'いいこと書くなあ'スティーブン・キング篇(2)

 スティーブン・キングの「書くことについて」は大きく四つの章に分かれている。最初が前回紹介した'履歴書'で二番目と三番目が'道具箱’と'書くことについて'でこの本の中核になっている。最後は'生きることについて’でキングが1999年に車にはねられ九死に一生を得た時のことが書かれている。今回は第二章と三章について説明し、その中で面白い文章を紹介したい。

 '道具箱'とはキングの祖父が大工で、大きくて重い、三段の引き出しがついた道具箱を持っていたことからきている。作家も道具箱が必要で引き出しは四段かそれ以上要ると言う。一番上の引き出しには語彙と文法をいれる。これらは最もよく使う道具だからである。語彙についてはこう書いている。
 'それに関しては、手持ちのものだけでいい。量が少なくても、罪悪感や劣等感をいだく必要はない。娼婦が恥ずかしがり屋の船乗りに向かってこう言うのと同じだ。「問題は、大きさじゃなくて、どう使うかよ」'

 文法については受動態と副詞は出来るだけ使わないほうが良いと言って次のように書いている。
 '学校で習ったとおり、副詞というのは動詞や形容詞やほかの副詞を修飾する単語で、通常は語尾に'ly'がついている。受動態と同様、副詞は臆病な作家が好んで使う。受動態の多用が、靴墨で自分の顔に髭を書いたり、母親のハイヒールをはいてよろよろ歩いている子供のように、まわりの者からまともにとりあってもらえないのではないかという書き手の恐れを示すとすれば、副詞の多用は、自分の文章が明快でなく、言いたいことがよく伝わらないのではないかという書き手の恐れを示すものと言えるだろう'

道具箱の二段目の引き出しには文章作法が入っていて、主にパラグラフについて、短いほど良いこと、文章のリズムが大切なことを述べている。

 三段目はこの本の第三章となっていて'書くことについて'に対応している。すなわち小説作法である。彼はそれを説明する前に基本的な事柄についてこう述べている。
 ’本書の核心に迫るための基本命題はふたつある。どちらも単純明快だ。ひとつは、いい文章は基本(語彙、文法、文章作法)をマスターし、道具箱の三段目に必要なものを詰めていく作業から生まれるということ。もうひとつは、三流が二流になることはできないし、一流が超一流になることもできないが、懸命に努力し、研鑽を積み、しかるべきときにしかるべき助力を得られたら、二流が一流になることは可能だということ’

 ここでいう一流、二流、三流については少し前のところでこう書いている。
 '人間の才能と想像力が問われるところではどこもそうだが、物書きもやはりピラミッドをつくっている。その底辺にいるのは凡百の三流どころである。その上に、それよりいくらか少ないとはいえ、なお大勢の、魅力的で有能な、だが二流どころの物書きがいる。彼らは地方紙の記者のなかにも、地元の本屋の棚に著書が並ぶ作家のなかにも、飛び入り参加型のステージで自作の詩を披露する者のなかにもいる’
 'その上のレベルに行くと、数はぐっと減る。そこには一流の作家たちが揃っている。さらにもうひとつ上、つまり頂点にいるのは、シェイクスピア、フォークナー、イエーツ、ショー、ユードラ・ウェルティといった面々である。天才であり、神がかりであり、われわれには及びもつかない、あるいは理解の範囲を超えた才能の持ち主だ’
 
 話は逸れるがこの一流、二流の議論は面白い。適切な例えかどうかは分からないが野球選手のことを考えれば分かりやすい。三流とは甲子園に出てレギュラーだったとか、東京六大学でレギュラーだったというキャリアを持つが、プロになるほどではない選手を言うのだろう。二流はその中でドラフトに指名されプロに行った選手だ。一流はプロで野手ならレギュラー、投手なら先発、中継ぎ、抑えで試合に出る選手だろう。超一流はMLBで一流の成績を残せるレベルの選手で、イチロー、松井、野茂、ダルビッシュ、黒田、岩隈などだ。こうみると必死の努力をして、よいコーチに会えると二流は一流にはなれるが、一流は超一流には、三流は二流にはなれないというのが良く分かる。ようするにポテンシャルというか、持って生まれたものが違いすぎるのだ。もっともMLBで活躍したからといって、作家で言えばシェークスピアにあたるかというと疑問で、例えが適切ではないかもというのはこの辺だ。

 話を戻そう。キングは作家になるために最も重要なのは、たくさん読み、たくさん書くことだと言っている。それ以外の方法はないし、近道もない。次に書くとなったら自分で決めた時間は毎日書き続けること、そのための邪魔されない仕事場(机があり一人になれるところ)を持つことを重要だと言っている。テーマの選択は自分が読みたいものを選べ、このテーマが受けるだろうと思って選ぶと、ロクな小説にはならないそうだ。こう述べた後で、小説の三要素、ストーリー、描写、会話について詳しく書いている。これについてはあまりに色々と書かれているので特にどれかを紹介することはしない。きりがないからだ。

 ただ会話についてのアドバイスは面白いのでひとつ、ふたつ紹介しよう。
 'これは小説作法全般に当てはまることだが、いい会話を書く秘訣は誠実さにある。作中人物の口から出る言葉に誠実であろうとすれば、あなたは非難の嵐を覚悟しておいたほうがいい。略 いわく、言葉が汚いとか、偏屈だとか、ホモ嫌いだとか、残忍だとか、軽佻浮薄だとか。ずばり「お前は狂っている」というのもある。たいていの場合、怒りの矛先が向けられるのは会話である。「この糞ダッジから降りようぜ」、「ここじゃ、黒ん坊といっしょにやっていけねえんだ」、「いったいなんのつもりだ、このオカマ野郎」'
 こういう例も挙げている
 '母親のところへ走っていって、妹が浴槽に'排便した'と叫ぶ子供はいない。普通は'ウンコした'か'ウンチした'で、もう少し大きい子だったら゜糞をした゜だろう’

 まだまだあるのだがもうやめておく。この本の面白さを伝えるのは三流作家にもなれないわたしには無理な話だからだ。読んでみてください。そして出来れば小説の方も。映画もいいですよ。