小説に描かれた外資系企業(2)

 今回読んだ小説は高杉良の「小説 ザ・外資」と「挑戦巨大外資」、黒木亮の「巨大投資銀行」であり、この3作とも外資系企業で働く日本人が主人公になっている。特に「ザ・外資」と「巨大投資銀行」は所謂インベストメントバンクが舞台になっており、同じようなテーマをどう取り扱うかが比較出来て興味深い。一方「挑戦巨大外資」はワーナーワンバートと思われる企業の日本法人でCFOとして活躍した男を描いている。

 どの小説もそれなりに面白かったが、ここではこの二人の作家の外資系企業のとらえ方を中心に感想を書きたい。高杉良経済小説というかモデル小説の書き手の第一人者と言われているが、この二つの小説も実際にあった出来事がちりばめられていて、それにより小説のリアリティを高めようとしている。しかしこれらは外国企業を舞台にしているが、印象としては日本企業を書いた小説と大差ない。登場人物や舞台を日本人なり日本にすれば、そのまま日本企業の話として通用しそうだ。そこには外国企業で働く日本人が直面するような具体的な出来事、大きな事件ではなく、チョットしたやり取りとか仕事の進め方にある文化の違い、などは描かれていない。そんな時の戸惑いや驚きがあってこそ小説が引き立つのだが、それがないので外資系に長くいた人間から見るとリアリティに乏しい。あらかじめ外資系はこういうものだという前提で書いているようで、前回紹介した河合隼雄アメリカの大学院で感じた'アメリカの幼稚だが侮れない凄さ’のような深い洞察が見られない。


 高杉良の小説の主要登場人物の色々な出来事を見る目(すなわち作者の目)はニュートラルではなく、日本の伝統的なビジネスのやり方や判断基準、価値基準にとらわれているので、どうしても外国企業のやり方に批判的になっている。世界の中でどちらの考え方/見方が一般的かというような考察はないようだ。
 
 「ザ・外資」の主人公は東大経済学部卒で日本長期信用銀行(と思われる)に入行し、会社からハーバードビジネススクールに派遣されたエリートである。商社マンの父を持つ帰国子女なので元々英語は上手い。これだけ見てもいかにも日本人読者に受けそうな設定であるが、この男がチョットした理由でアメリカのインベストメントバンクに移り、そこで手掛けた大型案件をアメリカ人に横取りされて怒って、いかがわしい投資銀行の日本子会社(証券会社)転籍する。その間にその投資銀行のオーナーの夫人(アメリカ人)と情事をくりかえすなど読者が喜びそうな展開になっている。日本男子ここにありといった具合だ。

 小説の後半は違法な取り引きを行うその証券会社をすぐに辞めて、アメリカの製薬会社の日本法人に移るが、話の中心は長銀時代の友人と長銀の国有化、そしてリップルウッドへの売却に移る。当然のことながら、これにかかわった日本人財界人はくそみそだ。主人公はアップルウッド(リップルウッドと思われる)を通じて新しくなる長銀の役員に誘われるがこれも断る。悪徳外資に行くのは悪魔に魂を売るようなものだからのようだ。どうみても講談小説といった感じで、江戸末期の攘夷論者が描きそうな、強欲で肉食の白人に対し、日本人がサムライ魂で立ち向かうという構図だ。

 「挑戦巨大外資」も似たような構図で、社員300人ほどの日本法人に社長で来るアメリカ人は皆公私混同が激しく、日本人秘書に手を付ける。これに対して毅然たる態度で対処するのが主人公で、彼はアメリカの本社の一部のトップマネジメントから厚い信頼を得て、30年にわたりCFOを務めるといった具合だ。

 複雑な出来事をある視点から単純化してみせ、本質を浮かび上がらせるというのは重要なアプローチだと思う。しかしこの作家の切り口はあまりに古く単純で、複雑な問題の大事な部分を切り落としているようだ。もう少し複眼的にものを見ないと、日本流が倫理的で、欧米流があくどいといった単純な講談になってしまうと思う。現実の世界はそんなに単純ではないはずだ。


 黒木亮の「巨大投資銀行」は東都銀行に15年勤めた後で、モルガン・スペンサーに転職した男の話だ。モルガン・スペンサーはモルガン・スタンレーのことだが東都銀行ははっきりしない。しかし後半にこの銀行が産銀と芙蓉(興銀と富士と思われる)の二行と合併する話が出るので、第一勧銀と考えて良いようだ。主人公は京大と思われる大学を卒業後入行するが、決してエリートではなく支店勤務から始めたたたき上げだ。コンピュータ部門に異動になり昼夜、休日なく働いて消耗したのが転職の直接的な原因だが、それだけでなく、東大出身者のうちで始めから本社の中枢部門に配属され海外留学などを経験する一握りのエリートたちがいること、彼らには決して追いつけそうもないことが辞める決心をしたベースにあった。

 主人公は東都銀行時代に、3ヶ月間日米会話学院で研修を受けたので少しは英語が出来たが、モルガンに転職後ニューヨークに勤務してアメリカ人の本部長から仕事の説明を受けた時、その英語の三分の一くらいしか分からなかった。そんな主人公がNYでアメリカに進出した日本企業の活動(M&Aや資金調達など)の手助けをする中で、生き馬の目を抜くインベストメントバンクで生きてゆく姿を描いている。前記の小説の主人公とは全く違い国際的なバックグラウンドがない男が主人公になっているが、米国の投資銀行で働く姿が生き生きと描かれているのは黒木亮の方だ。それは投資銀行の業務、NYで働く様々な国籍のビジネスマン達の生き方を見る視点がニュートラルだからだ。そしてところどころに挿入されるエピソードにリアリティがある。確かにアメリカ社会は拝金主義の面が強いが、困っている人に手を差し伸べる懐の深さもある、といった現実をこの作者はとらえている。

 色々あった後に主人公は日本のモルガンに転勤し、マネージングディレクター(役員クラス)に昇格する。それから、行き詰っていた産銀(興銀)の投資銀行本部の常務に迎えられ、その後の三行合併のごたごたで辞めることになるが、竹中平蔵(と思われる)に口説かれてりずむHD(りそなと思われる)の会長兼CEOになって終わるという一種の成功物語だ。この小説はさわやかで読後感が良い。りずむHDの会長を受けた後で、主人公を産銀に迎え入れた金融界の大物(興銀の西村会長と思われる)が主人公に「あなたの今までの金融マン人生は、この仕事のためにあったんじゃないかな」と言う場面はこの小説が訴えたい事を集約しているようだ。40歳目前に邦銀から外銀に転じ、旧態依然とした邦銀とはまったく異なる、革新的で効率的な米国の投資銀行のビジネスに驚き、それを吸収した主人公が再び邦銀に戻るというシナリオは、これからの日本の金融界およびそこで働く人達の方向性を示しているようだ。
 
 同じように外資系企業を舞台に描いた小説でも、書かれている視点が違うと全く印象が違う。従ってある作家の物を読んでもそれがすべてだと思わない方が良いと思う。上述したようにインベストメントバンクを舞台にしても、何人かの作家の物を読むことでバランスが取れた見方が出来、実像が分かりやすくなると感じる。あまりにステレオタイプの見方のものは要注意だろう。