大学生の就職難にみる学生と社会の問題点(1)

 大学生の就職決定率が60%程度だとの報道を見た。テレビでは100社を受けても就職が決まらない学生が沢山いると紹介していた。真面目な学生達らしいので気の毒に思うが、テレビでは微妙な点、そうした学生たちの能力や学力については触れていないので、何故決まらないのかがもう一つ分からない。要するに就職を真面目に希望する学生の、これほど多くが就職できないことそのことが問題だと言うのだろう。

 その一つの原因として多くの学生が安定した大企業を希望する結果、大企業の競争倍率が高くなり、一方で中小企業は求人数に満たない応募しかないことがあるという。学生が大企業を希望する気持ちは分からなくはないが、もう少し現実的な選択をすることも必要だろう。厳しく言えば、冷静に自己の能力、セールスバリューを分析して、それに基づいた就職活動をすることが大切だと思う。規模は小さくても、知名度は低くても、特定の分野では定評のある企業は意外に多いのだから、そうしたところに関心を持って企業選びをすることが大事だ。

 大企業にやっとのことで入ったとしても、優秀な社員が多く競争は厳しい。そこで重要な仕事に就ける可能性も小さい。小規模な企業ならば、認められるチャンスは大きいし、上手くいけば若い内から重要な仕事を任される。大企業で指示された仕事ばかりをやるのと、組織は小さくても大事な仕事を任されていくのでは、ビジネスマンとしての成長に大きな差が出る。こうした点をもっと考慮すべきだ。もちろん学生が中小の企業の善し悪しを評価するのは難しい。しかし会社訪問をして会社の活気をみる、社長と話をして人柄やビジネスマンとしての器量をみる、こうしたことでかなり分かることが多いはずだ。またその業界に詳しい人がいたら、その人の意見や会社の評判を聞くのも良いだろう。いずれにしてもステレオタイプの会社選びから離れないと、こうした状況を乗り切るのは難しいと考えるべきだ。


 こうした状況とは別に、日本で勉強しているアジアからの留学生の人気は高いそうだ。経済発展を続けているアジアの国々へ進出しようとしている企業にとっては、現地の事情に詳しく(もちろん言葉も分かる)日本語も出来る人材はのどから手が出るほど欲しいだろう。もう少し深く見ると、アジアの国々では大学へ行くのは選ばれた人達であること、さらに日本に留学することで言葉だけでなく多くの経験を積んでいるという点で、平均的な日本人学生に比べて資質やスキルが高いのが実態だ。だから一般的な日本人大学生ではとても太刀打ちが出来ないというのが事実だろう。

 わたしも勤めていた企業が定型的な業務を世界の何箇所かでまとめて行うプロジェクトを進めていたので東南アジアの学生の採用にかかわったことがある。人事で言えば、多くの国の給与計算をバンコクのビジネスセンターに移行することにしたので、業務を移行する国の言葉が出来るタイの学生を捜した。日本の人事の業務もタイへ移管したので、日本語の出来る大学生を採用し、現地でのオリエンテーションの後、日本で1年ほどOJTをした。その時に感じたのは、彼等、彼女らの知的水準の高さだった。日本の人事システムをまず理解することから始めるのだが、かなり複雑な企業年金についても日本語の講義をほとんどの人が(大学を出たばかりなのに)正確に理解して、鋭い質問をしていた。彼等、彼女等はタイ語のほかに、日本語と大半が英語も話す。能力的には日本で採用する日本人学生と全くそん色はなかった。もちろんこうした人達はタイではかなり上流に属す一握りのエリートなのは事実だ。国民全体でみれば日本人の方がはるかに教育や知的レベルは高いが、上層を比べると同じか劣っているとさえ感じたものだ。

 こう考えると日本人学生のほとんどはドメスティック志向で時代の要請に合っていないことが分かる。英語は本当に下手だし、第一大学でまともな知識を付けていない。これでは中小企業でも、海外とビジネスをしている会社は採用したいとは思わないだろう。もちろんこれは学生だけの責任ではない。日本の教育の問題だ。中高6年勉強してもほとんど英語が使えない状況を放置しておいて良いのだろうか。大学の授業も真理の追求の大切さを教えるという口実で、実際的な知識を教えるのを避けているのではないか。教授たちが昔からの知識にすがるだけで、社会で役立つ知識を教えない。(多くの教員はそうした知識を持っていないのだろう) しわ寄せはいつも弱者に行く。弱者は学生である。このままではたとえ景気が回復しても、取り柄のない普通の大学生の就職は厳しいままになると感じる。管内閣も学生の採用状況には危機感を持っているようだが、対策は小手先で将来を見据えた抜本策など考えもしないようだ。政治家の見識と決断はこういう問題にこそ必要なのだが・・・ 次回もこの問題をもう少し続けたい。