6月の出来事;ワクチン、スポーツ、読書、ギター

 6月24日にコロナワクチンの1回目の接種を受けた。 思ったほどの副反応もなく今のところ良かったというところだが、71歳という年齢を考えるとワクチン接種にそんなに真剣になるのもどうかなという気もする。これからどれだけ生きられるのか分からないからだ。1-2年で死ぬかもしれないし、15年くらい生きるかもしれない。そういうことを考える年齢になった者はバタバタせずに自然に生きていくほうが良いと思う。それでも感染したら周りに迷惑がかかるし、苦しい思いをするのも嫌だから接種するのが正解だろう。

 

 残りの人生が少ないことを意識せざるを得なくなったからと言って、これからの日々を立派に生きようなどとは考えない。まあ楽しくやれて年とればいいやという感じだ。もっとも体力も気力も落ちてきて、体にも不具合が増えてくると、楽しくやるのもなかなか大変なのだ。そう考えると同世代の政治家や財界人と言われる人たちの活力には驚く。元々活力がある上に、精力的に動くことで活力を維持しているのだろうと想像してしまう。何か業が深いと感じてしまうのだが。70歳や80歳になってお国のためにと考えるのは立派だが、いつまでも第一線にいるのではなく、もっと違う形での貢献を考えたらよいのにと思う。今見えないものが見えるようになるし、そうしたほうが自分だけではなく、社会のためにもなる。

 

 菅首相もわたしと同世代だが、国会での答弁や記者との質疑でも、訳の分からないこと言い続けて見苦しい感じがする。根底にある自分の地位、権力を維持したいという欲求が透けて見えるからだ。国にとって何が正しいのかを基準にして発言すれば、国民も聞く耳を持つと思う。その結果支持が上がるかどうかは分からないが、国のためになると信じて政策を語ることは社会の雰囲気をよくするはずだ。それで十分だと思うのだが、菅首相はそう考えてはいないようだ。もう一歩下がって物事を見つめれば、違う風景が見えてくるはずなのだが。

 

 MLBでの大谷が凄い。朝エンゼルスの試合を見て大谷の活躍に興奮してしまうと、夜阪神タイガースの応援にもう一つ熱が入らない。頂点のレベルの活躍を見てしまうとNPBが色あせてしまう。同じことがゴルフにも言える。朝USPGAを見てから、午後ジャパンゴルフツアーを見るとちょっと盛り上がらない。マスターズ優勝の松山も凄いのだが、やはり大谷の天真爛漫な活躍はもっと上を行っていると感じる。わたしたちはきっと歴史的な光景を見ているのだと思う。コロナが収まったらアナハイムに行かないといけない。大谷がいつまでエンゼルスにいるか分からないが。

 

 陸上の日本選手権を見て日本人選手の何人かがトラック、フィールドで世界レベルになっているのに驚いた。オリンピックでも頑張って欲しいと思うが、新規の感染者が急増している今、世界中から選手団を受け入れるのは正しいのかと考えざるを得ない。選手には気の毒だが、やはり中止が妥当な選択だと思うのだが。このオリンピックが日本が没落するきっかけにならなければよいと考えてしまう。人が必ず死ぬように国もいつか滅びる。そのきっかけを自らの選択で作ってしまうかもしれないのが怖い。菅首相などはこうしたシナリオを考えないのだろうか。それともそうした弱気の考え方がいけない、そうならないように頑張るのが重要だなどと、戦前の軍人のような発想をしているのだろうか。そう考えると不快になってくる。

 

 ミステリーを相変わらず読んでいる。雫井脩介の「虚貌」と東野圭吾の「さまよう刃」を読んだ。どちらも面白かった。読む本がなくなったので書棚から丸谷才一の「思考のレッスン」を引っ張り出して読んでいる。もう何度目かだがいつ読んでも面白い。ミステリーもよいが、こうした本当の知性と教養に触れると目が覚めるような感じになる。世界の文学、哲学、芸術に深い知識を持ち、作家魂を失わず、文壇などにこびず、ぶれない論理と感性に基づいた話にはいつも感銘を受ける。

 

 5月半ばにゴルフをした時に、右の中指の爪を割ってしまった。どこかにぶつけたのだと思うが、そこは前にもぶつけて小さな割れ目が入っていたところだ。仕方ないので右手の指の爪を短くした。指弾きが出来ないのでピック奏法を練習しようと考え、「ピックで弾くJAZZ STANDARD GUITAR SOLO」いう楽譜本を買った。これが中々難しいが楽しくて今はまっている。頑張ればできる曲もあるのだが、コードがひねってあるのと、裏拍をとって弾くのが厄介だ。普通に弾いては全然ジャズの感じが出ない。中々奥が深いと思う。爪をわったことで新たな挑戦が出来て、まさに怪我の功名だ。先は短いのにやりたいことは沢山ある。まあ悪くないな。