'いいこと書くなあ' スティーブン・キング篇(1)

スティーブン・キングの「書くことについて」を読んでいる。7割くらい読んだところで 他の本に移ってしまったので、読み終わっての感想ではないが書きたい時に書かないとタイミングを逸してしまいそうなので書くことにした。いずれもっと書きたくなるだろうと思わせるほどの本なので途中の感想もありだろうと思っている。

 スティーブン・キングは言うまでもなく米国のホラー小説の第一人者で多くの作品が映画やTVになっている。わたしはいつもの通りそれほど熱心な読者ではないが幾つかの小説を読み、幾つかの映画を見た。映画の印象の方が強く、「ショーシャンクの空に」や「グリーン・マイル」はわたしが最も好きな映画の一つだ。

 この本はスティーブン・キングがどのように小説を書く技術を見つけたか、書くこと全般についてどう考えているのかを綴ったものである。日本流に言えば「文章読本」といったところだろう。以前このブログでSF作家のD・クーンツが書いた「ベストセラー小説の書き方」を紹介したが、それと似たところがある。

 どういう点が似ているかと言うと、エンターテイメント系の人気作家が書いたある種のハウ・ツー本だが、書き手が大真面目にいかに読者に受けるものを書くかの方法論を論じていることだ。内容は方法を論じながら、書くことの本質に触れていて、才能はあるのにもう一つ伸びないと言った人が読めばとても参考になるのではないかと思わせる。従ってわたしのように才能のかけらもない人間には効果もないのだが、一方で読み物として大変面白く引き込まれて読んでしまう。

 違いがあるとすれば、スティーブン・キングの本はハウ・ツーという印象は薄く、より広い視点で良い文章を書くために何が必要かを書いている点だ。その意味でキングの本はより人生の本質に触れている感じがする。具体的にはキング自身の半生を回想することから始めて、どんな生い立ちで、どんな生活をして、どんな家族がいて、学校ではどう過ごし、何を考え、何を書いて今に至ったかを綴っている。彼の小説(キャリー)が初めて出版され、高額のペーパーバックの契約金を手に入れる経緯なども興味深い。こうしたエピソードも入れて、物書きを目指す人や書くことに興味を持っている人が励まされ、勇気を持てる内容であると同時に、書くことの難しさを伝え作家への道が簡単ではないこと、自分の才能を勘違いしないような警告も含んでいる。

 もちろん一流作家だから文章が素晴らしいのは当然だし、話が明快で読み手を感心させる出来栄えだから、ことさらに'いいこと書くなあ’などと感心することはないのだが、それでもやはり紹介したい事があるので書きたくなるのだ。感心する個所は枚挙にいとまがないので、本を読んでくださいと言えばいいのだが、それでは身も蓋もないから幾つか具体例を挙げてみたい。

 スティーブン・キングは13―4歳のころからSF雑誌に小説を投稿していたそうだが、16歳の時に送った原稿(「夜の虎」と言う作品)が不採用になった時、その雑誌の編集長から以下の講評が添えられていたという。「いい作品です。われわれ向きではありませんが、よく書けています。才能があるとお見受けしました。またの投稿をお待ちしています」
 当然のことながらこの講評はキングを元気付けた。彼はこう書いている。「万年筆の走り書きで、あちこちにインクの染みが残っていたが、この四つの短いセンテンスは、十六歳の暗い冬に明かりをともしてくれた」

 それから10年ほど後に幾つかの長編が売れた頃、彼はこの「夜の虎」の原稿を自宅の箱の中に見つける。読み直すとそれほどひどくないので、手を入れて同じ出版社に再投稿すると今度は採用された。彼はこう書いている。「それによって学んだのは、作家として多少なりとも名が売れたら、出版社は'われわれ向きではない'と言う言葉を使わなくなるということだ」


 キングが経験に学んだ話をもう一つ。キングは10代前半の頃からホラー映画の大ファンで、14歳の時に見た「恐怖の振り子」と言う映画に感心し、これを小説にしようと考える。これを8ページの小説(シングルスペースで改行は最小限だったそうだ)にして、四十部印刷して学校で売ろうとした。これが大人気でその日に三十六部も売れて儲かり大喜びだったのだが、校長室に呼ばれ、学校で金儲けをしてはいけないと注意を受けた上に、女校長からこう言われた。「どうしてあなたはこういうくだらないものを書くの。あなたは才能があるのよ。どうしてその才能を無駄にするの」

 キングはこの校長が彼のことを思ってこう発言したことを分かっていたので情けない気持ちになり、そのトラウマが長く続いたそうだ。しかし後年彼は次のことがわかったと書いている。「小説家でも詩人でも、作品が世に出れば、いつも必ず才能の浪費だと批判されるものだということがわかったのは、四十歳を超えてからのことだった。あなたが何かを書けば(画家でも、舞踏家でも、彫刻家でも、歌手でも同じだが)、かならず誰かにこきおろされる。それだけのことだ。これは私的な感想ではない。実体験にもとづく事実である」


 上記のように彼は「キャリー」で成功をおさめ、この小説は映画にもなる。いじめられていたぶすな女子高生がある時超能力を身につけ、同級生たちに復讐する話だ。彼はこれを書き始めたものの主人公の少女が好きになれず、シングルスペースで3ページ書いたところでくしゃくしゃにして屑籠に捨てた。しかしその原稿を屑籠から拾って読んだ妻がこの続きを書けと言った。気が進まなかったが妻に助けられ先を書いた。これが結局出世作になるのだが、その時のことを彼はこう書いている。「登場人物に対する作者の当初の理解は、読者と同様、ときとして間違っている。気分が乗らなかったり、イメージが湧かなくなったからといって、途中で投げ出すのはご法度だ。いやでも書きつづけなければならない。地べたにしゃがみ込んでシャベルで糞をすくっているとしか思えないようなときに、いい仕事をしていることはけっこうあるものだ」

 彼は三十歳代をアルコールとドラッグにおぼれて過ごす。小説は書きつづけていたが荒廃した生活を送っていたそうだ。アルコールに依存する人間についてこう書いている。「アル中はオランダ人が堤防を築くように防壁を築く」「ヘミングウェイフィッツジェラルドが酒を飲んだのは、想像力に富んでいたからでもなければ、疎外されていたからでも、精神的に弱かったからでもない。アル中というのは、飲むようにできているのである」

 以上はスティーブン・キングが自らの半生を振り返って書いたところの一部である。この後で彼は良い文章を書くために方法について述べる。それも読み物としてとても面白く示唆に富んでいるので次回に紹介したい。