Go-Toトラベルが意味するもの

 政治家や一部評論家が経済の活性化が重要だと主張し、Go-Toキャンペーンの実施が決まった。コロナ感染抑止とのバランスが大事だと言ってはいるが、感染者が急増している現時点で実施をするという決定は、明らかに経済問題の方を重視している。旅行関係の事業者の経済的打撃が極めて大きいと判断したのだろう。

 

 しかし観光業の落ち込みが大きいのは当たり前の話で、わたしたち一般人が旅行に行くのはコロナに感染するリスクが非常に高いと考えて自重しているからだ。非常事態宣言が解除された後は少し安心感が出て、近場の旅行やちょっとした外出はするようになっていた。それでも出来るだけ車を使い、人込みは避けるようにしている。わたし個人では日用品を買う以外の外出はゴルフと、月2回のギターレッスンだけだ。このギターレッスンも悩んだ末行くことにしたので、帰宅後はアルコール性の消毒液でギターケースを隈なく拭いたりして気を付けている。飛行機や新幹線を使って遠くに旅行に行くのは、とても魅力的だが我慢している。川崎に住む4人の孫たちとも会っていない。それでも4月に比べれば外出をしているし、それなりの気晴らしはできているので、'まあこれでいいか'と思っている。要するにこの状態で経済(わたしで言えば気分転換による心身のリフレッシュ)とコロナ感染リスクのバランスをとっているのだ。

 

 Go-Toキャンペーンは金を補助してやるからそのバランスを変えてみたらと言っているようで筋が悪いのだ。旅行代の半分を補助するからもっとリスクをとって楽しんで来いという誘いだ。もちろんそんな誘いは大歓迎という人もいるだろうが、コロナに罹ってもいいという人はあまりいないはずだ。元々の計画のようにコロナ感染が沈静化したら実施するというのは経済とコロナのバランスをとるという考えと合っているが、今のように感染が急増している時にやるというのは理解しがたい。秋になって感染者がもっと増えていってもかまわないと思っているのだろうか?経済のためにそんなリスクをとってどうするのか?行動を自粛したほうが良い状況で逆のことをやろうという政治家は最悪の事態になった時の責任をどう考えているのだろうか。

 2ヶ月ほど前に当ブログで東京五輪をどうするのか議論したが、元総理でオリンピック組織委員会会長の森喜朗は昨日「中止にしたら今の倍お金がかかる」と意味不明の発言をした。本人は例えで言ったと主張しているが何の例えにもなっていない。この程度の理屈言って総理になったのを見ると、今の政治家がGo-Toキャンペーンをやりたがるのも当然なようで気が重くなる。