1Q84; タイガーをお車に

'1Q84’を読み終えた。いつものように期待を裏切らない面白さだが、今回は小説の内容の話ではない。村上春樹がタイトルに選んだ1984年とはどのような意味を持つ年だったのかを、私のビジネスの経験も含め考えてみたい。

前回書いたように加藤和彦がアルバム'VENEZIA’を出したのが1984年であり、麻原彰晃オウム真理教の前身である'オウムの会’を立ち上げたのもこの年である。'1Q84’についてはジョージオーウェルの'1984年’との関連が言われているが、'オウムの会’発足の年であることと無縁だとは思えない。

'1Q84’の中に2回エッソ石油の屋上看板が出てくる。首都高速三軒茶屋に向かう途中でビルの屋上に見えるもので、虎のイラストとともに'タイガーをお車に’というコピーが描かれる。これ自体は単なる風景だが、この看板が見える所で重要な出来事が起こる。その内容については本を読んでもらうとしてエッソ石油は私が34年間(最後の7年間は合併したエクソンモービルとしてだが)働いた企業で、このコピーは大変懐かしいものだった。(もっとも東京の道路事情に詳しくない私には、この看板が本当にこの場所にあったのかどうかは分からない)


この当時はサービスステーション(以下SSとするがガソリンスタンドのことである)でのガソリンの販売量を増やすことが石油会社が利益を上げるための重要な戦略だった。産業用の重油等の価格を政策的に抑えたため、ガソリンの価格を高くして重油の販売による赤字を吸収するという価格構造になっていた。従ってある価格構造の下で収益がブレークイーブンになる販売ミックスに対して、ガソリンの販売比率が高い(言い換えれば重油の比率が低い)場合は当然高い利益を確保できたのである。

エッソ、モービルなどのアメリカ系のメジャーの子会社は様々な点で当時の通産省からハンディを与えられていたので、量的な拡大を目指すより効率化を目指し、またこうしたゆがんだ価格構造を上手く利用して高収益企業となっていたのである。当時マーケティングのスタッフだった私もSSでのガソリン販売拡大にかかわっていたので、この小説に出てくるタイガーの宣伝は忘れていたものを思い出させてくれた。欧米ではSS業界は既に収益性の低い業種だったため、ガソリン増販のための施策を打ちながらも、エッソの社内では一方では遠くない将来に日本のSS業界も淘汰を迎えるという予測を持っていた。

セルフのスタンドもまだなく、日本の石油会社の多くはエッソ石油のSS戦略(SS立地、ポンプの配置等のレイアウト、統一したデザイン、販売戦略等)を模倣しようとしていたように思う。今でもTVCMで自社のSSの魅力を訴求している石油会社があるが、品質の差別化が難しく、成熟した市場において有効な手段なのか疑問に感じる所である。いずれにしろ1984年当時はSSでのガソリン販売の増加が石油会社の第一の戦略だったのだ。

他の販売業界をみるとセブンイレブンは1974年に日本第一号店をオープンしてから10年目で2000店に達していた。またユニクロの前身ユニーククロージングが第一号店を出したのも1984年である。
日本の小売業界はまだ元気に満ちていて新しい販売戦略にチャレンジしていた、またはチャレンジし始めた時代であると言える。その後バブルが到来し、それが破裂した後は失われた10年を迎えることになる。

1984年は高度成長期にあったが、その終わりを予感させるものが始まったときであるように思う。その後オウム真理教は無差別テロを起こし、ユニクロは一人勝ちのまま現在に至るが同業の企業は存続の危機にさらされ、今コンビニ業界は成長の限界を迎えている。石油業界も規制緩和の波を受け合併が続き、SSの数も減り続けている。オウムが引き起こした事件の背景や本質は何一つ解明されていないし、新しい時代の秩序なり規範はビジネスだけでなく他のどの分野でも見つかっていない。

1984年から25年後私たちは一層の混沌の中にいるようだ。1984年の頃は多くの人がまだ将来に夢を見ることができたが、今夢を見ることのできる人は極めて限られ、大半は楽観的にはなれない時代になってしまった。'タイガーをお車に’というコピーは私にとって懐かしいというだけでなく、今見つけるのも困難な信頼と希望が存在した社会を思い起こさせる。私たちはどうしたらそんな社会をもう一度取り戻せるのだろう。