政治家の外交センスのお粗末さ

 尖閣諸島に対する中国の強硬な主張への対応が定まらない中で、ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土を訪問して、日本政府、特に菅内閣は右往左往している。その狼狽ぶりは見ていても気の毒になるばかりで、要するにどうしてよいのか分からないのである。国内でのポジションを高めることだけに力を注いできた、すなわち国会議員になり、政権をとり、あわよくば総理大臣になることだけを目標としてきた者にとって、総理になった後で何をやるか、特に外国人と厳しい交渉をしたことのない人間にとって外交問題にどう対処するかについての基本姿勢や哲学などないのだろう。菅氏は首相になったことで上がりになったと考えるのが妥当なようだ。

 ここでは菅総理の資質をいまさら議論するつもりはないので、民主党の外交姿勢についての疑問を述べることにする。とは言っても私は政治や外交には全くの素人で何の識見も持っているわけではない。ただ私のような素人でも中国の一党独裁体制、非民主的な社会制度、ウィグル自治区での弾圧等々を見れば、簡単に信用して付き合える国ではないことは分かる。ロシアについても周辺の旧ソ連邦の国々への強圧的な対応から、強権的な大国主義が基本の国だと判断せざるを得ない。2-3年前、猫も杓子も「中国、中国」と言っていた時に、ある企業幹部の方に意見を求められ「原則共産主義なのだから、それなりのカントリーリスクはあると考えるべきでは」と答えた記憶がある。別に私の目利きを自慢しているわけではなく、中国に関するニュースを客観的に見ていれば、そう考えるのがまともだと言いたいのである。


 現在のような複雑な問題にどう対処すべきかなどは、私の手に余る問題だが、日本の多くに政治家(それもトップの政治家)にとっても能力を超えた問題のようだ。これを見るために今政治家たちが何を語って、どう行動しようかに注目するより、民主党が政権を取ってから中国やアジアの問題にどう対処しようとしてきたかを振り返ってみるのが良いと思う。なにせ民主党が与党になってからまだ1年と2カ月なのに、首相は変わるは、主張は変わるは、外交に関してはほとんど無責任で危機的な状況が続いているからである。

 2009年に政権をとると鳩山首相は'東アジア共同体構想'なるものを主張、提案し始めた。その前提として当然議論されるべき日米安保との関係も不明確なままに、'米国一辺倒ではなくアジア重視へ'という意図だけがあったようだ。共同体にアメリカを含めるか否かも明らかではなく、中国の胡錦涛主席にこの構想を説明をしている。いかにも米国を軽視し、中国を重視する姿勢だった。中国からは彼等がアジアの覇権を握るために上手く利用されてしまうのではないかと言う疑問を鳩山首相は持たなかったのだろうか。中国も日本と同じにアジアに平和と安定をもたらすことで、ともに経済発展をしようと考えると思ったのだろうか。信じられないほど単純な頭の構造である。そしてもっと驚くべきことは民主党の他の幹部もそうしたリスクを指摘して、暴走を止めなかったことである。

 当然米国はそうした動きに懸念を表し、一方で中国は米国抜きの共同体など上手くいかないと考えたのか、この構想は立ち消えになった。民主党幹部は慌てて米国に対し'日米同盟'の重要性を主張したが、米国の不信は簡単には払拭できなかった。これと一連の動きの中に普天間の問題の混乱もある。誰を味方につけて、誰と一定の距離を置くべきかと言った基本的な考えがないのだ。

 日本が米国に過度の依存をせずに、多くの国と上手くバランスととった関係を持つことで国益を維持しようとするのは間違いではないだろう。しかしそれにはしっかりした現状認識と守るべき国益とは何かという哲学をベースにして、戦略的に立ち回ることが求められる。日本の指導者が、外国のトップと通訳抜きで話せるコミュニケーション能力や信頼関係を有することが必要だ。そうした基盤なしに思いつきで友愛外交をしようとしても笑い物になるだけだ。現在の菅内閣にはその友愛外交すらない。何の哲学もなく、現状認識も乏しく、状況変化に対応してやり過ごそうとするだけだ。
 外交とはどこかの国を一方的に信頼して行うものではなく、自国の政策や社会制度に合致し、利害も共有できる国と、戦略的見地から政治的、軍事的、経済的な結びつきを深め、同時に他国とも適切な距離感を持って敵対しない関係を維持することだろう。こう考えれば中国と比較したら米国の方が信頼できるのは明白だろう。

 米国も傲慢で自国の利益になる政策をゴリ押しすると言った点では、中国やロシアと似たようなものだ。しかし明らかに異なるのは民主主義が根付いて、言論の自由が保障されていることだ。歴史を学べば、大国の横暴と覇権主義は大昔から変わることはないことは明らかだ。小国はその間で上手く立ち回ることが生き延びる術だ。ではどの大国とより近い関係を持つかと言えば、民主的で国民の自由がある国が良いのは疑う余地はない。そうした国とは話をして事態を解決する可能性があるからだ。こんな素人でも分かることを民主党の幹部は理解していないのではと心配になる。選挙で彼等を選んだものの、もう一つ信頼できず、不安感を持つのは、鳩山前首相だけでなく民主党の政治家の多くがこうしたまともな外交感覚を持っていないように思えるからだ。

 日本のマスコミ(特に新聞)や一部の政治家は米国の横暴に対しては極めて敏感で、強い反発を示すのだが、同じことを中国がしても比較的好意的であるか、鈍い反応しか示さない。過去の中国侵略への贖罪感とアメリカへの近親的憎悪がごちゃ混ぜになって、対応に差が起きているようだ。しかし彼等が米国を偉そうに批判できるのも米国に言論の自由があるからであり、中国に対して曖昧なのは中国には言論の自由がなく、批判に対しては不合理で厳しい反応をするからだろう。取材拒否や国外退去もないとは言えない国だ。国民はそのことに気づいている。
 だからといって前原氏のように現状分析が甘いままで強硬な姿勢だけをとっても事態に解決にはならない。強硬さと柔軟さを使い分ける器量が必要だが、そのベースになるのは冷徹な現状認識だ。マスコミや政治家が正しい現状分析の努力をしない限り、信頼できる報道や外交政策などとれないだろう。それがどれほど国益を損ねているのかを考えるべきだ。賢明な国民はこの国が生きてゆくためには誰とやってゆくのが良いか分かっているのに、新聞と政治家が問題を正しく認識しないのではこの国の将来は危ういとしか言えない。