和か洋か

 今野敏の「隠蔽捜査4;転迷」を読み始めた。まったくストレスなくスラスラと読めて気持ちいい。著者の力量のせいなのは間違いないが、それだけではないような気がする。この一年位日本人のミステリーを読んでいなかった。その代わり欧米の物に目が行き、特にジェフリー・ディーヴァーを好んで読んでいた。思いつくままに読んでいたので、リンカーン・ライム シリーズの第一巻の「ボーン・コレクター」がまだなのに気付き、今年の春に文庫本上下を買い読み始めたが100ページ位のところで先に進まなくなった。ストーリーはそれなりに面白く今後の展開を期待させるのだが、読む気が湧いてこなかった。その内体調がどんどん悪くなり、手に取るのも嫌になってしまった。

 最近少し元気になり、授業も山場を過ぎたのでミステリーでも読もうかと思って、冒頭の今野敏のものを読み始めたのである。「ボーン・コレクター」はそのままだ。J・ディ−ヴァーの文体がどうとか話の展開がどうとかいうのではない。大ベストセラー作家なのだから、文体がお粗末なはずはないし、プロットが凡庸なわけでもない。また池田真紀子氏の翻訳も素晴らしい。ただわたしに読む気が湧いてこないのだ。

 やはり体調と関係があるような気がする。元気いっぱいでゴルフや酒をバンバン楽しんでいた時は外国のミステリーが読みたくなる。日本のものはあっさりし過ぎて物足りなく感じるのだ。今の状況とは正反対だ。まるで食事の好みのようだ。疲れて食欲がない時は洋食より和食が良くなる。こってりしたものよりさっぱりしたものが食べたくなる。

 確かに欧米のミステリーもこってりしてしつこいところがあり、とても疲れている時など読む気をそそらないのだ。具体的に日本の物とどう違うのかというと情景描写だと思う。(もっともこれはミステリーに限らず小説一般にも言えることだ)欧米の小説は情景描写がこれでもかこれでもかと続き辟易することさえある。作者が描いた情景が確実に読者に伝わるように詳細に書き込むのが普通のようだ。読んでいてこれは映像にしやすいだろうなと感じる。

 この点日本の小説は割合あっさりとしている。あまり細々とは書かない。簡潔な描写であっても、読者が情景を心に描く時にあまり間違ってしまうことはないようだ。この辺がプロの腕の見せ所なのだろうか。もっとも欧米は人種も多様なので受け取り方も多様で、相当書き込まないと作者の意図通り伝わらないのかもしれない。いずれにしろこの点で日本のミステリーの方が、特に日本人には分かりやすく読みやすい。

 もちろんどちらが良いということではなく、文化的、歴史的な違いを反映しているのだ。会議や食事時でも欧米人はとてもよくしゃべる。どうでもいいことまで飽きもせず議論を続ける。日本人の方が要点を的確に話すと感じることも多いが、日本人の中にはまるでコミュニケーションに(どう伝わるか、そもそもこれで正しく伝わるのか)関心のない人も少なくない。こういう人達を見るとやはりしゃべらない文化はちょっとまずいなと思ってしまう。そんな人達は西欧のミステリーを読んだ方が良いのではと感じてしまう。

 日本のミステリーばかり読む人は恐らく欧米のミステリーを読もうなどとは思わないのかもしれない。しかし欧米ものの良さは確かにあるし、中には大傑作もある。読んで損はない。刺身やそばだけでなく、ステーキやパスタを食べるのも良いようなものだ。食はオープンになっていても読むことはまだ遅れているのだろうか。もちろん体調の良い時の話だ。疲れていたらやはり和食で日本のミステリー、これは否定できない。もっとも他の分野はよく分からない。女性などもそうかなと思うが、わたしにとっては永遠の謎である。