ゴールセッティング(Goal Setting)について

 一月ももう半ばだ。月並みだがあっという間に時間がたつ。今年古希を迎える身としては先がどんどん少なくなっていることを感じる。残り少ない人生これでいいのかという思いはある。それならもっと有意義に過ごすべく、今後の計画を立ててそれに沿って生きればよいのだが、なかなかそんな気にならない。どう生きようかなどど考えるのは先の長い人の話で、70近くになると何をいまさらというのが本音だ。

 

 会社にいたころは11月くらいから翌年の仕事の目標を立てそれを意識して活動した。個人の目標は会社全体の目標やゴールを達成するために細分化されたものだから、その人の私的な目標ではなくあくまでも会社の目標の一部分にすぎない。とはいっても会社員の場合、時間の大半を会社での目標達成のために使うのだから、これは会社目標であって個人の目標は別にあると割り切れるものではない。個人としての目標と会社の目標が、どんな形であれ重なるのならこれにこしたことはない。

 

 会社員になる選択をする人はできるだけ給料がよく、仕事が面白い、自分の生き方に合っているような企業に入りたいと思うだろう。何から何まで満足のいく会社などないからほどほど自分の希望に合っていればよいというのが現実だ。こうした選択の背景には安定した生活や、経済的に恵まれた現在と将来、達成感のある仕事などが程よくバランスした人生を送りたいと考えることがあると思う。言い換えれば自らが考える人生のゴールを実現できる道としてある会社の一員になるのだ。そういう人にとっては会社で実績をあげて昇進し高い地位に就くことは自分の目標の実現に繋がるし、自分の人生のゴールを実現するステップになる。個人の目標と会社が与える目標が一体化するわけだ。

 

 わたしもそう考えて仕事をしてきたように思う。もちろん金とか地位だけではなく仕事そのものが面白いという面もある。会社の業務は多岐にわたるし、いろんなスキルや能力を持った人達が集まっているから学ぶことや驚くことが多い。わたしの場合は米国を本拠にして世界中で活動している企業にいたので、本当に多くの国籍の人と知り合い、一緒に仕事をしてきた。この会社にいなかったらこんな考え方は持たなかったろうと思ったことはしばしばだし、仕事を通じて成長した面は多い。だから若い人が自分のやりたい仕事を求めて会社をえり好みするのはほどほどにしたほうがいいと思う。なんとなくでも自分に合っていそうな会社なら入ってみることを勧める。そこで働いてからこの会社は長く勤める価値があるかを判断すればいいのだ。

 

 若い人のことはさておいて、わたしが考えているのは、まずまずの会社人生を終わった後の人生をどう生きるかという問題だ。若いころこんな人生を送れたらいいなというのが、自分の人生のゴールと考えそれを実現するようにやってきたが、会社人生が終わった後の生き方などは考えてもみなかった。69歳の今新たにゴールセッティングをすべきなのだろうか? 仕事らしい仕事をしていない中でどんな生活を送ってどんな死に方をするか考えるのだろうか? しかし死に方なんて選べるものではないだろう。年齢が近い人の訃報に接するたびに自分もいつこうなるかわからないという思いにかられる。ピンピンコロリで死ぬのが一番と言われてわたしもそう思うが、どうしたらそうなるかなどわからないし、ましてや何歳でそうなるのがいいかなどと考えるのはちょっと図々しいと思う。今まで元気にやってこれたのだから、それに感謝してあまり欲張ってはいけない。

 

 そうするとできるだけ健康で、楽しく、人に迷惑をかけずに、もしできたら何か人の役に立つことをして生きてゆけたらいいと思う。かわいい4人の孫の成長を見ていたいとは思うが、子供の人生だって見届けられないのが普通だから、孫の人生なんてわかるはずがない。4人の孫を持ったことだけに感謝すべきなのだろう。健康で楽しく、迷惑をかけずに生きるのがゴールとするなら、それを実現するための目標を考えてその達成にむかって行動することになる。

 

 健康のためには、無理をしない、ストレスをためないことだが、後者はそれほど簡単ではない。退職したといっても社会で生活しているわけだから、いろんなストレスは避けられない。これをどうやり過ごすかが大事なのだろう。嫌なことは忘れていいことだけを記憶するというが、凡人には簡単ではない。楽しく生きるには好きなことをやる。目下の関心はゴルフとギターだからこれが少しでも上手くなるように練習する。ゴルフはスコアに出るから進歩がわかりやすいし、ギターは先生にいわれる改善点を克服する。どちらも中々進歩しなくて大変なのだが楽しい苦労だ。

 そして知らないところに旅行する。世界中いろんなところに行ったが、だんだん長い旅が大変になる。特に自分で計画していく旅は億劫になってくるし、トラブルや危険への対処も難しくなってくる。パッケージツアーに世話になるしかないと思うのだが、一方で自分で行く旅ができるかどうかが元気かどうかの判断基準だという気がして、もう少し頑張ろうかという思いも残っている。いずれにしろまずは健康だ。

 人に迷惑をかけないのもやはり健康が大切だ。早めに医師に相談し、周りの意見を謙虚に聞くことだろう。特に車の運転をどうするかは重要だ。今は75歳くらいで一度考えるべきかなと思っている。もちろん車も進歩するから、それと自分の体調を考慮しての決断になるのだろう。いい車に乗る生活は悪くないのでさみしい気がするが、タクシーやハイヤーを使ったほうがはるかに経済的なのは確かだ。少し早いくらいの決定が大事だと思う。 

 

 最後は死んで終わるのだがこれはよくわからない。経験して学ぶことはできないし、まあなるようになるといったところだ。死ぬのはさみしい気もするし、楽になるという気もする。みんないろいろ考えて死んでいったのだと思うが、死ぬ前の日までギターを弾けたらいいなと思う。