民主党のこれから

 鳩山首相小沢幹事長が辞任した。これは民主党にとってもそうだが、それ以上に日本にとって良いことである。鳩山氏は民主党の議員総会で言い訳がましい辞任の弁を語っていたが、この数ヶ月間の彼の言動が日本の国益を損ねていたことは明白で、彼の辞任によってもたらされるプラスが極めて大きいことは疑いない。小沢幹事長も政治資金の不明朗な調達方法と強圧的な政治手法と言う、昔の自民党の悪い部分をより強化して保有することで権力を維持していたわけで、永田町以外では既に時代遅れの存在でしかなかった。早晩退出すべき政治家だったと言えよう。

 振り返ってみると、鳩山政権の8ヶ月間は民主党政権の問題点を浮き彫りにした。民主党の問題点とは民主党そのものが本質的に持つ構造的なものであり、民主党政権発足の時から抱えていたもので、その政策の多くはいつか検証、修正すべきものだった。普天間の問題はその一例にすぎず、鳩山首相の稚拙な言動でこれにだけ焦点が当たっていたが、他の政策にも同じことが言える。言い換えれば、従来の主張が現実的な妥当性を欠くことを認め、自民党時代の案に戻るということを他の政策でも行わなくてはならない可能性を示したのだ。これが鳩山首相の最大の功績かもしれない。

 民主党の問題点は2つに絞られる。一つはマニフェストに掲げた政策の現実性である。民主党の政策は野党時代に自民党との違いを明白にするという立場で作られた。これはある意味では野党として当然のことだったのかもしれない。しかし問題はその多くが非現実的で財政的な基盤のないものであり、従来の議論の成果を捨て去るようなものであったことだ。特に国民的人気が高かった小泉政権の政策の負の面が現れてきたことを意識して、それを否定する政策にこだわった結果、いたずらに金のかかる大きな政府を志向せざるを得ないことになった。自民党の失政はあったにせよ、小泉改革の成否は出ていなかったし、最近の不況にしてもリーマンショックによるもので自民党の政策によって起こったものではない。当時民主党が政権をとっていたとしても、より有効な経済政策が打てたとは思えない。

 いずれにしろ民主党自民党と正反対の政策を訴えて、先の衆院選挙で圧倒的な勝利を手にした。しかし多くの国民が民主党に票を入れたのは、世襲政治家が権力を握る自民党政治に嫌気がさしたからである。多くの国民が期待を寄せた小泉政権も格差の拡大を招いて人々の不満を高めたし、それに続いた世襲議員の総理大臣が3人ともお粗末だったことが決定的な失望をもたらした。国民の多くは民主党が掲げる政策の実現性には疑問を持っていたが、それを問題視するより変化を求めたのである。

 この8ヶ月間の内閣を見ていると子供手当の在り方、健康保険制度の改定、年金の改革、高速道路の将来、そして外交政策においても何も具体的な改革案が示されていない。事業仕訳についても予想されたような経費の削減は出来ず、パーフォーマンスを示すだけに終わっている。自民党案に無責任な反対は出来ても、厳しい予算制約の中で現実的な対案を示す能力がなかったことが明らかになったのだ。その結果37兆の税収のもとで92兆円の予算を組むという愚を犯している。自民党時代にはまだプライマリーバランス上で赤字にならないようにと言ったまともな議論がされていたが、民主党は国民への飴を与えるためにいたずらに借金を増やす道を歩んでいる。
 経済を活性化して税収を増やすというのも掛け声だけで、実際には国民の不安を煽るだけで消費を増やそうとする政策を打っていない。年金一つとっても、以前の当ブログにも書いたように制度の欠陥があるのか、人口及び経済情勢といった環境要因から制度が維持できないと言っているのかも明確ではない。民主党が明らかにしたのは社会保険庁の怠慢な仕事ぶりだけであり、それが自民党と官僚のせいだと言うだけでは建設的な議論にならない。少なくない数の学者たちが年金制度には致命的な問題はなく、民主党の将来予測に問題があると言っているが、もしそうなら国民の不安は大きく減ると思う。こうした点について何も語っていないのが現実だ。国民は民主党のそんな能力の限界に気がつき始めている。

 管新首相に課せられた命題は民主党マニフェストを出来るだけ早い機会に見直すことである。今まで格好の良いことを言っていたのでみっともないかもしれないが、また野党からは厳しい非難を受けるかもしれないが、現実的な判断に基づいて確実に実行できることを予算の制約の中でやっていくしかないのだ。それ以上は出来ないことをはっきりと国民に伝えることが信用のおける政党、政治家としての評判を勝ち得ることにつながる。

 民主党のもう一つの問題点は、人材が乏しいという点である。この8ヶ月間の迷走はそのことを露呈した。小沢氏があれほどの権力を行使できたのも、彼に対抗できる政治家がいないからである。鳩山内閣の顔ぶれを見ても、半数以上は大臣としての見識も、志も、経験も感じられない人達であった。弱小政党の党首として内閣に入った亀井静香大臣の存在感が際立っていたのも、彼が自民党時代に責任与党の政治家として世論の批判にさらされ、かつ厳しい権力闘争を生き抜いてきた経験があるからである。私は彼の主張や政策に必ずしも賛同する者ではないが、政治家としての器量や才覚は他の閣僚より明らかに上回っていた。こうした政治家を内に抱えていた自民党は、長く権力に就いて腐敗した面はあったにせよ、民主党よりは多彩な人材がいたと言える。管首相の内閣は参院選までは大部分において現行のメンバーを維持するだろうが、その後は本当に志と能力のある人を登用しないと鳩山政権の二の舞いとなるだろう。特に自民党より保守的と言わざるを得ない労働組合との関係をどう整理するかを明確にしない限り、自民党とは違った形での、そしてもっと根深い癒着構造から逃れることは出来ないと思う。

 いずれにしろ管内閣はこの難局に対処しなくてはならない。国内的にも、国際的にも物事が複雑に絡み合い、ステークホルダー間の利害が全く一致しない状況で、全員が満足する解決策などあり得ない。何かをすれば誰かは喜ぶが、誰かは不満を言うのである。その時重要なのは政治家の信念であり、現実を冷静に見つめ判断する能力である。美辞麗句を並べて結果が伴わなければ、何もしないより罪は深い。管首相が愚かな言動をとって国内外を無意味な混乱に陥れることはないと思うが、それだけに政策の妥当性に厳しい目が向けられるだろう。まずやらなけてはならないのはマニフェストの見直しである。勇気を持って誤りを正し、現実的な政策をとるような変化をするなら、国民ももう一度民主党に任せてみようと思うであろう。民主党の正念場はこれからである。