危ない言葉(2)

 菅総理浜岡原発の停止要請に踏み切ったのは、その立地条件による危険性を考えると妥当な判断だと思うが、全体的なエネルギー政策(電力確保の計画)を提示せず、何故唐突にこの件だけを発表したのかについては疑問が残る。いかに良いスタッフがいないとしても、側近からは電力確保の全体像も示さずに浜岡停止だけを言っても、国民の支持は得られにくいといったアドバイスはあったと考えるのが普通だ。にもかかわらず法的根拠も怪しい要請を行ったのは、低迷する内閣支持率をこれでどうにかしたいと考えたからだとしか思えない。菅総理は全体像を示しても、もしその評判が悪かったら後に引けなくなるが、浜岡停止の件なら反対は少ないので、上手くいけば支持率の向上につながるし、最悪でも悪くなることはないと考えたのではないだろうか。

 菅総理の要請発表は、おおむね好感を持って迎えられたようだが、国民に強いインパクトを与えたほどではなかったようだ。反原発/脱原発を推進する人達は、菅総理の発言を無条件で称賛し、全ての原発の即時廃止を主張していたが、その他の人達は妥当だとは思うがそれでどうなるのかといった反応で、内閣支持率の著しい向上効果はなかったようだ。
 
 菅総理は翌日には記者の質問に答える形で、他の原発の停止は考えていないと明言した。これを聞いて、浜岡の停止要請の時に他の原発についても触れなかった理由が分った気がした。菅総理浜岡原発の停止要請に対しての世間の反応を見たかったのだ。浜岡の件に対する世間の反応が極めて良かったら、全原発廃止をぶち上げただろうし、期待したほど良い反応ではなかった上、かえって全体像への疑問が出されたりしたので、他の原発には停止の要請はださないと答えたと考えるのが自然だろう。要するに原発の政策に確たる信念があるのではなく、世間の反応でどうするか考えるという姿勢だったようだ。浜岡原発停止要請というカードを切ることで、国民の間に反原発/脱原発の空気を作り、そこでさらに踏み込んで総理自ら'脱原発’を打ちだすことで、総理のリーダーシップへの称賛を得て、内閣への支持向上につなげようと目論んでいたが、そのようにはいかなかったというのが私の印象だ。

 菅総理が考えていたより、国民は冷静で賢明だったというのが事実だろう。私たちは今回の事故で原発の危険性を再認識したが、本当に原発なしでやっていけるか確信が持てなかったのだ。長期的にクリーンエネルギーへ移行することに反対する人はいないが、今直ちに原発をなくしてやっていける方法を示されなければ、迂闊に反原発などとは言えない。発電の代替案として様々なものが議論されているが、今すぐにそれらに転換できるわけではない。相当に思い切った投資を続けても20-30年はかかると考えるのが普通だ。そうなるとその間の電力の供給不足をどう補うかについて、現実的な対策を考えなくてはならない。

 国民一人一人が節約して頑張れば乗り越えられるというのは、一種の精神論で実効性がない。わたしは当面は安全性が高いと考えられる原発を使用していくしかないと考えている。千年に一度といわれる今回の地震津波に襲われても、女川原発の損傷は小さかった。福島第一原発の損傷が女川程度だったら、こんなに深刻な事態にはなっていなかったろうし、国民の原発に対する意識も今とは異なるものになっていただろう。女川の損傷が軽微だったのは立地が比較的高い所だったからだそうだが、千年に一度の災害に持ちこたえた事実は大きい。こうした原発が他にあるなら、代替の電力源に移行するまで、それを使用するのが現実的な選択だと思う。脱原発の言葉に反応して思考停止に陥り、精神論のような非現実的な議論をするのは、賢明ではないし危険だ。第二次世界大戦で日本が不利な状況でも停戦をしなかったのは、国民全体がこのような精神論に依存して思考停止になっていたからだろう。現実を見ずに戦争を続けようとした軍部は、精神論を国民に強制して冷静な判断をさせないようにしたが、同じようなことは現在でも起こりうると思う。脱原発のような耳障りの良い言葉を使って国民を思考停止にして、具体的な代替案もないままに物事を進めたら、この国は混乱をしつづけるだろう。電力供給の不足が経済や生活にどんな影響をもたらすかを冷静に評価せずに、国民の知恵と努力で乗り切ろうなどと言うほど愚かなことはない。

 私たちはこうした危ない言葉がもたらす危険に絶えず注意する必要があると思う。ましてや政治家が自らへの支持をあげるために、危険な言葉を利用しようとしたら危険だ。長期的に正しい選択をするのは難しいことではないが、そこに至る道筋を作るのは簡単ではない。だからといって短期・中期の問題をしのぐための具体策を持たないわけにはいかない。企業が10年先の目標と戦略を持ったとしても、そこに至るまでの利益確保の方法がなければ倒産してしまい、長期戦略を実行することは出来ない。国の経済も同じだ。現在の繁栄は長い間の知恵と努力で実現したのものだ。この水準か10%程度低いレベルの繁栄を維持するだけでも、相当な努力がいる。のほほんとしても享受し続けることが出来ると考えるなら誤っている。そしてエネルギーや電力の確保はその繁栄のベースとなるものである。いい加減な対応をしてはならない。

 菅総理はこれまでも、場当たり的な発言や行動を繰り返してきたが、その背景には氏が国民に訴求力がある危険な言葉や対策を模索してきたことがあるのではないかと思う。氏の言動が意味するのは、多くの国民が反応し、支持率のアップにつながるキーワード捜しだったのではないか。国民の信頼と支持を得るためには、政治家としての哲学に基づいた信念ある発言と行動を示すことが基本だが、菅総理はそうした地道な努力より、一発逆転のホームランを狙っているように感じてならない。そんなものは存在しないし、愚かな政治家は戦争をして事態の打開を図ろうとするが、管総理にも戦争ではないものの、同じような危険なにおいを感じる。