トランプは米国に何をもたらすのか

 トランプが大方の予想を裏切って共和党の大統領候補になり、本戦でも民主党ヒラリー・クリントンといい勝負をするのではと予想されている。トランプが下品な言葉を使って攻撃をクリントンにするので、彼女もそれに対抗せざるを得ず、米国の大統領選の論争の程度の悪さは見ていて気分が悪くなる。悪化は良貨を駆逐するというか、上手な麻雀のメンバーに一人だけ下手が入るとその卓のマージャンのレベルが下手な打ち手のレベルに落ちるようなものだ。たとえが適切じゃない?トランプを見ているとこんなたとえしか思いつかないのだ。

 トランプがこれほど支持を得た理由は多くの評論家たちが説明しているが、それによると米国のマジョリティを占める豊かでない白人層の不満を吸い上げたということらしい。一方でクリントンの人気がそれほど高まらないのは、メール事件もさることながら、彼女がいわゆるエスタブリッシュメントに属したエリートであることが好感度を損ねているのだと思う。大衆性がないというわけだ。トランプが下品な言葉を使って移民および彼らの母国(主にメキシコ)を非難したり、米国に商品を輸出するアジアの国々を攻撃しているのが大衆性を持っていることを意味するのではないと思うのだが、現実に彼は社会で恵まれた立場にいるとは言えない多くの白人の支持を得ている。そもそもトランプは大金持ちだし、その富は富裕層相手の不動産やリゾート施設の運営から得たものだ。本質的には彼は金持ちの見方だし、万一大統領になったとしてもその姿勢は変わらないはずだ。だから豊かでない人たちがなぜ彼を強く支持するのかよく分からない。恐らく何でもいいから従来とは違った政策をとるかもしれない点に期待を寄せているのだろうか。

 トランプが言うように移民を制限することは米国の利益になるのだろうか? 米国は元々ヨーロッパからの移民で成り立った国である。多民族国家で自由と平等が保証された社会という国家の理念は、伝統にとらわれたヨーロッパへのアンチテーゼとして発展してきたのだと思う。ヨーロッパからの移民が一段落した後は、貧しい国々から移民を受け入れて彼らを米国民として認めることで成り立ってきた。しかしそれは安価な労働力の確保であり、人口を増やすことで経済の規模を拡大するためだったのが実態だともいえる。成功の機会は平等に与えられているとは言うものの、既に自分たちの居場所を持ち経済的・政治的基盤を確立した米国民に比べ、新しい移民者たちが成功するチャンスは極めて小さいし、そんな移民者たちが当然ように社会の底辺に位置することは一層の階層化を進めることになった。このことは従来からの米国民でいながら豊かさの恩恵を得ていない多くの人たちとっては、自分たちより下の階層がいるということで一種の安心感となり彼らの不満を緩和する役割さえ果たしてきたと思う。それでもメキシコをはじめとする中南米からの移民者たちは母国にとどまるよりも飢えのリスクが減り、生活の向上の夢も見られることで米国民となることに意義を見出してきたのだ。米国経済の発展は金融や石油、兵器産業そしてITによるものだということを否定はしないが、その裏にはこうした移民者たちを受け入れた社会構造なり経済階層によって支えられてきた面があるのは間違いない。

 米国経済は近年成長を実現したとしても、一部の企業と恵まれた個人にしか恩恵をもたらさず、中以下の階層に属する多くの国民にとっては経済成長なり企業の好決算の効果は感じられない。それはその社会が支配者層だけが潤う構造になっているからだ。多くの国民はまるで搾取されるために存在している。そしてその構造を変えようとする動きはとても小さい。オバマが医療システムを変えようとしたときの共和党や上位階層の白人たちの反発を見てみるとわかる。彼らは自己責任とか小さな政府と言って、富の再分配をして弱者を救うことを決して支持しないのだ。そこには増える移民に対して金を使いたくないという言い分があるのだろうが、実態は多くの豊かでない白人層にまで適切な社会保障が適用されない社会を作っている。多くの米国民の生活が苦しくなっているのは必ずしも移民が原因なわけではない。もちろん中南米からの移民の増加は、単純労働の賃金を下げたりそこに携わる米国民の職を脅かしたりすることがあるだろう。また犯罪の増加の要因になっていたのかもしれない。しかし中間層が怒るとしたらその対象は移民だけであるはずはない。しかし人々の多くは自分の不満を最下層にいる移民に向けがちである。そこをトランプは付いて支持を伸ばした。しかしトランプが言うように移民者を排斥しても問題解決にはならないと思う。

 わたしにはマクロ経済のことはよく分からないが、米国経済の本当の問題は従来のように移民を受け入れることで安価な労働力を確保し、人口を増やして経済の規模を拡大するという経済モデルに依存しつつも、そのモデルがもたらす負の面をなくすことができないというか、そのまま放置していることにあるような気がする。経済の規模が大きく資源、金融、ITで世界の中心的な役割を担っている米国は今でもそれなりの経済成長をしているが、一部の人しか豊かさを実感できていない。多くの国民の生活は決して豊かとはいえず移民たちは最下層におかれ続ける。支配層はそれでも飢えているわけではないから他よりいいだろうと思っているようだ。要するに米国も歴史が200年を超すとヒエラルキーが出来て、富を所有する人たちはその状況を確固足るものにしたくなるのだろう。確かに米国にはまだ才能と努力と運があれば大成功して経済界や政界で大物になれるチャンスがある。しかしこうした大成功も高学歴で才能とチャンスに恵まれた人に限られるのは言うまでもない。多くの国民には無縁だ。

 トランプがやろうとしていることは米国が米国である基盤なり理念を放棄することだ。選挙で受けが良く大衆にアピールするという理由だけでその主張を続けている。それが結果として米国の経済の活力を損なうかもしれないことへの深い考察はないようだ。社会を変えるのなら今まだ進行中の経済格差拡大を改善する方法を訴えるべきなのだが、本質は富裕層寄りの差別主義者のトランプがそれをするとは思えない。こんなことは自明なのにトランプを支持している多くの米国民は現状に絶望的な虚無感を抱いているのだろうか。英国でもEU離脱をめぐって国民投票が行われる。その行方は5分5分だそうだ。過去の大英帝国の夢を見て内向きの政策をとればよいと思う人が増えているのだろうか。今EUを離脱しても良いことなどないと思うのに、一部のポピュリストの政治家たちは国民受けのすることを言って支持を伸ばしている。その構図はトランプが支持を拡大したのと似ている。決して健全な方向には見えないのだが。