インターナショナルプレーヤーへの道

 「インターナショナルプレーヤーへの道」と題を付けたがスポーツ選手や音楽家だけを指しているのではなく、他の分野の芸術家、学者、ビジネスマン、政治家等を含んだ国際的に活躍する人材を想定して、そこに至る道について考えてみたい。

 この問題を書こうと思ったのは、米国PGAツアーメンバーの今田竜二の活躍を、月曜の朝のBSのゴルフ中継で見たからである。FRYS.COMオープンで今田のツアー2勝目はならなかったが、6位となり来年のシード権をほぼ確実にした。今年34歳になる今田竜二は現在日本人唯一のPGAツアーメンバーである。(シニアのチャンピオンツアーには尾崎直道が、LPGAには宮里藍宮里美香上田桃子が参戦している) 7歳からゴルフを始めた今田は、14歳の時に親の反対を押し切って単身渡米した。ゴルフの本場で腕を磨きたいという一念からである。以来フロリダをベースにして研鑽を積みプロゴルファーとなり、2005年にPGAのレギュラーツアーのメンバーとなって以来6年間シードを守り、前述のように来年のシードも確実にしている。

 特に2008年にはツアー初勝利を挙げ、獲得賞金も300万ドルを超えランキング13位になった。その後調子を落としていたが、最近復活の気配を見せてツアー2勝目が期待される。若くしてアメリカにわたりプロゴルファーを目指した若者の中ではただ一人成功した選手である。

 一般的に日本人プロゴルファーが世界に挑戦する道は、日本での実績をベースに海外のメジャー大会に招待されてプレーするか、日本で経験と実績を積んだ後でPGAツアー資格をとる試合で上位に入り正式のツアーメンバーになるかである。前者の代表的な例は尾崎将司青木功中嶋常幸であり、最近では片山晋悟、石川遼もこのグループに入ると言える。後者には尾崎直道丸山茂樹、田中秀道等がいる。

 前者の代表であるAON(青木、尾崎、中嶋)はその才能では傑出していたが、スポット参戦で勝てるほどメジャーの大会は甘くはなかった。しかし彼等が若い内からアメリカでプレーしていれば、間違いなくPGAでも一流のプレーヤーになったであろう。彼等はそうした時代に生きていなかったとも言えるし、日本での地位と名声を捨ててより困難な世界に挑むというリスクを取らなかったともいえる。その中で青木功は日本で十分勝ってからだが、アメリカに生活のかなりの部分を移し、PGA及びチャンピオンツアーの積極的に参戦した。その意味では青木は上記の2グループの中間と言えるかもしれない。
 
 こう考えると今田の選んだ道は日本人としては異色だし、最も困難な道であったと言えよう。英語も出来ない年齢で米国に移り、ゴルフの練習をしながら中学、高校、大学と進むのは並大抵の努力では出来ない。体格的にも才能もAONには及ばない今田がPGAでやっていけるのは、通常の日本人プロゴルファーがしない苦労をして、異国で働く日本人としての底力を身に付けたからだろう。英語でのコミュニケーションに問題がないという点も、他の日本人プレーヤーとの比較では彼のアドバンテージだ。

 他のスポーツでも日本で実績を積んでから海外に行くと言うのが普通である。野球のイチロー、松井、松坂もそうだし、サッカー選手も同様だ。但しサッカーでは海外でも一流と言われたのは中田英寿だけだろう。今セリエAで頑張っている長友には中田に負けない活躍を期待したい。(野球ではMLBへの道を開いた野茂の存在を忘れることは出来ない。日本球界での支援が得られず孤立無援の状況で渡米し、大活躍した彼の存在なしにその後のイチローや松井の活躍を語ることは出来ないだろう。その意味では彼も自らの信念で新しい道を切り開いたヒーローだと言える)

 スポーツ界で若く無名の内に海外に渡り成功したのは今田のほかには、キングカズこと三浦知良とテニスの錦織圭くらいだろう。カズは日本サッカーの発展の基礎を作ったスタープレーヤーだが錦織はまだ発展途上でこれからの活躍が楽しみな選手だ。しかしこう考えると、最もレベルが高く学ぶものが大きな所に若い内から出て行こうとする選手がいかに少ないかが分かる。生活習慣や言葉の問題でハンディがあるのは理解できるが、だからこそ若い内にしか行けないのだということに気づいてほしい。なまじ日本で多少の成功をしたら余計にいけなくなるのだ。日本は分野を問わずある程度成功した人間にはとても居心地が良い所だ。競争はそこそこだし、収入は悪くない。生活もしやすい。そこで満足しようという人達には海外に行って苦労するのは割の合わない話なのだ。だから一流の選手が育たないとも言える。ゴルフ、野球、サッカーで一流選手をもっと作るには今の日本からどれだけ早く逃れて最高峰のレベルのところに行って学ぶかにかかっていると思う。(特に高校野球などでマスコミの商売のために、いたずらに若者の気持ちを煽って無理な日程で試合を行い、体を消耗させる仕組みを変えない限り、日本では長く活躍出来るプレーヤーを育てるのは難しいと感じる)


 一方でクラッシック音楽などでは若い内に海外に行って一流の指導者に学ぶというのが一般的だ。国内と海外のレベルの差が大きく、特に良い指導者となると圧倒的に海外の方が豊富なのだろう。彼らにとって一流になるということは世界で活躍することと同義であり、野球、ゴルフ、サッカーのように国内で一流なら世間から認められ満足してやれるわけではないのだ。


 学問の世界はどうなのだろう。今年もノーベル化学賞を二人の日本人がとったがどちらも昔の研究だ。そして鈴木教授も根岸教授も学者としてのキャリアの若い内にアメリカに行って研究をしている。特に根岸教授は一度企業勤めをしたために、日本では大学(学者の世界)に受け入れてもらいにくいので、そうした制約の少ないアメリカに行って学者になる道を選んだという。これなどは日本の学問の世界の閉鎖性が有能な人材を海外へ向かわせ戻ってこなくさせた例とも言える。その他の日本人のノーベル賞受賞者(文学賞と平和賞を除く)の多くが若い内に海外で学んだ経験を持つ。但しそういう人達でも受賞の対象となった研究は日本でなされたものもあり、また全く海外での研究経験のない受賞者もいることを考えると、優秀な研究者がオリジナルな発見なり発明をすれば受賞のチャンスがあるという仕組みが出来ていると思われる。その意味ではどこにいてもチャンスはある世界なのかもしれないが、これだけグローバルな状況になるとやはり優秀な人が集まって競争が激しい環境で切磋琢磨することが必要なのではないか。

 私の友人がサラリーマン生活の後にある国立大学で産業界と大学の研究を結び付ける役割の仕事をしていた。彼によるとその大学では米国の大学院や研究所への留学のチャンスが非常に多いのだが、それに応募する若い研究者がほとんどいないのだそうだ。最先端の立派な研究をしていても米国に行って厳しい競争にさらされるのを好まないという。理由を聞くと英語のハンディがあるから競争上不利だと言う。だから非英語圏への留学に対しては英語でのハンディも少ないから少しはポジティブらしい。スエーデンとかノルウェーなどがそうした対象国なのかもしれないが、とても残念な気がする。若い内に本当の秀才たちと競争することで磨かれるものや、ヒントを得ることが将来の財産になると思うのだが、そうは考えないようだ。そういえばノーベル化学賞の根岸教授も近頃は日本人がパーデューに来なくなったと言っていた。こうした状況では20年後にもまだ日本人がノーベル賞を取ることができるのだろうかと考えてしまう。賞を取るのは結果で運もあるから、世界に通用する学者の育成と言う点で考えても、居心地の良い所だけにとどまっていては、世界の人に影響を与える研究者になることなど出来ないのではないだろうか。今回の化学賞の二人の教授はパーデュー大学のアメリカ人の恩師の指導で研究の方向が定まったと感謝の念を表していたが、そんな影響力を持つ日本人研究者が現れて欲しいと思う。

 
ビジネスの世界ではもっとグローバルなマインドセットが必要だ。語学も大事だが、世界で普通になっている考え方や判断の基準を持つことだ。それぞれの国が持つ固有の文化を守ってゆくことは重要なことだが、同時に日本人の判断基準とグローバルなビジネスの世界で多くの人達が持つ基準の違いを理解する必要がある。ビジネス上の意見の対立を恐れない姿勢、仕事を離れたら意見の対立を忘れて付き合える成熟度、性や人種の違いにこだわらない態度、年長者への配慮と年長者の意見の評価を切り話せる柔軟さなどを身につけないと日本人以外のビジネスマンに信頼される人にはなれない。年功序列を強く意識する、玉虫色の態度を取る、人となりより肩書で判断する、西欧人には卑屈になる、これらは今でも多くのビジネスマンに見られる態度だが、こんなことではまるで世界では通用しない。事態を改善するには、出来るだけ多くの人が若い内から外国人に接する機会、特に仕事や勉強をする機会を増やすしかない。

 そうすれば英語のために英語を学ぶのではなく、仕事や勉強を一緒に行い、その議論をするために英語を学ぶことの必要性が分かるはずだ。今朝の朝日新聞で著名な同時通訳者の鳥飼玖美子氏が、英語は今や世界でのコミュニケーションのツールなので、外国人とコミュニケーションがとれるならば、それぞれの国に適した英語でも良いと言っていたが全く同感だ。私が会社にいた頃、アジアパシフィック(AP)の会議に出るとまず各国の英語に慣れるのに半日はかかった。わたしにはアメリカ人の英語だけが分かりやすく、オーストラリア、タイ、マレーシア、シンガポール人の英語は、もちろん話す人により程度は異なるが、大変わかりにくかった。しかし私以外のAPからの出席者は、ほとんどが欧米で高等教育を受けていて英語力そのもののレベルが高いため、そうした苦労は感じていないようだった。 日本の英語教育や商売のための英会話学校のほとんどが米国人を教師にしているためだと思う。もっと英語教師も多様化することから本当の国際化は始まる気がする。
 以前日系のアメリカ人の男性が、容姿が日本人に似ているせいで、中々英語学校で雇ってもらえないと言っていた。同じような悩みをアジアの人で幼少から英国で育った人からも聞いたことがある。彼等が完ぺきな英語を話し、一流の大学を出て、高い教養を持っているのにもかかわらず、日本では英語教師としては中々職を得られない。一方で教養のある英語などまるで話せないが、金髪碧眼のアメリカ人は簡単に職を得られる。英語学校は商売でやっているのだから、生徒(お客)の希望に沿うような教師を揃えるのだろう。こう考えるとインターナショナルなマインドセットを持つことを阻害する根は一般の人達の思考にあるようで、これを変えるのも難しい問題だ。文科省が英語教師の国籍をもっと多様化するような通達を出して徹底させることも有効だろう。

 
 最後に政治家がインターナショナルになることについて考えてみたい。彼等は選挙で勝って議席を持たなくてはいけないからあまり国際的にはなれない宿命があるようだが、これが本当に正しいかどうかは分からない。よく'源氏、陸軍、民族派’と’平家、海軍、国際派’という比較をする。要するにこの国で大衆の人気と権力を持てるのは前者で、後者は視野も広くかっこ良いが大衆の支持は弱く、実質的な力を持てないということらしい。嘘か本当か知らないが、'馬鹿な陸軍が権力を持ったために、無謀な戦争に乗り出し、引き際も誤った’という説が根強くあるそうだ。今の管首相以下の大臣たちを見ているとまさに前者の典型のようだ。民主党参院のドンと言われる男などは教育界出身なのだろうが、狭い視野で権力の維持だけに関心があるようで、この人にこの国を預けようとする人たち(選んだ人達)の気持ちが分からない。まだ頭が悪い、学歴が低いと馬鹿にされた自民党の議員の方がまともな気がする。
 いずれにしてもサミット等の会合での食事やカクテルの時に英語できちっと話せる政治家がもう少し増えても良いと思う。正式な会議は日本語を使うにしても、インフォーマルな場では英語で正しいコミュニケーションが出来る位の教養は欲しい。以前小泉首相麻生首相が話す英語を聞いたが、留学をしたという触れ込みの日本の総理がこの程度かと思い恥ずかしかった。これはこの国のエリートの育て方の問題になると思うが、日本の大学を出た後で海外の大学院を出て、そこの政治関係の研究所に正式な研究員として勤めるようなコースを作るべきではないだろうか。以前は官僚でこうした道を歩んで政治家になる人もいたがそれもすっかり減っているようだ。
 松下政経塾だけが政治家へのコースではあまりに国家としての戦略がないと感じる。日本の国民の気持ちが分からない人が政治家では困るという意見が根強くあり、それはそれで正しいとは思うが、外国の人の気持ちが分からない人が政治家では困るという時代になっているのである。外国の人の気持ちが分かると言うのは観念的なものではなく、ビジネスマンのところで述べたように同じような考え方や判断基準を持つことである。そのためにはやはり若い内に世界の人と切磋琢磨する機会を持つ必要がある。しかし現実の政治家にそんな人はほとんどいない。脱官僚を標榜しても外交は外務官僚に頼るしか出来ないのだ。

 政治家になる人に今田竜二のような道を歩めといっても難しい。国が金をかけてそうしたルートを作るべきだろう。しっかりした考えを持つ官僚や学者に目を付けるのも方法の一つだろう。この国は嫉妬の社会だといわれるが、誰もが平等な能力を持っているわけではないのだから、国を担うエリートを作る道を作らないとこの国の将来はもっと暗くなると思う。