最近読んだ本 (2) 2016年春

 この本を読むまで高野和明も「ジェノサイド」も全く知らなかった。本屋でぶらぶらしていた時にこの文庫本の帯に「このミステリーがすごい! 2012年版」1位と書かれていたので買ってみたのだ。読み始めてすぐにはまった。上下巻のとても長い小説だが、もっと先を読みたい、はやくどうなるか知りたいとワクワクしてページをめくり、長さを感じなかった。こんなに次の展開を期待して小説を読んだのは久しぶりだ。物語の内容を書いてしまうと身もふたもないことになる小説なのでそこは書かないが、ワシントン、コンゴ、東京で別々の出来事が次から次へと展開し、これらがどう結びつくのか興味がわきあがるが、どうなるのかさっぱり分からないのが凄い。

 一言でいえば大ぶろしきを広げ見事にそれをたたんだというか、読者に大ぼらを完璧に信じ込ませたという感じだ。読んだ方はその作り話のスケールや精巧さに我を忘れ感心してしまう。プロットを話せないので読んでみたらとしか言えないのだが、この小説は2011年上半期の直木賞候補になっていたことを後で知った。選考委員の意見を読んでいるとわたしと同じような感想を持った人がいるのでそれを紹介した方が良いかもしれない。

 2011年の第145回直木賞には池井戸潤島本理生高野和明辻村深月葉室麟の作品がノミネートされた。受賞作は池井戸潤の「下町ロケット」で9人の選考委員の8人が受賞に賛成している。高野和明の「ジェノサイド」は林真理子が強く推し、宮部みゆきも前向きの評価をしたもののほかの委員の支持が得られずに受賞を逃した。しかし多くの委員がその面白さに触れているので以下にまとめた。

 林真理子「映像出身の作家が陥りがちな、ノベライズめいた粗雑さがなく、視覚的なのである。これほど面白い小説に久しぶりに出会った。よく言われる「頭の体力がある」を通り越して「頭のアスリート」のようなこの小説こそ直木賞にふさわしいと選考会に臨んだのであるが、文学性が低いということで受賞に至らなかった。面白いだけの小説に直木賞はふさわしくないが、この小説には面白いだけでなく実もある。この実こそ文学性というものではないだろうか」
 伊集院静「候補作の中でどの作品より興奮して読んだ。この作品の優れたところは散りばめられたすべての事象をひとつの点に向かって邁進させた点である。群像を描いた一枚の絵がよくよく個々の表情、姿を眺めるとひとつの点に透視図のように集約されるのに似ている…」
 桐野夏生「力作である。テーマもディテールも面白かった。手に汗握って読んでいるうちに、物語の収束点が見え過ぎてスリルが失われる…」
 北方謙三「力作にして労作だった。スピーディなストーリー展開だけでなく、その中心に人の心がしばしば垣間見えるのにも、心を動かされた…」
 宮部みゆき「敢闘賞を差し上げたい。完璧な徹夜本でしたし、こんなに豪快な大ボラを楽しんだのは、本当に久しぶりのことです。この作品のもっとも素晴らしいところは、インターネットによって一瞬に世界と繋がることができるようになった現代社会でも、真に人間同士を結びつけるのは情報ではなく、人と人とが血の通った手を取り合わなくてはいけないのだというメッセージを放っていることです」
 阿刀田高「前半は心躍る展開だが、後半は筋運びが、よくあるパターンへと傾きーー小説より映画の台本かなーーと感じないでもなかった。それにしても詳細で、豊富な情報量を含む作品だ。作者の努力と知識を大いに称えたい」


 林真理子を含め6人の選考委員が文句なくこの小説の面白さを認めているのだが直木賞は取れなかった。(後の3人の選考委員、渡辺淳一、宮城野昌光、浅田次郎はストーリーだけ面白くても人間の心が描けていないと全く評価していない)総じて面白いが文学性が低いというところだ。確かにこの本はミステリーとSFの中間的な作品なので、話の展開に非現実的なところが出てくる。そこが映画的かもしれないし、ストーリー重視で人間が描かれてないと言われたのかもしれない。しかし現代の日本を代表する人気作家たちがこれだけ面白いと評価した小説が、人の心が描かれていないとの理由で直木賞に外れるのには疑問がある。何より小説の本質は読者をワクワクさせる面白さであるべきで、それを達成した小説には人間のまたは人間の営みの本質が捉えられているはずである。そうでなければワクワクして読んだりしない。林真理子の選評が的を射ていると思う。いすれにしろ読んで損はないというのがわたしの結論だ。


カズオ・イシグロについては最低限の知識は持っていた。日本人の両親の元に生まれ5歳の時家族で英国に渡った。家族は帰国せずカズオ・イシグロもそのまま英国で育ち英国に帰化した。その意味では日本生まれの英国人である。20代後半に小説家としてデビューし現代英国を代表する作家となっている、というところだ。これまでにその作品を読んだことはないし読もうと強く思ったこともない。それが今回読むことになったのは偶然本屋で手に取ったからである。なぜ手に取ったのかというと本屋で平積みになっていたからである。なぜ平積みになっていたのかというと、わたしは知らなかったが後述のように当然理由はある。平積みだと手に取りやすいし帯も読めるので本の内容がある程度分かる。こうした経緯で「日の名残り」を読むことになった。本は出会いとはよく言ったものだと思う。

 カズオ・イシグロは最近日本で注目を浴びていた。それが彼の本が平積みになっていた理由だ。彼が2005年に書いた6番目の小説「わたしを離さないで」が今年TBSでドラマ化されたのだ。TVドラマに興味のないわたしは全くそのことを知らなかった。主役は綾瀬はるかで共演が三浦春馬水川あさみでドラマの評判については知らない。だから当然平積みも「わたしを離さないで」が中心だったはずだが、元来鈍いわたしはそんなことには気づかずに「日の名残り」を手にとって購入したのである。

 「日の名残り」は英国の名家で20世紀前半に長く執事を務めた男が、彼の人生の目標であった'品格ある執事’とは何かについてそれまでの自分の仕事人生を振り返りながら語る話だ。主人公は彼の新しい主人になる米国人から休暇を取ることを勧められ、主人のフォードを借りて英国を旅する。初めて訪れる町や風景に感動しながら、自分が歩んできた道、仕事にかけたプライドを思う。日本にはなじみの薄い執事という職業そのものがわたしには興味深かったし、仕事にすべてをかけて打ち込んで執事として成功した男の人生の哀しみや寂しさが最後に浮かび上がり主人公もそれに気づくあたりが切ない。

 主人公が最高の紳士とあがめて仕えた英国人の元主人が、時代の変化に対応できず政治的な失敗から社会から抹殺され、屋敷が執事を含めて米国人に売り渡される顛末は、英国が国際社会における影響力を失い米国にとって代わられる時代を表しているようだ。しかし主人公はそんな大きな時代の流れなど分かるはずがなく'品格ある執事’のあり方にこだわり続ける。日本のサラリーマンにもいそうな男だ。わたしは別に皮肉を言っているわけではなく、愚かしいと言っているのでもない。大半の人生とはそういう部分が多かれ少なかれあるものだし、平凡な人間でも自らの仕事に全身全霊で打ち込めばプロとしてある水準に到達できるのは事実だ。しかし一方でだからといって仕事(会社)だけにのめりこむことが豊かな人生をもたらすかは疑問だ。月並みだが自分の楽しい時間を持つことも大切だ。それが何かはまた難しい問題で、出来れば人にも話せて健全なほうが良いのだが、そうでないから仕事とのバランスがとれるとかストレス解消になると言われると、それもある程度事実なので反論が難しい。この小説を読んでいるとそんなことまで考えてしまう。

 1989年に英国最高の文学賞であるブッカー賞に輝いたこの小説は文章がとても格調高い。わたしは翻訳で読んでいるので翻訳家が素晴らしいことになるのだろうが、おそらく原文がそうなのではないのかと思う。日本人の両親を持つ英国人がそんな英語を駆使して世界的な作家になっている事実はとても興味深いが、ノーベル文学賞は是非村上春樹に先に行ってほしい。