英書を読むことの勧め

 英語を公用語にする日本企業が増えてきたことで、また日本の英語教育についての議論が盛んになっている。英語教育をどうするかは平泉・渡部論争が有名でこれが1974年頃だから、もう30年以上も続いている。グローバル化の進展で、当時とは大きく環境が変わった今では英語教育に関する議論の中身も変わってよいはずだが、相変わらず「何故日本人は勉強した時間のわりに英語が出来ないのか」という問題点は変わっていない。わたしも英語圏に旅行に行くとパックツアーで来ている若い人達を良く見るが、これが見事といってよいほど英語が出来ない。だからパックツアーで来ているのではないかと言って議論をごまかすのではなく、子供でも分かるようなことが聞き取れないのは、やはり教育に問題があると考えてみるべきではないか。英語教育の中身を根本から変えて実践的なものにすべきだと思うが、そうなるとそれに対応できる教師がいないという問題があるのかもしれない。

 一般の人が英語が必要なのは旅行の時だから、ホテルを探し、バスや電車に乗って目的地まで行ける、そして現地の人や英語のガイドが話すことがどうにか分かるといった教育をしたほうがずっと面白いし、役立つと思う。その他では野球やサッカーをテーマにしたり、簡単な数学や化学、明治維新のころの日本史などを英語の授業の一部に加えたらよい。高校の英語の授業が文学に近いいわゆる一般教養に偏りすぎているのが問題なのだ。高度な英語を学びたい学生には選択でそうしたクラスを用意すればよい。以前わたしのアメリカ人の同僚が家に遊びに来た時、大学で教育を専攻したという彼の妻が、当時高校生だった私の娘の英語の教科書を読んで、少し難しすぎるのではと言っていた。娘の通っていた学校は英語教育で有名な学校だったからかもしれないが、アメリカ人から見ると教科書のレベルと、実際の英語力のギャップが気になったのかもしれない。

 わたしは英語教育の専門家ではないから、この問題には深く立ち入らない。もう少し英語が出来て、英語を使う仕事をしたい、または仕事で使うことがある人達へのアドバイスをしよう。英語で苦労し、あまり上手くなれなかったわたしには、アドバイスできることはたくさんあるのだが一つ言うとすれば、もっと英書を読みなさいということだ。日本人は英語の読み書きは出来るが、聴くのと話すのが駄目だと言う人が多いがそれは全く間違いだ。日本人で曲がりなりにも英語が読める、書けると言って良い人はきわめて少ない。

 私のようにアメリカ系の企業で働いた者にとって重要な書類のほとんどは英語だし、直接の上司はアメリカにいたのでメールも電話も英語しかコミュニケーションの方法はないので、あるレベルの英語は必須条件だ。会社の文書はビジネスに特化している上、ロジカルに描かれているので、読み理解するのにそれほど苦労はいらない。複雑な内容でも日本語より少し時間がかかるかなといった感じである。しかしこれでは全く不十分で、ロジカルなビジネス文書は日本語と全く同じに読める、又は斜めに読めるくらいにならないといざという時に役に立たない。いざという時とは外国での会議の時などである。
 私がよく直面した問題は、相手の英語はほとんど聞けているが、完全には意味が理解出来ないということだ。欧米の人は長く話すのが好きなので、集中して聴く必要があるのだが、そうすると英語というか単語というか構文はきちっと耳に入るのだ。しかし意味が分からないことが時々ある。文書なら読み直して確認できるのだが、会議だとそういうわけにはいかない。実際には会議をリードする人が発言内容を確認したり、他の人がそれに対して意見を言う過程で、分かるのが大半だが、これはやはりストレスになる。一対一で話している場合は確認が出来るが、15人とか20人の会議で日本人が一人となると中々確認して会議の流れを止めることは出来ない。

 これは私の英語を読む力、書く力と密接に関係がある。わたしがもっと早く英文が読めれば、また外国人が使うような言い回しで英語が書ければ、かなりというかほとんど解決する問題である。そういう意味で読む、書く、聴く、話すは一体でどれかだけ出来るといことはあり得ないのだ。シェークスピアディケンズを読むならいざ知らず、論文やエッセイ、ニュースを辞書を片手に読んでいるのを、英語を読めるとは言えない。

 この問題の解決方法と言っても、私の例でわかるように簡単に高いレベルの英語の力がつくわけではないから、一歩一歩進むしかないのだが、効果的な方法の一つは英文を読みまくることである。英文と言ってもネイティブが書いたものでなければ意味がないので、毎朝ジャパンタイムズを読んでいますと言うのも、やらないよりは良いという程度だ。ジャパンタイムズなら一面よりも、欧米のジャーナリストが書いた特集記事を中心に読むべきだろう。それよりも小説を読むのを勧めたい。小説は何が良いと言って面白いからどんどん先へ進むことができる。シドニー・シェルダンなどは入門書としては最適だ。英語はやさしいし、話はドキドキワクワクで楽しい。読み始めは苦労するかもしれないし、知らない単語を辞書で調べることもあるかもしれないが、2-30ページ進んだらあまり苦労はいらない。特にこうした本は翻訳があまり良く出来ていないことが多いので、原書で読んだ方がはるかに雰囲気が分かる。

 息子の部屋にジョン・グリシャム(John Grisham)の本が何冊かあったので、暇な時読み始めたら、これが面白くてはまってしまった。その後自分でも買ってグリシャムの本の7割くらいは読んだと思う。翻訳書をブックオフで見つけて立ち読みしたが、全く違う本を読むような感じがした。勿論村上春樹サリンジャー訳を例にするまでもなく、翻訳書の大半は素晴らしいものである。ディック・フランシス(Dick Francis)などは競馬の用語も多く、原書で読んだ時より菊池光さんの翻訳で読んだ方が早く読めてワクワクする。

 英語の本を電車の行き帰りなどに読むようにすれば、自然に力が(十分ではないが)付くはずだ。これは今まで多くの人に勧めたが、分かりましたと言ってもやる人は中々いない。私の息子は例外的にこれを実践した一人で、書棚にはペーパーバックスが沢山揃っている。この点だけはほめても良い。半年ほど前に洋書のセールで買ったダニエル・スティール(Danielle Steel)の’Sunset in St.Tropez’(翻訳はないと思います)という本を娘にやったが3カ月しても読んでいないと言うのでがっかりした。薄い本で夫婦のきずなや初老の恋愛を書いた他愛のない、しかし読ませどころを知っている面白い本なので、読み始めたらすぐに終わると思うのだが、読み始める気力というかやる気ががないのだろう。ちなみにTOEICの点で言うと息子も娘も905か910点とのことだが、二人ともビジネスで十分とは全く言えないレベルである。読者の方にもTOEICに興味がある方もいると思うが、それを励みに勉強する意味はあっても、900点を超えたとしてもビジネスの現場では十分には役立たない人がほとんどだ。子供たちより大分高い点をとっている私が言うのだから間違いない。要するに英語で満足のいくレベルの仕事をしようと思えば、勉強をし続けるしかないのだ。道があまりに遠いからと言って何もやらないほど愚かなことはないのだから、英語に少しでも自信があれば英書を読んで読みまくるくらい、今から始めたらどうかといのがアドバイスである。