’芥川賞 該当作なし’に思うこと(2)

第142回芥川賞は該当作なしに終わったが、9人の選考委員の中で3人の委員がそれぞれ異なる作品を受賞作として推薦している。池澤夏樹が’ビッチマグネット’を、小川洋子が’犬はいつも足元にいて’、黒井千次が’ボーダー&レス’を推している。しかしこの3作のどれも多数の支持は得られず、該当先なしとなった。'ビッチマグネット'が次点のような扱いで文藝春秋に掲載されたのは、高樹のぶ子山田詠美村上龍川上弘美などが他の作品より優れているという比較的好意的な評を寄せたためであろう。また池澤夏樹が大変強い調子で推薦しているのもその理由かもしれない。選考委員がこれほどはっきりと激烈な支持を表明したのはきわめて稀だと思う。

池澤氏の推薦の評の最初と最後の部分を紹介しよう。'舞城王太郎さんの「ビッチマグネット」はいろいろな意味で新しい面のある優れた小説であり、その新しさは正に時代が必要としているものだ。そう考えて力を込めて推したのだが、受賞には至らなかった。今回ほど落胆したことはなかった。' 

氏の文章は次のような言葉で終わっている。'かつて芥川賞村上春樹吉本ばなな高橋源一郎島田雅彦に賞を出せなかった。今の段階で舞城王太郎がいずれ彼らに並ぶことを保証するつもりはない。そんな預言者のようなことはできない。それでも今回の受賞作なしという結果の失点は大きいと思う。’

このコメントは舞城王太郎の才能への讃辞であると同時に他の選考委員への批判と受け止めることもできる。どちらが若手作家の将来性を見る眼があるかは舞城氏の今後の執筆活動によるが、この作品からその可能性が見られるとはっきり表明した池澤氏の態度は気持ち良い。池澤氏が村上春樹を絶賛した丸谷才一になるのか、この作品を酷評した石原慎太郎氏が村上春樹を認めなかった滝井孝作や大江健三郎になるのかは興味深い。


わたしは個人的には'ビッチマグネット'を面白いと思った。登場人物(主に姉と弟だが)が上手く描かれている。今の時代の若者としては本質的な意味で知的で思慮深いのに、生き方は不器用でいろんな軋轢を生んでしまうところが良く伝わってきたし、そんな出来事を通して15-6歳から22-3歳頃までの精神の成長が描かれていて中々の才能だと思った。ただ2度目に読んだ時は少しくどいかなという印象を持った。選考委員の中にも冗長だというような評があったのが理解できる。もちろん舞城氏は意図的にくどく書いたのかもしれないという気もする。こんなにくどく書かなくても同じ効果は出せたのにと言うのが、批判的な選考委員の気持ちかもしれないがその辺は私には判断できない。


素人がプロの作品の絶対的評価を論じることは出来ないので、昨年の芥川賞受賞作の'ポトスライムの舟’を読み返し比較してみようと思い、あらためて同作品を読み返した。この作品は大学を出て入った会社をモラルハラスメントで退社した女性がパートの職しか見つけられず、母と暮らしながら経済的に苦しい日々をおくる姿を描いたものである。会社の休憩室の掲示板に貼られたNGO主催の世界一周のクルージングの費用163万円が自分のパートの年収とほぼ同額なのに気づくことがこの小説の重要な要素になっている。主人公の大学の友人達も描かれるが苦労を背負ったような人達が多く、経済的に恵まれない女性たちの現実、希望の乏しい未来、そして何よりチョットした不運が人生を分けてしまう不条理が描かれやるせなくなる。といっても語り口は飄々としていて、読んでいてものすごく暗い気持ちになるかと言うとそうではない。現在の日本のまぎれもない現実と不公平が過不足なく描かれている小説である。私のような素人でも、この作品が芥川賞を取ったのも当然だなという気がする。

この作品に比べると'ビッチマグネット'は完成度が低い気もするが、何とも言えない魅力がある。若い姉弟の成長の物語という内容が読み手を明るい気持ちにさせるのかもしれない。若い人達に文句を言う人は沢山いるが、彼らを客観的に見つめ心の動きを描いて、読者にその生き方を伝えようとする作者の姿勢は小説家として重要なものだという気がする。この国の人達や政治家の多くはどうしようもないけれど、まだ絶望することはないという気にさせてくれる。
昨年の'ポトスライムの舟'も暗いだけではなく、経済的な苦境にさらされながらもどうにか自負を持って生きていこうと人達を描いて、人間のしたたかさや生きる知恵みたいなものを感じさせる。読む人によっては救われた思いになるかもしれない。それでも'ビッチマグネット'に比べると話が小さいように感じる。


この二作を比べていると会社勤めをしていた時代に将来の幹部候補を選ぶ仕事をしたことを思い出す。30歳くらいの若者の将来性など分かるものかという考え方もあるが、必ずしもそうとも言えないのだ。栴檀は双葉より芳しではないが、将来人の上に立ち、組織を動かそうという人間はかなり若いうちから分かることがある。基本的には地頭が良いということだが、物の本質をきちっと理解する、問題にかかわる様々な要因を適切に秤量する、先入観を持たずに人や事柄を評価する、人と異なる意見でも正しい思ったら論理的に説得しようとする、等々いくつかのポイントがある。また日本の若い人は幼い所があるので成熟度(maturity)は外国人と比較する場合は重要な要素となる。日本人は基本的に平等主義を信奉しているので若いうちからの選抜に抵抗感があるが、欧米ではいかに速いうちに将来のリーダー候補を見出し、適切な教育、経験を積ませることが今のリーダーの責務だと考えられている。もちろん当たり外れは世の常だから、複数の候補を選び比較するプロセスは必要だし候補の入れ替えも定期的に行う。

この観点から言うと'ポトスライムの舟'の津村記久子氏は有能な社員で幹部候補ではあるけれど上級部長くらいで終わりそうな気がする。舞城氏は部長になる前に失脚しそうな恐れはあるが、大化けして専務や社長になるかもしれないという感じがある。私は人事の役員時代に幹部候補の選抜について質問を受けた時(欧米の会社ではポテンシャル評価と言ってこれを到達可能な職階の数字で表す)30歳位の社員については何か良い点があれば、例えば部長までは行くという評価を付けるように指示していた。本当はポテンシャルが低いのに高いと評価をする過ちは許せるが、ポテンシャルが高いのに低いとして幹部候補に入れない過ちは許されないと説明したものだ。上司によっては態度が悪いと言って将来性が低いとするような者がいるからである。


もちろんビジネスと文学は違う世界だが、将来性が高いかどうか見ることの重要性はかわらない。その点から言うと舞城氏の作品を芥川賞に選んでも良かったのにと言うのが素人の感想だ。