小学生の英語論議(3)

 英語教育論議の続きだが、今回はサービスの受け手の中の保護者(両親や祖父母)、これらの人たちは直接のサービスの受け手ではないが受け手である子供や学生に大きな影響力を持っている、の態度や考え方について書こうと思う。というのは英語教育を誤った方向に進ませようとしているのは現実の英語教育への見識はないのに権力を持っている政治家や経済人たちだが、それだけではなく彼らに無批判に追随している保護者たちの考え方にも問題があるからだ。

 このブログでも何年か前に書いたが、わたしの知り合いの英語学校のアルバイト教師、彼は米国の一流大学で社会学を学んだ日系人、が嘆いていた事がある。日本人に近い容姿をした彼はその流暢で正確な英語にもかかわらず、ろくな大学も出ずにまともとは言えない英語を話す金髪碧眼のアメリカ人より、英語教師の職を得るのが難しいという。要するに日本人が英会話教師に求めるのは、その人が話す英語の質や教養ではなく見た目が典型的な白人であることなのだ。

 前々回に紹介した英語教育研究家の金森強氏も朝日新聞のインタビューでこう語っている。「NHKの番組で’英米だけでなく様々な国から来たALT(語学指導助手)がいて、彼らに接してコミュニケーションをとることが子どもたちにとって重要’と話しました。実際、世界で英語を使っているのは英米人だけではありませんから。そうしたら’おまえは子どもに偽物の英語を聞かせろというのか’という抗議の電話がたくさん来て、驚きました」
 「’隣の中学のALTは白人なのにうちの中学は違う’と抗議する親もいます。日系人だともっと激しい。’日本人じゃないかと’と。外国語や国際理解の教育が目指すこととは正反対の偏見であり、差別になりかねないと、なぜ気づかないのでしょうか」

 金森氏の意見はまったくの正論でわたしも同感だ。こうした親の態度は必ず当該のALTにも伝わり彼ら(彼女ら)は不当な差別や偏見に傷ついているはずだ。若い人たちはだいぶ変わってきたと思うが、日本人の多くは相手を肩書きや経歴そしてもっとひどいのは人種国籍で判断する。世界的な規模の外国企業にいると相手のキャリアや国籍より、その人が何を言うかどう考えているかのほうが重要でそうした風土、文化が根付いている。

 もちろん根底には白人主義や欧米文化主義があるのは否定しないが、英米人がそれを出すことは許されないし、出したら企業人としての適性を疑われる。日本は豊かな経済大国だが、日本人が人としてほかのアジア人や南米の国の人達より優れているとは思われていないし、実際そうだ。国籍や人種ではなく、個人個人としての能力や教養を見られる。金森氏の例に出てきた親たちは白人ではないALTを差別するほどの教養や学歴を持っているのだろうか。決してそうではないと思う。高い教養や見識を持っていればそんな態度は取らないからだ。要するに白人コンプレックスなのだ。

 前回紹介した鳥飼玖美子氏も「地球語としての英語」を身につけるなら’ネイティブ・スピーカー信仰’を捨て英米人のような発音、ジェスチャー、言い回しにはこだわらないこと、そしてまず英語を読むことと書く事に力を注ぐべきだと言っている。英語を話す人は世界中で10数億人いるといわれているが、その中で母語として英語を話す人は3-4億人だそうだ。わたしたちの孫が将来英語を話すとすれば、相手はネイティブスピーカーではない外国人である可能性のほうがはるかに高いのだ。

 前記の例の親たちは白人ならありがたがるのだろうが、白人でも英語が母国語ではない人はそれほど上手くはないし(といっても日本人よりは上手い人が多いと思う)発音も英米人とは明らかに違う。国籍と人種は一致しないので、見た目では英語のネイティブ・スピーカーかどうかは分からないが、話してみて分かることが多い。アメリカ育ちの日系人もそんな例だし、ヨーロッパの人たちやロシア人は日本人から見るといわゆる白人か外人タイプだが、フランス人、スペイン人、ドイツ人、イタリア人などそれぞれ個性のある英語を話す。もちろんアジアやオーストラリアの英語もとても個性的だ。だから白人だから正しい発音の英語を話すとは言えないし、ネイティブのオーストラリア人の発音が正当だとも言えない。

 大体そういう親たちは子供に何を求めているのだろうか?国際的に活躍するビジネスマンか何かになって欲しいのだろうか?国際人といっても世界的なピアニストやサッカー選手、ゴルファーまたはノーベル賞級の科学者になって欲しいと思う親は少ないだろう。何故ならまずたぐいまれな才能が必要だからだ。それに血の滲むようなトレーニングなり勉強をしなくてはならない。確かにビジネスマンにはそんなに特別な才能はいらない。しかし白人コンプレックスなど持たずに外国人と対等に仕事をするには、明晰な頭脳と強い意志が必要でそれらを身に付けるのはたやすいことではない。

 それらは子供の時から英語を学んだからといって身につくものではない。物事を深く考える習慣と人と平等に接する態度からくるものだ。まず日本語でモノを考え、日本の歴史、文化、芸術などを学ぶのが最初だ。英米人は別に彼らにそっくりな話し方をする外国人(日本人)が偉いと思うのではなく、通じる英語で深い教養なり公平な態度を持ちまともな話をする外国人(日本人)に一目置くものだ。小学生から英語を学ぶ暇があったら、日本語の本を読ませたり、作文を書かせたり、当たり前だが勉強をきちんとさせるほうがはるかに重要で、将来外国人と仕事をすることになっても通用する人間になりうるだろう。

 英語が出来るようになりたければ中学からでいいから必死にやることだ。毎日欠かさず2時間くらいは読み書き聞くをやる。そして高校にでも行ったらさらに英会話学校に行ったりすればよい。これを大学を出るまでの10年間やり続ければそこそこのレベルに行くはずだ。チャンスがあれば留学したり、国内でも外国人がいる環境で日常的に話せれば応用力がつくだろう。親が指導するのはこういうことで、小学校からネイティブと会話をしろなどといって学校に丸投げするのではなく、懸命の努力が必要なことを親自らが認識し、子供たちにそのことを教え、そうした道筋を作ってやることだ。これが圧倒的な真実である。