野村克也へのインタビュー;1994年

 本棚の整理をしていたら 'TOKYO VOICES' という本が出てきた。日本在住の外国人を対象とした雑誌である’トーキョージャーナル’の編集部・編となっていて1995年の出版である。あとがきには’トーキョージャーナル’を日本語で読みたいという声をたびたび聞いたので、その中でも人気の企画である' The Conversation'というインタビュー記事を翻訳したとある。この雑誌は外国人の間では大変人気のある雑誌で、インタビューに登場する人もその時々の日本でホットな人たちである。過去3年ほどの中で面白いインタビューを選んで本にしたということだ。英語のあとがきには’インタビューを読みそこなった外国人読者のために出版したのが別の目的としてある’とも記されている。これからも分かるように、この本は日本語と英語で書かれている。

 

 わたしが何故この本を買ったのかは、何かの記事で宮沢りえへのインタビューが面白いと読んだためだと思う。インタビューは1992年に行われ、宮沢りえは19歳だった。このインタビューが雑誌に掲載された翌日に彼女は貴乃花との婚約を発表したとある。17人へのインタビューが掲載されているが、彼女の他には笠智衆筑紫哲也ジーコタモリ野村克也村上春樹崔洋一があり、さらに有名政治家、俳優、歌手など多彩な顔ぶれだ。

 

 あまり記憶にないので宮沢りえ以外はあまり真剣に読んでいない気がするが、このところ英語に触れていないので、たまにはと思い野村克也へのインタビューを読んでみた。これがとても面白かった。

 当時(1994年)野村克也は59歳で、今のわたしより9歳も若い。25年の年月とは凄いもので自分がどれだけ老人になったか思い知らされる。その時野村はヤクルト・スワローズの監督で弱小チームをたびたび日本一にするなどして、野球指導者としても最高の評価を受けていた。野村の紹介はこう始まっている。

「白髪にがっしりした体格の59歳の野村克也は映画に出てくる新兵訓練で行進を仕込む軍曹のように見える。ところが皮肉にも、彼のやり方は日本の他のスポーツ界ではもとより野球界の伝統的な奴隷のようなシゴキの練習とは一線を画している。彼は知的好奇心に溢れ、研究と練習共に熱心である」

 

 このインタビューで野村は貧しかった生い立ち、無名の学生時代、プロ野球選手として成功した秘訣、再婚した沙知代夫人との関係で南海監督を解雇された経緯、東京ジャイアンツとの戦いなどを率直に語っていてとても興味深い。こうした率直さは野村の個性や自信の反映でもあるだろうが、この本のインタビュー全般にも言えるようだ。メジャーではない媒体で英語の記事になるといった背景が、インタビューを受ける側にある種の解放感を与えたのではと編集者が語っている。

 

 インタビューの詳細は省くが、最後の質問「自分自身の実績に満足していますか?」に対する答えが面白い。

「ボクには40年のキャリアがあるけど、野球にはまだ知らないことがある。’富を遺産として遺すのは三流、仕事を遺産として遺すのは二流、人を遺産で遺すのが一流’と言う言葉があるが、これからするとボクは二流。これからボクは一流の遺産を残したいもんだね」

 野村が野球にはまだ知らないことがあるというのと、人を遺産として遺すことの関連がよく分からないが(もしくは全く別の2つを言ったのかもしれないが)、後半に焦点を当てると25年たった今野村は一流の遺産を残せたのだろうか? 息子は野球人としては大成しなかったし、愛弟子の古田は一流選手になったが監督としては期待された実績を残していない、楽天監督時代にプロ入りした田中将大ヤンキースの主力投手として活躍しているが彼を野村が育てたと言えるのだろうか? ノムさんは「当然おれが育てた」と言いそうな気がするが・・・

 

 この本の他のインタビューもなかなか面白い。興味があったら読まれたら良いと思うが、古本屋にでも行かないと手に入らないのかもしれない。