12月雑感;眞子さま、トランプ、菅首相

 もう12月でコロナに翻弄された1年だったが、残念なことにコロナ感染の勢いは止まらない。ワクチンが開発され、来年には日本でも接種が始まるというのが救いだが、手放しで喜んでいいのかまだ分からない。コロナを避ける生活は従来とはまるで異なるものだが、人がそれぞれの人生を生きていく点では変わらない。コロナがあろうとなかろうと人は明日に向かって歩み、自分のことや世の中の動きに対して喜び、悲しみ、怒りなどの感情を持って暮らしてゆく。

 

 11月末に秋篠宮殿下が記者会見で長女、眞子さまの結婚を認めると、宮内庁には抗議の電話が殺到したそうだ。しかし眞子さまの小室氏への愛情が強く、結婚の意志が固いならばその気持ちを尊重するしかないと考え、秋篠宮さまは会見でそう話されたのだろう。わたしも子を持つ親だから宮様の気持ちは理解できる。一方で週刊誌などで報じられた小室氏の言動を読むと、わたしもこの人が天皇の姪と結婚するのは何かしっくりしない感じを抱くのだが、当人たちの気持ちが強固であるなら結婚して幸せになろうとするのを止めることはできない。

 

 11月30日の日経では編集委員上皇后美智子さまが民間から天皇家に嫁がれるときに元皇族や民族派の人たちが激しく反対したことを取り上げて、眞子さまと小室氏の結婚に反対する人達も同じ過ちをしているように書いている。しかし小室圭さんへの反発と美智子さまの結婚の時の反対を同列に論じるのはおかしいと思う。元皇族たちはともかく多くの一般庶民は当時の皇太子が民間出身の美智子さまと結婚することをうれしく思い祝福していたのだから。小室氏との結婚に反対する人たちは、多分小室氏の出自に反対するというより(そういう人もいないわけではないだろうが)報じられた小室氏の行動や考えに違和感を持っているのだと思う。経済的に余裕があるわけではないのに、学生の時に誕生祝をウェスティン・ホテルのレストランでおこなったり、二十歳の記念の写真を帝国ホテルの写真館で撮ったり、普通の常識がある人ならしないような行動をとってきた人が、皇族と結婚したらどんな行動をとるのだろうかと多くの国民は不安を抱いているのだ。

 美智子さまの結婚に反対した人たちは時代錯誤だったと言えるが、小室氏との結婚に反対している人たちは必ずしも時代錯誤とは言えない。小室氏のような行動の人が皇室一族と結婚するのには反対だという意見は理解できるし、今後も変わらないと思う。もちろん時代とともにそれほど愛情が強ければ結婚を認めるのも分かるという人が増えてはくるだろうが、望ましい結婚相手についての考えはあまり変わらないはずだ。

 

 多くの日本国民は皇室・皇族に対して敬意と信頼を持っていると思う。皇室への深い考察や認識はなくても、国民の象徴として日本の歴史や伝統を体現する存在は大切だと考えている。わたしはそうだ。しかし同時に皇室や皇族は何をしているのか、本当に国民に必要なのかと考える人も増えているはずだ。小室氏への反発もそうした気持ちが反映しているように感じる。タイも国民の王室への敬意が強い国だが、最近の若者たちのデモの理由には王室への反発があるという。特にコロナで多くの人たちが苦しんでいる時に、特権的な身分で贅沢をしている王室の人達に反発が起こるのは当然だ。そしてこれは日本にも無縁のことではないはずだ。新聞などはこうした点を深く分析して眞子さまの結婚問題を論じて欲しいと思う。  

 

 トランプ大統領はいまだに根拠のない主張を繰り返し、権力の座から降りるのを拒否しているが、側近や支援者たちにも離れ始めた人が出ているようだ。トランプは経済的に恵まれない白人層の支持を取り付けて権力を維持してきたが、本当に彼らのために政治を行ってきたかどうかは不明だ。彼は自分の立場を守るためにそうしたポーズをとってきたとしか思えないからだ。それでもトランプへの支持が根強くあるのは、こうした恵まれない白人層に政治が長い間目を向けてこなかったからだろう。口だけかもしれないがトランプは俺たちのためになる政策をやってくれそうだと彼らは本気で思ったのだろう。

 しかし平気で嘘をつく、味方以外の人たちを口汚く罵る、国際政治を短期の経済的な損得でしか判断しない、こんな現大統領が米国にそして世界にどんな害をまき散らしたのかをもっと冷静に分析すべきだと思う。この大統領は自らの欲望実現のために米国と世界を間違った方向へ行かせようとしている。そしてそのことに何の責任も感じていない。

 

 国民への説明責任を放棄してやりたい放題の感があった安倍政権が終わったことで、国民は政治が変化を見せて信頼がおけるものになるだろうと期待した。だから菅政権への評価も高かった。しかし2ヶ月が経って明らかになったのは、従来以上に説明責任を果たさないままに、自らの政策を強引に推し進めようとする政治姿勢だ。菅首相安倍内閣官房長官として長く勤めたが、彼が学んだのは都合の悪いことは政官あげて隠蔽すればよいということだったようだ。首相のもたらす雰囲気は従来の政権よりも暗い不気味なものになりつつある。

 GoToトラベルも一時中止すべき時なのに、エビデンスがないと言って部分的な修正で押し切ろうとする。エビデンスがないときに決断してこそ状況の打開が出来る。それがリーダーの仕事なのだ。エビデンスがあるという状態はすでに手遅れで、そこで手を打っても効果は乏しい。これは政治だけではなく経営でも同じだ。成功する経営者はエビデンスなどとは言わず、自分の眼や勘をベースに決断する。衰退企業の経営者は成功体験にこだわって決断が遅い。まるで今の総理のようだ。コロナ対策分科会の尾身会長や医師会の会長も強く言っているようにGoToキャンペーンなどにこだわっている時ではないと思う。これと同じセンスでオリンピックを推し進めようとするかと思うと恐ろしくなる。オリンピック後に日本がコロナで最悪の国になるのはやめて欲しい。米国の大統領が代わり、世界が大きく動こうとしている時に日本の政治は今のままで大丈夫なのだろうか。