WBCとは何だ

 来年3月のWBC(ワールド・ベースボール・クラッシック)が近づいてくると、その話題が増えてくる。わたしは元々WBCを、偽りの世界大会と思っていたのでこの話題が増えると不快になる。最高のレベルを誇るMLBの一流選手が出ない世界一決定戦にどんな意味があるのだろう。この収益金が不当に多く米国メジャーリーグに分配されることに反対し、日本プロ野球選手会が来年の大会に当初は不参加を決定していたので、やっと日本野球界もまともな対応をとるようになったと喜んでいたら、まともだったのは選手会だけで、他は’出ろ’、’出ろ’の大合唱で選手会も腰砕けになってしまった。この大会を実施することで多額の利益を得る人達が日本にもいるのだろう。

 日本人大リーガー達が続々と不参加を表明していることが報じられているが、そしてそれに対して不満や批判をする輩がいるが、わたしに言わせれば彼等の行動は全く筋が通っているとしか言えない。シーズン前の基礎体力を付ける重要な時期に、下手に真剣勝負などしたら怪我や故障をしてしまうと考えるのは全く当然だ。大リーグで最高のプレーをするための準備、努力をすることが自らの責務だと考えるのは、プロフェッショナルとしてまともな感覚だ。このために怪我をしたり、シーズンで良い成績が上げられなかったらその選手が非難される。出ろ、出ろといった連中が保障してくれるわけではない。

 MLBが金もうけのためにやるのに、彼等は良い選手を出さず、日本などには参加を要求する。米国の自己中心主義の典型的な例だ。日本は選手だけでなく、スポンサーも出しているので、要するにMLBに金をくれてやっているだけだ。いい加減にこんな構図はやめようと言うべきだ。前述のように選手会はまともだが、コミッショナーやマスコミが米国にいい顔をして自らの地位や収入を確実にしたいから’出ろ’、’出ろ’となるのだろう。米国に隷属して利益を得る連中が、野球界にまでのさばっているのかと思うと暗い気持ちになる。

 話は変わるが、孫崎亨という元外交官が書いた「戦後史の正体」がベストセラーになっている。日本の戦後史を米国との関係で見つめたもので、特に政界の有力者(主に首相)を’自主外交’と’対米従属’という二つの軸で評価しているところが面白い。わたしは著者の意見に全面的に賛成というわけではないが、なるほどと思わせる所が多々ある。同盟国であり、戦後の占領国であった米国と良好な関係を築かなくてはならないことは著者も認めるが、何でもかんでもイエスというのはおかしいし、国益に反することも多い、だから米国の要求と日本の国益をバランスよく考えて、政策を決めるべきだというのがその主張だ。著者に言わせると、長期政権だった吉田茂小泉純一郎は米国従属の典型で、国益に反した政治家だということになる。

 総理大臣が米国のプレッシャーに負けるのは、米国政府が本気でやってくるので、また経済や他の多くのことへの影響が大きいから、さもありなんと思うのだが、プロ野球関係者まで同じだと、この国は重要なことはいつも米国の意向をうかがって決めるのかと情けなくなる。マスコミなどは率先して、WBCボイコットを書き、日本のプロ野球選手会を支持すべきだったはずだ。孫崎氏の本にも、日本で最も悪い勢力の一つが大新聞だと書かれている。スポーツジャーナリストの二宮清純はWBCについて次のように言っている。’WBCはメジャーリーグのマーケットを拡大し、新しい収入源を獲得するための大会。「真の世界一を決める大会」とのうたい文句はタテマエに過ぎない’こんな当たり前のことを何故大新聞は避けてWBCを報道するのだろうか。


 最後に私がWBCが本当に嫌いになったエピソードを一つ。それは前回の大会前に、共に参加を期待されていた松井とイチローについてである。日本野球でも大リーグでも先輩のイチローがWBCに関して松井に、慎重に考えて決めよう、決めた時には発表前にまず連絡し合おうと確認したのに、松井に黙って参加を発表し、その後不参加を決めた松井に悪いイメージをあたえたと言われる件だ。

 イチローはWBCの大会が始まるとミーティングでリードをとり、’参加しなかったやつにわれわれの心意気を見せてやろう’とまで言って、日本のプロ野球から参加した若手を鼓舞したそうだ。明らかに松井への当てつけである。このエピソードはこのブログを始めた3年以上前に’イチローvs松井’と題して、長々と書いた時に入れようと考えたものである。その時は雑誌の記事で読んだだけで、自分が聞いたわけではないという理由で書かなかったが、そしてその状況は今でも変わらないが、松井とイチロー人間性を明確に示すものなので、やはり今回書くことにした。

 米国最高の人気球団ヤンキースの主力選手だった松井と、日本企業が半分資本を持ち、西海岸の中規模都市シアトルに本拠を持つ弱小球団マリナーズで皇帝のようにふるまっていたとされるイチローとでは、WBC参加へのハードルが違いすぎる。優勝など縁遠く、個人記録だけが重大関心事のイチローならWBCへの参加は簡単だしかえってチームもサポートするかもしれないが、米国野球ファンの注目を浴び続ける松井はプロとして何が一番大切かを考えて意思決定することが求められる。上述したように、不参加こそ正しい決定だったのだ。イチローはその状況を利用して自分のイメージを上げ、松井のイメージを下げようとした。イチローは大人の決断をする松井に嫉妬して、そんな言動をしたのかもしれない。

 マリナーズに居場所がなくなったイチローは、かつて松井がいたヤンキースに売値を下げて売り込み、当時松井が体験した一流球団でのプレーにこだわっている。日本の一流企業がそんなイチローをCMに使いたがるのが不思議でならない。イチローの出ているCMをみると、彼が懸命にどうだ上手いだろうと言った演技をしているのに気づくが、そんな演技が持つ嘘らしさも同時に感じてしまう。儲かればよいという企業は、人間性などは考えず、個人記録とタレント的パフォーマンスが優れた選手を使いたい思うのかもしれない。