国内ビジネススクールの実情(2)

 前回のブログで国内のビジネススクールの厳しい現状について書いた。一言で言えば学生が集まらないことである。慶応がビジネススクールを始めた頃は企業派遣の学生がほとんどだったが、現在では自分で授業料を払う学生が大半になっている。それでも慶応はどうにか昼間のMBAだけでやっているが、早稲田は昼間のコースは大半を東南アジアからの留学生に頼り、日本社会からの評価は夜間のコースの日本人学生に頼っているという状況である。早稲田がこれだからその他のビジネススクールの実情は推して知るべしだろう。
 一方国からの援助が得られる国立のMBAコースである一橋や神戸大学などは、安い授業料でもやっていけるので経営も楽だし、学生の側から見てもコストベネフィットの点で魅力ある存在だと言える。しかしこれらは例外でビジネススクールで学びたい学生のほんの一部しか受け入れられない。

 日本のビジネススクールの問題は卒業生の価値があまり高く評価されないことにある。少なくとも2年間学業に専念し(本来得られるはずの所得を捨て)、高い授業料を払うというコストに見合う確かなメリットがないのである。これは全てがビジネススクールの責任というわけでもなく、日本の社会そのものがプロフェッショナルとかその知識をあまり評価しない体質があることも事実だ。医師とか弁護士とか公的免許があり、その取得が難しい場合はそれなりの評価が得られる上、同業者の仲間意識が強く、参入障壁を高めることで取得にかかったコストや努力に見合った報酬を確保することが出来る。もっとも弁護士も法科大学院ができたり、医師も都会では過剰ぎみだったりして昔ほどおいしい職業ではなくなっているのが現実だ。しかし日本のMBAは投資に見合うリターンはあまり期待できない。

 だからといってビジネススクールに問題がないわけではないだろう。評価をしない社会の方が問題だといってすむなら存在そのものに意味がない。学びたい人達はそれなりにいるのに、コストベネフィットの点でしり込みをしてしまう状況を打開するのはやはりビジネススクールそのものしかない。教育を提供するサービス産業だから、その教育の中身そのものが時代の要請に合っているかを検討する必要はあると思う。授業料に見合ったものが学校と授業で提供されるなら、仮に再就職の際に以前より大幅な給与の増加がなくても、卒業生は学んだ内容の価値を評価して、ある程度の満足感を感じるはずだからだ。大半の卒業生はビジネススクールで学んだから、将来ビジネスマンとして成功して大企業のマネジメントになれると考えるほど楽観的ではないだろう。

 ビジネススクールではケーススタディと講義がなされるのが普通だ。ハーバード式のスタイルをとる慶応ではケース中心だが、他はその二つのミックスというところだろう。ケーススタディは現実に起こったビジネスの問題を取り扱うから、講義だけで進めるよりは、より現実に近いところで経営を学べるメリットがあるので、両方を上手く組み合わせるのは良いやり方だと思う。

 教師を見ると社会的評価の高い一橋と慶応は学者育ちが大半だ。勿論研究対象がビジネスの諸分野だから一般的な学者の人たちより、ずっと現場に近いところにいて、企業の役員や顧問をしたり、共同で研究するのは普通だ。しかしそれらの人たちの研究分野や本を見てみるとあきらかに学者であり、彼らもその立ち位置に自信と誇りを持っているように見える。こうした教授陣に学ぶことは日常のビジネスの出来事の本質を理解する上では大変役に立つ。一年目に経営全般の各学科を学んだ後で、専門分野を学ぶ時には特に有効だろう。しかしこうした深い知識を学んだ場合、シニアのマネジメントになるより、会計とか財務とか生産というある分野の専門家になる方向に行きやすいのではないかと思う。そうなら企業のマネジメントを育てると言う目的とは必ずしも一致しない。勿論ある専門分野の部長なり上級のスタッフなら企業幹部であることは違いないのだから目的は合致しているという意見もあるかもしれないが、彼らが本当に経営を行うマネジメントとは言えない。
 また慶応のように自費で学ぶ人が増えてくるとビジネススクールでサラリーマンのキャリアをリセットするか、同族企業でマネジメントになるための準備であることが大半なので、あまりアカデミックな方向に振れてしまうのも学生のニーズには合わないと思う。

 一方早稲田ビジネススクールは学者育ちとビジネスの世界から移ってきた人がミックスされている。その意味では一橋や慶応より多様化されていて現実に近いといえるかもしれない。しかしビジネスの世界から移ってきた人たちを見ると大半は大手企業に4-5年いて、そこから米国のMBAに派遣され、帰ってきてからそこを辞めて米系のコンサルティング会社で働いたという経歴である。中にはコンサルティング会社の後で外資系企業の社長にヘッドハントされた経歴の人もいる。しかし大企業は肌に合わないので、会社の金で米国のMBAをとってコンサルをやり、早稲田のビジネススクールで教授職を得て箔を付けたと言った感じである。この人達をビジネスの世界出身と言えるのだろうかという疑問は感じる。ビジネスはビジネスだが、極めて特殊な範囲のビジネスだと思う。彼らがコンサルタントとして他の企業を分析し、改善案を提示するという意味でビジネスに関与してもそれはあくまでも第三者の立場だからだ。事業会社を運営し現実に改革を実施してゆくのとは全く違う。

 早稲田の学者系の教授はビジネスに関連した課題を深く研究し、学生にもそれを求めるという点で前期2校の教授に近いのだろうが、コンサルティング会社上がりの教授はコンサルタントの視点で経営を見ることを教えるのだろうか。それはそれで有益な点があるし、分析方法、プレゼンテーションの技術等で学生も得られる点があるが、コンサルティングの見方だけでは実際のビジネスは出来ないと思う。学生の方もぼんやりとはそれを感じるのではないだろうか。

 こう考えるとビジネススクールはそこで真剣に学べば学ぶほど、卒業後はビジネススクールで教えるか、会社で余人をもって換え難い専門家になるか、または語学ができたら外資系のコンサルティング会社にいくのが良いということになるようだ。大企業のシニアマネジメントを目指すのに優れた教育を施す内容とは必ずしも思えない。勿論大企業のマネジメントは教えてなれるものではないという議論があるし、それはかなりの点で正しいだろうが、その困難な課題に挑戦するのがビジネススクールの仕事だとも言えると思う。こう考えるとやはり日本のビジネススクールは卒業後大企業に入って上を目指したいとか、起業をしたいとか考えて授業料を払う人のニーズに合った教育をしているとはあまり思えない。

 大企業で激しい競争に勝ち抜くのには何が必要か、それをどうやって教えられるか、こうした問題について競争の渦中に入ったことのない人や、すぐにそれを止めた人に、それを語れるはずがない。物事の真髄を見極める力を学問的厳密さから教えるのと同時に、ビジネスの現場で生き残る力を与える教育でなければ意味はないし、高い授業料に見合うとは思えない。