「奇跡のレッスン」が教えること

 「奇跡のレッスン ミュージカル編」を再放送で見た。バーヨーク・リーという米国のトップダンサーでミュージカルスターが大船高校演劇部の生徒を指導して、ミュージカル’コーラスライン’の一部を上演するまでの過程を記録したものだ。思春期で進路や自分の可能性に悩む高校生たちが懸命にダンスと歌を練習するうちに、演劇だけではなく生き方の何かのヒントをつかむところが伝わってきてとても感動した。若さの持つひたむきさはまぶしいくらいだし、適切な指導があれば若者は成長するものだということを改めて実感した。

 「奇跡のレッスン」はシリーズ物でこれまでもいろんな分野のものがあったが、チャンネルを回していてたまたまこの番組にぶつかると、引き込まれ最後まで離れられなくなってしまう。世界の一流プレーヤーを育てた名コーチ(コーチその人が一流選手だった場合も多い)が日本に来て主に中学生(小学生や高校生が対象となることもある)を指導する話である。指導を受けるのは一流選手やその卵ではなく、どちらかと言えばダメな選手やチームが大半だ。野球、バスケット、ゴルフ、テニス、陸上などのスポーツからミュージカル、合唱、ダンスなどもある。どの回を見ても感動してしまうのは、特別な才能を持っているわけではない普通の子供たちが成長してゆく姿を目にするからだ。それまでは覇気の乏しい顔つきをしていた子供たちが、適切な指導により目を輝かせて練習をする変化に心を奪われるのだ。

 世界の一流コーチの力とは大したものだと感心してしまうが、彼らを彼らの教え方を見ていると共通する点が多いことが分かる。基本を大切にする、上手くなるという強い気持ちを持たせる、合理的で実践的な練習をする、そしてこうした点を子供たちに分かりやすく伝える努力を惜しまないといった点だ。何だ、特別なことではないではないかと言われそうだが、一流のコーチはこれを子供たちに伝え、理解させ、実践させることが出来るのだ。一流のコーチたちは決して威張らないし(偉そうに見せない)、高圧的にもならないし、感情的にもならない。そうなったら選手の信頼は得られないことを知っている。そうした自然で謙虚な態度の裏には自分が一流プレーヤーだったことや一流プレーヤーを育ててきたことの自信があるのだろう。やたらに怒鳴ったりする日本の中学校の指導者は自信がないことをそれで隠そうとしているように感じる。

 一流のコーチたちは技術的な指導についても明確な指針を持っている。それは技術の本質を掴むことからきているようだ。やたら怒鳴る指導者には自信がないからだと言ったが、それは技術の本質、それぞれの競技の本質とは何かということが分かっていないゆえの自信になさだと言える。一流コーチは基本を大切にするが、その基本の中でも優先順位がきちっとつけられていて、このレベルの選手にはまずこれは外せないとか、これは後回しでよいとかメリハリがついた指導をする。子供たちも指示が明確でブレがないからよく理解出来て練習に前向きになる。

 個々の選手の技術的な弱点の克服という課題もどこにその弱点の根源があるのかを見極める。技術そのものの未熟さほなのか、それより体力的な問題なのかを判断して改善策を取るので、改善の効果があらわれやすい。いたずらに素振り100回とか投げ込み100球などとは言わない。失敗を重ねて自信を失っている子供たちは、自分で上手くなっていると実感すると生き生きしてきてやる気が増してくる。

 一流コーチたちは失敗は気にしない。子供たちが失敗することを恐れて消極的になることを問題にする。もっと上手くなろうとして課題に挑戦することを評価して、その過程での失敗は立派なチャレンジとして褒める。子供たちをノビノビとプレーさせることが成長につながると信じている。それはスポーツや演劇だけではなく人生において真実だと考えている。どの回を見ても子供たちは「やっていて楽しい」と口にする。コーチたちも楽しんでやろうと声をかける。変な悲壮感がないのが見ていて気持ちいい。

 こうしたことが出来るのは言うまでもなく彼らが超一流のコーチだからだ。中学や高校の指導者たちがこうした指導が簡単にできるはずがないことは分かる。まして多くの部の顧問や監督・コーチはその競技の専門家ではなく素人なのだから。しかし往々にしてこうした素人たちは前述した自信のなさから高圧的になったり、いたずらに練習量を増やしたりする。何故そうすべきかを説明せずにやるから子供たちはやる気をなくし、チームも弱くなる。コーチはまた怒鳴る。悪循環だ。一流コーチのようなことは出来なくてもこうした悪循環は避けてほしいと思う。そのためには外部の専門家またはその競技の経験者の助けを借りたり、この「奇跡のレッスン」のビデオを見て一流のコーチのやり方を学ぶとかして欲しい。学校も積極的にこうしたビデオなどによる指導者の教育をすべきだろう。

 特にチャレンジ精神の乏しい若者たちが増えていて、研究者の世界でも欧米への留学を嫌がる風潮があるそうだ。英語圏で英語で研究をするのは言葉のハンディから競争に勝てないので選ばれても行かないというらしい。一流コーチたちは競技だけではなく人生において一番大事なのは競争に勝つんだという強い気持ちだと強調する。体格とか才能とかよりその気持ちが最も大切だと説く。今日本の教育者が若者に教えなくてはいけないのはこうした気持ちや姿勢のはずだ。誰もが一流になれるわけではない、それどころか大半は凡庸だけれども、その中でも少しでも上手くなろう、強くなろうと努力することが大切だということを伝えなくてはならない。コーチの役割はかくも重要だ。

 今度の衆院選でほとんどの政党が教育の無償化を訴えていた。大勝した自民党もそうだ。しかしそこには教える人たちのレベルの向上という視点がない。「奇跡のレッスン」が示しているのは適切な指導をすれば多くの子供たちは驚くほど成長すると言うことだ。この番組が明らかにしているのは多くの子供たちは適切な指導がないゆえにポテンシャルを発揮しきれていないということだ。経済的に困窮する家庭の子供たちに教育の機会を平等に与えるのは良いが、全員の教育費を無償化する必要はあるのだろうか。限られた予算を効果的に使い、将来の世界に貢献できるような若者を育てようと思うなら、指導者の育成・教育に予算を使うべきではないのか。政治家にも「奇跡のレッスン」から大切なことを学んでほしいと思う。