ブログの個人的な統計;100回記念

 先日過去の記事のデータを見ていたら、記事の総数が99になっているのに気づいた。ということは今回が100回である。2009年の7月に始めて2年を過ぎたが、我ながらよく書いたと思う。書く気にならない、書くことがないといった状況には何度も直面したが、どうにか続けられたのは読者のおかげである。最初は4百しかなかった月間のアクセスが最近は2千になっている。わたしのささやかなブログを、これだけの方々が読んでいる(見出しだけを見ている人もいるとは思いますが)というのは何よりも励みになった。本当にありがとうございました。

 有名人のブログだと、堀井憲一郎氏あたりが色々な分析をしてくれるかもしれないが、私の場合はそうもいかないので自分で過去のデータや記事をまとめてみようと思う。過去にどんなことを書いたかは大体覚えているが、あらかじめテーマを決めることはなく思いつきで書いてきたので、どんなテーマが多かったかなどは分かっていない。過去の記事をを整理した結果には自分でも関心がある。

 まずブログの管理会社が提供してくれるデータの一つである、いつ記事を書いたか、曜日別の結果を見てみよう。
   月  火  水  木  金  土  日   合計
   4  18  25  17  16  14  6   100   
水曜日が一番多く、火曜から金曜までで76%を書いている。当たり前と言えば当たり前の結果だが、少ないのは日曜と月曜で、日曜は分かるとしても、月曜が一番少ないのは、私のようにいい加減な自由業でも月曜は気合が入らないことを示しているようだ。

次に時間帯を見てみると以下の結果である。
    9-12時  12-15時   15-18時  18時以降  合計
     12     19      56       13     100
これも当たり前の結果で12時から18時で75%を書いている。午前中は気分が乗らずお茶を飲んでいるし、夜6時以降はめったに働かないので少なくなっている。行動を一言でいえば、全般的に怠惰だが午後は少し目を覚ますといったところか。パンダの生態ではない。

 
 次にどんなテーマを取り上げたかを見るために、まず整理のためのカテゴリーを設定する。とりあえず、政治、ビジネス/経済、株、社会、スポーツ、本/文学、その他と無難な項目でまとめて整理しようとしたが、これが中々難しい。取り上げているテーマで分類するのだが、議論している内容が幾つかの分野に及んでいたり、議論そのものがどこに入れるべきか判断しにくいものがあるからだ。例えば「ゴルフクラブメーカーの再編」の記事はスポーツ(ゴルフ)への興味から書いたのだが、内容はビジネスに近いので、この場合はビジネスに入れた。しかしスポーツに入れても良いと思っている。同じような困難さから、'その他'の項目に入るものが多くなってしまい、別に旅行、音楽/映画、教育などの項目を加えた。しかし教育に分類した「大学生の就職難に見る学生と社会の問題点は」はビジネス/経済でも良いと思うし、「国内のビジネススクールの実情」も教育から社会に移してもおかしくない。こうした難しさを、私の独断で乗り切ってやったカテゴライゼーションだということを頭の隅において、以下の結果を見ていただきたい。


 政治 ビジネス/経済  株  社会 スポーツ 本/文学 その他 
  17    19       9   11   17     8    19   
    その他は教育6、旅行4、音楽/映画5、その他4に分けられる 

 上記のうち株をビジネス/経済に入れると28になり、断然のトップとなるが、これは私のバックグラウンドから見ても当然だろう。政治については、わたしはそれなりの関心はあるが、書いたり話したりはあまりしない。それが17もあるのは鳩山、菅内閣のお粗末さへの怒りからだろう。スポーツも17で政治と共に二番目なのは、わたしが好きな分野なので当然の結果だと思うが、内訳はゴルフ10、野球4、サッカー2、スケート1と私の関心の度合いを反映している。その他、文学、旅行などテーマは多岐にわたっており、良く言えば関心が広いとなるが、違う言い方をすると節操がない、記事が書けずに苦し紛れにテーマを選んでいたと言えるかもしれない。


 最後に、上述したカテゴリーの多くにまたがって論じられたテーマがあることに注目したい。そのテーマとはグローバライゼーションである。(私は国際化という言葉の方が好きだが、今はあまり使われない)これはビジネス/経済からきたものだが、今や政治、スポーツ、教育とほとんどの分野に共通するテーマになっている。言い換えれば、ほぼすべての分野がビジネス/経済とは無縁でなくなっていることを示しているのかもしれない。その意味でビジネス/経済に疎い総理大臣を、2代続けて持った日本が混乱したのも当然かもしれない。総理がビジネス/経済の専門家である必要はないが、様々な政策がビジネス/経済とどんな関連や影響を持つかが想像できるくらいのセンスがなくてはならないだろう。要するにグローバルなセンスを持たなくてはならないということだ。

 同じことが教育にも言える。世の中の変化に対して鈍感で、教育の内容とやり方が、時代の要請や子供の興味にあっているかどうかを深くチェックしようとせずに、旧態依然の発想で教育行政を行ったり、子供たちを教えている教育関係者は、是非もっと現実を見て、有効な教育政策、教育方法を開発してほしいと心から願っている。



 こうして過去の記事を整理してみると、自分が本気で何かを感じているテーマしか書けないのだということが良く分かる。これからもそうやっていくしか出来ないと思う。シニカルな人は、無名で浅学非才な私が何かを書くことにどんな意味があるのかと言うかもしれないが、私なりの考え方やものの見方を、読者の方々に伝えられたらそれで良いと思っている。次は200回を目指してゆっくりと歩いて行くので、読者の方々にお付き合いいただけたら、これ以上の励まし、喜びはない。