田中角栄と小沢一郎

 小沢一郎が無罪判決を得た。判決の是非を議論できるほどの知識と情報はないが、小沢を支持する議員たちが喜ぶ姿を見て白けた感じがするのは私だけではないだろう。本人はもう一度お国のために尽くしたいという意向のようだが、ここでスッキリと引退するのが国のためだし、潔い引き際として本人の評価も上がるのではないだろうか。本人や支持者の思いとは反対に、小沢一郎はもう終わった政治家というのが、多くの国民の実感だと思う。

 小沢一郎は元々田中角栄の弟子である。幼くして亡くなった田中の長男と同い年ということで、田中は特に小沢を可愛がり、小沢も忠誠をつくしつつ自民党で実績を積んだ。竹下派結成後はその幹部となり47歳で自民党の幹事長になり、田中が首相退任後そうであったように総理を陰で操る実力者として権勢をふるった。今振り返ればその時が小沢の絶頂だったのかもしれない。総理になろうと思えばいつでもなれると言われた男が、その後は政局を動かしつつも頂点にはいられず、自らの政治資金と資産形成に疑念を持たれ訴追され、今回灰色と言われながら無罪を勝ち取った。この男とロッキード事件で有罪となり政治生命を断たれた、彼の政治の師匠、田中角栄の政治家としての歩みを比較してみたい。

 田中角栄は小学校卒(実際は中央工学校卒だが)の学歴で国会議員となり、その行動力、人心掌握力、資金力をいかして54歳で総理大臣になった。自らが支配する複数の企業による不明朗な土地取引で巨額の財をなし、それをベースに政界でのし上がったのだが、この点を批判され総理の座をおりた。田中のやり方は確かに不明朗で疑惑に満ちたものだったが、そしてその言動は品格に欠けるものであったことは事実だが、彼は日本を経済的に豊かにして国際的にも一目が置かれる国にしようという強い意志があったように思う。狭い日本の土地を有効利用して効率を高めようとしたり、ブラジルと緊密な関係を作って食料の安定的な供給ソースを作ろうとか、原油の輸入先を増やしてエネルギー政策の安定性を高めようとか、従来のそしてその後の総理大臣とは明らかに違う発想を持ち、それを行動に移した。中でも日中国交正常化を果たしたのは最大の功績だろう。

 こうした彼の行動力に米国が不安を持ち、ロッキード事件で彼を失脚させたという謀略説は一部ではいまだに強く支持されているそうだ。わたしにはこれの真偽を判断することは出来ないが、ロッキード事件そのものにあまりに多くの不審な点、不自然な部分があることは多くの人たちが指摘する通りだと思う。田中が行ったこと、行おうとしていたことは、こうした議論が出るほどのインパクトを持ち、日本を従順な同盟国にしておきたい米国を不安がらせるものだったというのは間違いないところなのだろう。田中はこのロッキード事件で有罪になり実質的に政治生命を断たれた。言いかえれば、田中角栄は調子に乗りすぎて米国を甘く見て、つぶされたことになる。しかし戦後、後にも先にもここまで日本の主体性を貫こうとした総理はいなかったという点でも、田中はひときは抜きんでた存在だったと思う。

 一方小沢は自民党離党後、新生党新進党自由党を作り、最終的には民主党と合併してその幹部となった。要するにいつも権力の中枢にいて、政治的な影響力を保持しようと行動してきたのだ。その結果、彼は政局の中心に居続けることになったが、大臣になるわけでもなく、もちろん総理になる事もなかった。これはある部分彼が望んだことだったのかもしれないが、政治的な影響力はあっても、実際の政治的実績はなかった。自民党離党前に出版した「日本改造計画」は、将来を見据えた活動の指針として評判を呼んだが、その後は主張も徐々に変化し、選挙に勝つための主張の色合いが濃くなった。彼が「日本改造計画」で訴えたことの多くは、より単純化して小泉純一郎が行ったともいえる。

 小沢一郎は、田中角栄脳梗塞で倒れた年齢(68歳)を超えた70歳で無罪を勝ち取った。政治の師匠より長く政治生命を保ち、裁判で無罪となったという2点で田中角栄を凌いだのである。しかし彼が政治家として田中を超えたと思う人はほとんどいないだろう。小沢が前記の2点で田中を超えられたのは、見るべき政治的な実績を残さなかったことと、人に疑惑と責任を押し付ける生き方をした見返りにすぎない。

 功罪相半ばともいえるが、田中は総理大臣として多くの実績を残した。同時に彼は独特のアプローチで政界、官界にも多くのファンを作った。しかし小沢は自身は表舞台には立たず、具体的な政治的実績も残さず、有力な支援者も持てなかった。似たような道を歩んだかに見える師匠と弟子には、人間として政治家として器量という点で大きな違いがある事は明白だ。小沢が田中角栄を意味あることで凌げるとしたら、引き際だろう。無罪を勝ち取った今こそその時だと思う。