加藤和彦死去

加藤和彦が亡くなった。享年62歳。うつ病による自殺だそうだ。私より3歳年上だが、私が高校生の時既にスターだったので、もう少し上の世代のトップランナーだった印象が強い。あふれる才能に恵まれ、実際に成功をし続けた人がうつ病になり、自死を選ぶに至るいきさつなど凡人には分かるはずもない。彼の死は伊丹十三の自殺を思い出させた。


加藤和彦の業績についてはTV、新聞で多くの人が語っている。わたしはサディスティックミカバンドのメンバーをみれば、彼が日本のポップス/ロック界においてどんな位置にいたのか分かるような気がする。それは単に加藤の音楽におけるポジション(先進性とか世界性とか)だけでなく、彼の人を見る目の確かさ、人が集まってくる人間的魅力などを含んでの話だ。

メンバーの入れ替わりはあったが、高中正義、つのだひろ、高橋幸宏後藤次利などの名前をみると、その後の日本のポップス、ロックを支えた人ばかりだ。


加藤和彦は多くの作品を残しているが、私にとって最も印象深いのは1984年のアルバム'VENEZIA'である。安井かずみとベニスに滞在して作ったといわれるこのアルバムは、当然作詞が彼女で、曲と歌が加藤である。雑誌か何かの評でこの作品を知った私は、30代半ばでわけわからずやみくもに働いていた時だったが、このアルバムには心癒された記憶がある。(癒された記憶しかないと言ったほうが適切かもしれない)


このアルバム(当時はカセットテープ)は失くしてしまい、その後CDショップなどで捜したがみつからなかった。今回の報道で是非また聞きたくなり、インターネットで或る音楽ダウンロードサービス会社が提供しているのを見つけ購入した。聞くのは20年ぶり位だが、まったく古さを感じさせず、これを聞いていた若かった時の気持が漠然と甦るような感覚になった。1984年私は石油会社の赤坂のオフィスに勤めていた。Rank and File の身分でサラリーマンとしての先は見えず多くの不安を持っていたが、ハードワークを続けながらそれなりに楽しくやっていた。実際色々なことがあったが、どうにかやり過ごす知恵も身に付いていた。

その頃加藤和彦は、8歳年上の美しく才能ある妻とベニスにいて曲を作っていた。しかし10年後妻は55歳で世を去り、今加藤も亡くなった。人生はよく分からないと思うが、この人たちを見ていると早く死ぬほうが美しいと言っているような気さえする。少なくとも長く生きればよいというものではなさそうだ。


今私が読んでいる小説が'1Q84’なのは偶然だと思うが、そこに何らかの意味を感じざるを得ない。夢中で生きていた私には感知しえないものを見て、村上春樹1984年を特別な年と捉えて小説を書いたようだ。

最後にアルバム'VENEZIA'の中で私が一番好きな曲'ハリーズBAR’の詩を紹介しよう。'お前はなんて少女趣味なんだ’などとは言ってはいけない。曲を聴けばあなたもきっと癒される。


 カフェで読むニュースは、2日遅れのヘラルドトリビューン
 誰に気兼ねもなく、過ごす時間はいいものだと


 子供たちの遊ぶ、広場を抜けあてない午後
 人が振り向くほど、さみしくないと口笛吹く


 たとえば 君とハリーズBAR、いつもハリーズBAR  夕暮れ時
 あの頃 君とバイオリン、甘いバイオリン  見つめていた

 二人なら どこにいても 人生になる