて仕事をする意志と姿勢であり、困難なことを実現出来る能力である。そうした人がいれば、発言の些細なミスや素行上の欠点もある程度容認すべきだろう。しかし今の報道姿勢を見ていると、つまらない発言ミスや私生活での問題を大げさに取り上げ、その人物の政策実行能力や社会への貢献姿勢などは二の次になっている。マスコミは高度な判断能力が必要とされる政治家個人の高潔さを見極める努力より、一般的で分かりやすい道徳規準を優先して政治家をたたくことにうつつを抜かしている。

 もちろん最近取り上げられる発言ミスや、素行上の問題はその政治家の高潔さのなさの表れである事例がほとんどで、目に見えるお粗末さがそのままその人物の器量のなさを示しているから、マスコミの報道が問題になることはないようだ。しかしだからといって今のような揚げ足取りの報道が良いとは言えないだろう。クーンツがヒーローの条件に示したような要素とその要素の説明を、マスコミは政治家に対しても行い、その基準に基づいて政治家を批判するという報道をとるべきだと思う。