不要不急について今一度考えてみよう

 緊急事態宣言の下で、また不要不急の外出を控えろとの要請が政府、地方自治体から出ている。コロナ感染の勢いが中々終息しないので当然の要請だ。不要不急の外出に該当しないのは、必要な日用品の買い物、通院、仕事に限定され、仕事も在宅での勤務が奨励されている。同時に言われているのは3密(密集、密接、密閉)を避けろということである。しかし冷静に考えてみると、必要な外出の要件と3密を避ける行動は必ずしも一致しない。必要な外出のために公共交通機関を利用し、行った先が密接、密閉の要素がある場合は、それなりのリスクがあると言えるだろう。一方で公共交通機関を使わずに密でない場所に行くことはリスクが小さいと考えられるので、必要な外出に該当しないことでもそれほど問題ではないのではないか。わたしは1月の緊急事態宣言の後でもゴルフに行っているが、それは上述したようなことを考えているからだ。

 

 もちろん政府・地方自治体や感染症の専門家の人たちが厳しい言い方をすることも理解できる。そうしないと3密が守られない形での外出をする人が増えてしまい、コロナ感染を大きく減少させることが出来ないからだ。また一方で3密が十分に守られないからとしても、生活必需品の買い物、通院、通勤を認めなかったら人間らしい生活が保障されないことになりかねないからだ。そのためには多少のリスクはやむを得ないということなのだろう。

 

 テレビの朝や昼のニュースショーみたいなのを見ていると、この二つの要請がしっくりこない点を明確に議論しないで、上記の3つの場合以外の外出を非難したり、必要な外出なら3密が守られなくても仕方ないような話をよくしている。マスコミは政府・地方自治体の高官や医療関係者の意見を尊重しながらも、生活者の視点に立った考え方、モノの見方を提示すべきだと思う。コロナになって何か世の中がギスギスして閉塞感があるのも、権力者や専門家が言ったことをマスコミがそのまま再生拡大して、みんな同じ考え方や行動をとらないといけないという風潮を作っているからだと感じてしまう。ニュースショーなどは「不要不急の外出を控える、3密を避けることは大事だけど、ちょっと工夫をして、リスクを小さくできるなら、必ずしも外出することをやめろとは言えないね」といった議論をしてほしい。それだけでずっと世の中の雰囲気が変わると思う。

 

 なぜわたしがこんなことを書くのかというと、わたしには外出したい希望があるからだ。以前このブログでも書いたが、12月24日にマーティンのギターの弦を張り替えていたら、弦を回すペグが壊れてしまった。店に電話すると保証期間内なので修理はするが、店まで持ってきてくれと言われた。金沢八景から御茶ノ水までは電車で1時間はかかる。この時期に電車で1時間もかけて行くのは感染のリスクがあるだろうし、緊急事態宣言下でジジイがギターを持って電車に乗っていたりしたら、「不要不急の外出はするな」と警告を受ける恐れもありそうだ。だからもう1ヶ月半も壊れたままのギターを家に置いてある。他にギターがあるのでとりあえずはそれを使って練習しているのだが、やはりマーティンが弾きたいという欲求は強い。 

 

 感染のリスクを小さくして、人とのトラブルが起きないようにするには、車で行き、用を済ませてすぐに帰ることだと思う。しかし御茶ノ水のように土地勘のないところに車で行くのはあまり気がすすまないのだ。これが修理を遅らせている理由だ。それでも我慢の限界に近づいたので近いうちに車で行こうと考えるようになった。わたしはギターのプロでもないし、代わりのギターも持っているのでこの外出は不要不急なのだろう。国や都が言うところの許される外出とは全く違う。しかし車で行ってすぐに帰るなら感染のリスクはとても小さいのも事実だ。こんな外出も許されないのだろうか。わたしは来週にでも行きたいのだ。