エリートの遇し方; 官僚叩きと待遇低下への疑問 (1)

人事の基本は'優秀な人材を獲得して逃さずに育成する’ことである。欧米の企業では人事の基本政策に'Attract and Retain quality persons(employees)'などと明確に書かれているのが普通である。人材マーケットの流動性の高い所では優秀な人材を自社に繋ぎとめておくことが企業の重要な仕事の一つであり、このために様々な工夫が凝らされる。
これまでの日本の大企業のように長期雇用が前提となっていると、この点についての緊張感が乏しく人材の育成も極めて長いスパンをかけて行うこととなる。こうしたやり方の利点もあるが、変化の激しい環境下で企業を運営する知力、気力、体力を備えた経営者を育てるといった点では劣っていると言わざるを得ないが、そうした比較は今回のテーマではない。


日本であれ、欧米であれ、良い人材を獲得して逃さないようにすることの重要性は変わらない。そのために企業は若者にとって魅力ある職場を提供しようとするのである。魅力ある職場とは一概には言えないが、やりがいのある仕事、高い給料と福利厚生、公正な評価、明確なキャリアプランなどが基本的な要素となるだろう。これらを提供する企業には優秀な人材が集まってくる。

もちろん企業の発展段階によって、こうした要素の重要度は変わってくる。成熟してもまだ利益性の高い産業や市場でビジネスをする大企業は基本的に長期雇用を前提にして、それに対応した給与制度や評価制度を提供する。要するに或る程度の時間をかけて従業員を育成し、その中から幹部(候補)を選抜してゆく。 一方伸び盛りの企業はそんなゆとりはないから早めの育成をして報酬システムも個人の業績にダイレクトに連動する。重要なポジションに付く年齢も早い。業務で経験を積みながらビジネスマンとしてリーダーとしての成長をすることを期待されている。
また成熟した市場でも、市場が縮小したり、新しい競争相手に浸食されているようなところでは、歴史のある大企業が苦戦している。人材育成の仕組みは古いままなので若くて革新的な社員の発掘、登用が遅れがちで環境変化に付いていけないからである。学生や若い人たちも自分の適性や学歴をベースに、こうした産業界の変化と現状を見て、発展の余地があり自分が力を発揮できそうな企業を選択するのが普通である。

さてこうした観点からいわゆるキャリア官僚の待遇はどう考えられるのだろうか? 民主党政権は官僚依存からの脱却を標榜し、政治家が基本的な政策を決定し、官僚は政策の詳細をつくることに専念すればよいといった主張をしている。自民党政権の時に官僚の役割や実質的な権限が肥大化したことの反省からきているのだと思う。また歴史的に見てもとくに厚生省などで国民不在の行政が行われてきたことへの国民の不信感が強いことも背景にあるだろう。水俣病からエイズ被害に至るまでの行政の無策は万死に値すると言える。マスコミもこうした観点から官僚叩きにはことのほか熱心である。

これまでのキャリア官僚は国家の中枢として育てられ、20歳代に地方の税務署長や警察署長を経験するなどした。本庁に戻り、国家の基幹的な業務にかかわり出世競争に身を投じるが、それに敗れると(結局最後まで残るのは事務次官だけなので他の官僚が単純に競争に負けたというわけではないが)民間や官公庁の出先機関天下りをする。何度も渡りをし、巨額の退職金を手にしながら70歳過ぎまでそれなりのポストに就く。一説によれば、官僚として働いた30年余りの報酬より、退職後の報酬総額のほうが多く、一般的に両方の合計で10億稼ぐのが目標だったそうである。

言い換えれば、現職のうちは薄級でハードワークをさせられるが、それなりのポストに就いたり権限を持つことでエリートとしての優越感や満足感を得られ、退職後は多くの場合大した仕事もせずに高給を得るという仕組みであった。仕組みの善し悪しを別に考えれば、東京大学を優秀な成績で卒業した人達が国家に尽くすという使命感に加え、官僚になるインセンティブは十分にあったのである。

ところが現在では若くして税務所長や警察署長に任命する仕組みもなくなり、現職中の権限もなくなって国会議員の手足となるように言われ、退職後の天下りは廃止されていく。もちろん官僚も悪知恵では負けないから様々な方法で既得権益を守ろうとするだろうが時代の流れにはかなわない。キャリア官僚になることが魅力ある選択ではなくなりつつあるのだ。実際、東京大学でも優秀な学生は官僚にならず、外資系の金融機関を選ぶ例が増えているそうだ。昨年の金融危機以降欧米の金融機関は停滞しているが、それまでは20歳代で年収数千万円などという話が飛び交っていた。金がすべてだというホリエモンのような人はよいが、国家の発展に尽くそうという使命感を持った人まで失う恐れがあるのである。


優秀で国のために働きたいという人にとって現在のキャリアの待遇、キャリアパスなどは魅力あるものだろうか? それとも政治家やマスコミは現在の待遇に見合った人だけを採用すればよいと考えているのだろうか。後者だとしたらそれを補うほどの知性と能力を持った政治家が必要だが、民主党にも自民党にもそんな人材は数えるほどしかいない。それ以外の政党の議員の質などは問題外である。優秀な官僚は本当に要らないのか、もしいるならば今のままでよいのか、単に官僚叩きをするだけでなく、この点を真剣に考えることが日本の将来にとって重要だと思う。次回ではその辺りの議論をしてみたい。