「この先、何かしたいことはある?」

 このところ体調がすぐれず、ゴルフもしないし酒も飲まない。最後にゴルフをしたのが5月23日でその一週間以上前から動けずにゴロゴロしていたから、もう一ヶ月くらいおかしい状態だ。そういう中で22日、23日と前から決まっていたゴルフを強行してすっかりおかしくなったような気がする。その後はしつこくひどい咳が一週間くらい続き、それがやっと良くなったと思ったら喉が猛烈に痛くなって今も治らない。医者から薬をもらっているのだが本当にこじれると中々良くならないものだと思う。そんな中で放送大学の授業が始まり、週一回午後に1時間25分の講義を二回やるのだが、これがかなりきつい。先週も終わるとぐったりしてしまった。

 そういえばわたしの兄も妻の兄も60代半ばで死んだことを思い出す。その年齢で死ぬ人は割合多く、この辺に一つの壁があるような気がする。わたしは本質的にはバカで楽観的なので、いま自分が死ぬことなど真剣に考えない。しかし色々な機会に自分が死んでもおかしくない年齢になったことはつくづく感じる。そんな時他にやりたいことはないか、やり残したことはないかなどと考える。まあ人間とは面白いものだ。

 冷静に考えると、これだけはしておきたいとか、これをやり遂げなくては死にきれないというものはない。そんなことが言える人はとても幸せな人なのだろうと思う。人生でやりたいこと、やるべきことが明確になっていたのだから。そもそもわたしにはやりたいことなどあまりなかったような気がする。とりあえず目の前にある問題に対処することで時間を過ごしてきた。会社に入ったのも生活のためで、外資系は自分に合っていそうだし給料も良さそうだ、というのが理由だ。その会社ではいろいろな経験をさせてもらい、それなりの給料ももらえて幸運だったと思う。まあそのための努力はした、言い換えればそれなりの貢献なり献身はしたという感覚はある。振り返ってそれなりに良いサラリーマン生活だったと感じる。もし別の道を歩んだら違う人生があったとは思うが、それの方が良かっただろうとは考えない。どちらにも満足と不満があるはずだからだ。

 そんな生き方をしてきたからこのあとで何をしたいかと聞かれると困ってしまう。取り立てて何の才能もないので、何かに打ち込むということがない。ゴルフは好きだが、それほど上手くなれる才能はないから楽しめばいいということになる。だから今までに印象に残ったこと(もう重要な仕事はできないから仕事以外だが)を思い起こしてみる。そうするとやはり海外での出来事が多い。出張先で時間を見つけて街を歩いたことや、ふと入ったカフェやレストランの佇まい、滞在先のホテルで毎日のように行ったレストランの給仕の説明など鮮明に思い出すものがある。まあノスタルジアといえばそんなところだ。

 カフェやレストランなど思い出せないところがほとんどだから、もう一度同じところとは言わないがヨーロッパの街を一週間ずつ滞在して回るのがいいかなと思う。アメリカも良いがNYなどはゆっくりするより慌ただしく過ごしたほうが楽しい。サンフランシスコなどはぶらっとしていても楽しいかもしれないが。後はオーストラリアやニュージーランドでゴルフしながらボーっとするのも良いと思う。三週間くらいが旅行期間としては良いだろう。

 そんなことをしながら年をとっていければいい。凡庸な人生もそうやって終わりを迎えられれば悪くはない。しかしそんなことができるのもせいぜい75歳くらいまでだから、その後はどうするかまだ分からない。痛みを伴う重大な病気に無縁でいられたら良いと思うが、これも運次第だろう。89歳で死んだ父がよく「生きているのも大変なんだ」と言っていたのが分かるような気もする。やはりもうそんな年になったということだ。