国内のビジネススクールの実情(1)

 最近国内のビジネススクールのことを調べる機会があり、その数の多さに驚いた。文部科学省のサイトによると昨年の4月の時点で32校で、会計の大学院も含めると49校である。ここではビジネス校に的を絞って議論するが、32のうち国立が12校である。また日本のビジネススクールの草分けである慶応ビジネススクールはこの文科省専門職大学院のリストには含まれていない。恐らく慶応は国が専門職大学院に力を入れ始める前の1978年に大学院経営管理研究科修士課程(今でもこれが正式名称)として認可されたので、通常の大学院として扱われ専門職大学院のリストには入っていないのかもしれない。専門職大学院では修士論文の作成は求められていないが、慶応では修士論文の提出が課程修了の必要条件である。

 慶応のビジネススクールが開校してから修士課程(MBA)になるまでには10年間かかっている。初めの10年は1年制の授業で、学生や教師の質は高くても、当時の文部省からは専門学校のような扱いを受けていたと開校当時に苦労された教授の話として聞いたことがある。文部省は慶応がやろうとしたことを職業教育にすぎないと軽視していたそうだし、産業界の大半も企業内訓練の方が有効で投資効率が良いといった認識だったそうだ。当時の産業の主流であった重厚長大系の企業は東大出身者が幹部となっていたので(実際人事部の評価は新入社員で何人東大出をとったかで決まったというマンガみたいな話があった)そんな会社の幹部候補生が慶応のビジネススクールなどで学ぶものはないという感覚もあったと聞く。そうしたことを考えると時代は変わったと思う。今や国が専門職大学院を奨励しているのである。同時に文部省の役人の先を見る目のなさや、重厚長大企業の幹部の頭の固さ(それは役人と通じるものがある)をつくづく感じる。そうした企業の大半が時代の変化についていけず構造不況業種になったのも当然だという気がする。一方で慶応のマネジメントの方々の進取の気風はすごいものだと思う。

 わたしは1979年に慶応ビジネススクールMBAの2期生として入学したが、勤務先のエッソ石油からの派遣だった。費用はすべて会社持ちで給料も支給された良い身分である。もっとも当時会社は海外のビジネススクールの派遣制度も持っていて、そちらの方が一つ上という感じがあった。国内留学が公募制であったのにそちらは部長による推薦というクローズドな選考プロセスであったので、私のように支店で営業をしていると英語を使う機会もなく、公募の方に向かうしかなかった。社内選考の面接で、営業担当の副社長からもう少し待って海外でMBAをとったらどうかと尋ねられたが、選考のプロセスをよく知らない当時の私には答えようもなかった。結果として慶応に行ったが、海外に行った方が良かったかどうかはいまだに分からない。それは慶応のMBAよりシカゴやミシガンのMBAの方が世間的には評価されるし、英語ももう少し上手くなっていたろうと思う程度である。海外のMBAに行ってていたら途中でエッソをやめてコンサルティング会社に行っていたような気がするし、エクソンのエグゼクティブにはなれなかったろう。また当然慶応ビジネススクールでの人脈も持ち得なかった。私の個人的なことを長々と書いたが、わたしが抱いたビジネススクールに対するこの感覚は国内のビジネススクールの現状を理解する上で重要な点を示すものだと考えている。

 さて国内のビジネススクールの現状を考えると、私の時代と最も大きく変わったのは学生である。私の時は2クラスで70人強の学生がいたが8割くらいが私と同じ企業派遣だった。残りの人が自分の費用で来ていたが事情は様々だったように思う。このように偏った学生の構成がビジネススクールの本来あるべき姿からみて健全かどうかは分からない。しかし学生の質や勉強への熱意と言う点で、大企業から選ばれてきた学生は一定のレベルに達していたし、大半の学生は良い成績をとらなくてはならないというプレッシャーを感じていた。勿論私費で来た人の中にも極めて優秀な方もいて、卒業後一流企業の社長や役員になったり、他のビジネススクールの教授になった人もいる。それでも全体のレベルを決めていたのは多数を占める企業からの派遣者で、産業も出身校も多岐にわたっていて、闊達な議論がなされていた。 企業派遣者のほとんどは元の会社で役員か部長になっているが、これが慶応ビジネススクールで学んだせいかどうかはわからない。

 現在は企業派遣がめっきり減って慶応でも10%位のようである。武蔵大学の安達智彦教授によるとリクルートの調査では1992年には51%だった企業派遣が2002年には16%になったそうである。多くのビジネススクールでは昼の2年制の学生が集まらず、夜間と土曜日に授業をするコースに頼っているのが実情のようだ。早稲田のビジネススクールでは昼間の部の学生の半分以上が東南アジアからの留学生で、日本人学生は夜間コースに行くのが普通だそうだ。慶応は夜間に頼らず、昼間の2年制コースだけでやっている稀有な存在だが、自費で学ぶ学生が大半になった状況でどうやって質を保ってゆくかは悩ましい問題だろう。また学生が集まらない状況でビジネススクールの経営をどう維持するかも大きな問題だ。企業経営の根本を教える学校が破綻してはしゃれにならない。この点では国立の一橋や神戸大は苦労が少ないのかもしれない。

 ビジネススクールの問題点を整理すると企業派遣が何故減ったのかという点と全体的な志願者数の減少と言う2つの点に絞られる。企業派遣の減少については企業の採算に対する姿勢が厳しくなったことが考えられる。1990年代の失われた10年で日本企業はコストの削減を徹底的に行い、グローバル競争に耐えうる体質を作ることで2000年以降の業績回復を成し遂げた。長期的に投資の回収を行うビジネススクールへの派遣などはまず削減の対象になったとしても不思議ではない。特に若い社員の会社へのロイヤリティが薄れていることを考えると、ビジネススクールに派遣して数年で辞められたら、会社にとっては無駄な投資となってしまう。優良な企業であれば、競争が厳しいほど社員教育の重要性が高まることを十分理解しているので、コストカットのためだけに教育訓練をやめることはしない。しかし2年間仕事を離れてビジネススクールに派遣するのは、リスクとコストがいかにも大きいので、別の教育方法を模索しているのが実情だろう。

 もう一つの問題である学生の減少について考えてみよう。企業派遣が会社から見た教育投資の効果の問題であるのに対し、これは授業料を払う学生から見た投資効果の問題である。2年間の授業料は慶応で約400万円、早稲田で360万、もう少し知名度や社会的評価が落ちる学校だと200万円前後だそうである。このほかに本代や雑費もかかるし、何よりも生活費が馬鹿にならない。全て含めたら数百万から一千万の費用になるだろう。2年間学ぶとなれば、会社を辞めてくるのが普通かもしれない。家族でもいれば大変なリスクである。こうしたリスクとコストに見合ったリターンが望めるか否かは学生から見たら重大な点である。 

 アメリカのビジネススクールのトップ20校位は、そこでMBAをとって再就職すると取る前より年収で3-4万ドルくらいは上がると言われている。授業料が5-6万ドルだから2年くらいでペイする計算になる。学生にとって2年間睡眠を削って死にもの狂いの努力をする価値はあるわけだ。日本の場合そうはいかない。コンサルティング会社や外資系の企業に行けば若くても高給をもらえる可能性もあるが、そこではかなり高いレベルの英語が必要だ。そうなると欧米のビジネススクールを出た学生が断然有利だ。海外居住や学部での留学経験があれば、慶応や早稲田のビジネススクール出身でもそういうチャンスはあるだろうがMBAだけに頼っては難しい。だから今待遇が日本のトップレベルの企業に勤務する人が、そこをやめて国内のビジネススクールに行くのは賢い選択とは言えない。卒業後もっと待遇の良い会社に行ける可能性は小さいからだ。(そうした決断を正当化できるintangibleな要因があれば別だが) こうした人は夜間のコースに行く方が賢明な選択だろう。
 
 そうすると日本のビジネススクールに行くメリットがありそうなのは、今本人の実力の割にあまり待遇の良くない企業にいるとか、能力はあるが仕事とのミスマッチで力が発揮できないとかいう人達で、サラリーマン人生をリセットする機会を求めている場合だろう。だとしても卒業後の再就職はMBAのキャリアだけでは不十分で、語学力とか会計の資格とかがついてこそ威力があるということは覚えておいた方がよいと思う。ビジネススクールへの批判としては、このくらいのメリットしか与えられない現実が続く限り、昼間のコースの応募者の増加は期待できないわけで思い切って夜間に専念するのも必要かもしれない。もう一つの可能性として起業を目指す人達が経営全般を学ぼうと思ってくる場合もあるだろう。しかしこの場合も、その人が既に具体的なアイデアを持っているなら、学校に来るよりそのアイデアを事業に結びつける努力をすべきである。ビジネスの成功は時間との戦いだからだ。のんびり理論を学んでいる暇はない。そうすると将来起業したいので経営全般を学ぶということになると思うが、これは海のものとも山のものとも分からない。起業したい人が若い内の2年間をビジネススクールで学ぶのを勧める気にはならない。

 以上のように考えると日本のビジネススクールに行くという決断は(特に昼間のコースの場合)、リスクと費用の割にはリターンが小さいか不確実と言わざるを得ない。しかし生徒を集めるのに難儀すると言っても、ビジネススクールの数が多い中での話ととらえれば、行きたいという希望を持っている人は決して少なくないのだろうと思う。そうするともう一つ考えなくてはならないのは、ビジネススクールが学生に提供する授業(サービス)の.中身だろう。次回はこの点について考えてみたい。