梅雨明けの日に思ったこと

 あまりに暑い日が続くので、28(木)、29(金)と箱根に行ってきた。三島スカイウォークに行き、翌日はゴルフでもしようかと思ったのだが、雨、霧、強風などで何一つできなかった。29日に予定より大幅に早く家に戻ると気象庁が関東地方の梅雨明けを宣言した。このところの天気、これからの天気の予測から妥当な判断なのだと思うが、雨風にやられて戻った身からするとどうもしっくり来ない。

 一口に関東地方と言ってもそこから漏れてしまうところがあることを実感した。大きな意味での判断や決定に間違いはなくても、それが現実のすべてではなくてそこから外れる地域や人はいて、そんな地域や人にとって大多数を見ての決定は必ずしも適切には感じられないということだ。天気予報だけではなくて政治や報道でもこうしたことは起こるので、そうしたことへの配慮はやはり必要なのだと思う。横浜に住んでいると同じ県でここまで違う天気にさらされる地区があることには気づかない。そして繰り返すが同じようなことが福祉や教育やビジネス等多くのところで起きているはずだ。わたし達はそんな想像力を持たなくてはならないし、権力を持つ政治家やマスコミはもっとしっかりした想像力と哲学を持たなくてはならないだろう。情けないのは政治家には不可欠なその二つを全く持っていない二国の指導者が会って話をしたことで世界が振り回されていることだ。

 箱根に泊まった夜にサッカー・ワールドカップの日本とポーランドの試合が行われた。強まる風雨から翌日のゴルフは出来ないだろうと思い、最後まで試合を見た。試合後議論を呼んでいるが、わたしは日本の戦い方には正直に言って好感が持てなかった。わたしの考え方が良いとか西野監督のやり方が悪いとか言いたいのではない。ざっくりというとあの時の日本には前半に続いて点を取りに行く戦術と、守りに入ってこれ以上の失点と反則を犯さないという戦術の二つの選択しかなかった。わたしは前者がいいと思ったが、西野監督は後者をとったということだ。この選択に影響を与えるのは哲学とか人生への考え方だと思う。だからどっちが良いとかではなくてどっちが自分の考え方に合うかということなのだ。

 西野監督は結果としてベスト16入りを果たした。リスクをとって点を取る戦いをしてグループで勝ち残れなかったら、それはそれで凄い批判を浴びただろう。マスコミなどはそうした無責任なことを平気で言う。西野監督のやり方を批判するなら、それでグループ敗退をしてもそれが今の日本の実力だ、十分頑張ったのだからいいじゃないかと言わなくてはならない。わたしはそう考える方だが、ベスト16にも残ることの方が重要だという考え方は否定しない。だから西野監督のやり方もありだと思う。

 情緒的にこのことを議論しているケースが多いのでもう少し冷静に分析してみたい。西野監督の戦術をとった場合、日本は極めて高い確率(ほぼ100%)で0対1で負ける。では前半からの戦術を続けて点を取りに行ったらどうなのか。可能性としては日本が勝つケース、引き分けになるケース、それでも日本が負けるケースがある。わたしはサッカーはまるで素人なのでどのケースがどんな確率で起こるかは分からない。ただ素人目にも残った時間内で日本が逆転して勝つ確率はほとんどなかったようだし、引き分けに持ち込む確率も高いとは言えない。

 もっともありそうなのは日本が負けるケースだ。その中でも0対1で負ける確率が高いかなと思うが、ポーランドに追加点を取られてしまうケースも否定できない。0−2で敗戦ということだ。こう考えると攻めていこうが0対1になりそうで、ひどい場合は0対2になるかもしれないのだ。この場合セネガルが追いつけなくても、即ち0対1でコロンビアに負けても、日本はグループ敗退になる。西野監督は日本が追いつくケースより追加点を取られるリスクが高いと判断したのかもしれない。そうなら攻めていく選択はベスト16になるという点からは賢明ではないことになる。セネガルが同点にしたのなら仕方がない、しかしセネガルが0対1のままで負けても日本が敗退するリスクは取りたくなかったのだろう。

 西野監督はプロだからこのあたりをもっと深く分析していたはずだ。そして自分の読みに賭けた。西野監督はグループリーグ突破を期待された責任があるし、きっととても現実的な人なのだろう。わたしのように最後まで攻め続けろ、それで負けたら仕方ないではないかなどと考える人間は’ええかっこしい’なのだ。リアルに戦う勝負師は現実的であるべきなのかもしれない。ベルギー戦での頑張りを期待しよう。