転換期

 オリンピックでの日本選手の活躍に酔っていたら不愉快な事件が続けて起こった。中でも韓国のイ・ミョンバク(李明博)大統領の言動には驚くより呆れてしまう。反日教育を受けている国民が喜ぶのは仕方ないとしても、韓国国内に何故大統領の言動を戒める議論が起きないのか不思議な気がする。いつもは及び腰の日本の政治家や大新聞も、今回は李大統領に対して強い怒りを表している。尤も彼等は基本的に 国民の顔色をうかがって行動したり、議論したりするのでどこまで信念に基づいているかはよく分からない。

 しかし今回の出来事は日本が外交の在り方をもう一度考える良い機会になるのではないかと思う。中国の覇権主義的行動、北朝鮮の核保有の動き、ロシアの北方領土支配強化に加えた、韓国の感情的ともいえる敵対的行為である。日本の周りは極めて不穏な動きに満ちているのだ。日本が平和を希求し誠実な行動をとっていれば、周辺の国も協力して安定と平和が訪れると考えるのは、何が何でも無責任というものだろう。

 憲法の前文は、世界の国々は基本的に平和を求め、公正と信義に基づいて行動するという前提で書かれているようだが、その前提が現実に即さない単なる希望にすぎないことは明らかだ。従って前文に基づいた憲法が現実にそぐわないのは当然で、現実に起こる国家間の問題に日本が上手く対処できない原因となっていると感じる。

 憲法改正の問題は大変微妙で、だからこそ慎重で冷静な議論がされなくてはならないが、実際は微妙なるがゆえに原則論に終始し身のある結論に至らない。もう一度前文に書かれたことは現実とどのように乖離しているのか、前文を現実的なものに変えた場合、憲法の内容を変更する必要があるのか、変えるとしたらどの部分をどのようにすべきか、その結果日本の外交政策にどんな変化が生じるのか等々国民の前で議論すべきだと思う。


 沖縄の普天間の基地をどうするか、オスプレイの配備を認めるかといった議論が続き、解決の糸口さえ見られないようだが、そうした個別の案件の前提としての日本の国防をどうするか、中国、ロシア、南北朝鮮に囲まれているこの国をどう守るか、そのための憲法はどうあるべきかがきちっと整理されていないのだから、具体的問題での混乱は当然だろう。愚かで無責任だった鳩山、菅の元首相が、現実の国際社会の冷静な分析と把握なしに、国家をどう維持するかという哲学もなしに、思い付きだけで外交を行おうとして事態を悪化させたが、実態は自民党時代からの問題の先送りの結果である。

 その意味では現実を見ずに困難なことを先送りしてきたという点で、財政再建原発問題と根は同じだ。消費税の増税はやっと第一歩を踏み出しているが、歳出の削減は進まないし、エネルギー源の多様化も原発、反原発の論争になって現実的な解決が見えてこない。しかし解決に向けて進むしかないだろう。これに憲法問題が加わるのだ。

 一度に全部は出来ないのだから、一つづつやろうという考え方もあるが、これらは日本と言う国家の下では全て関連している。困難でも同時に取り組み、変えてゆかなくてはならないものだ。どれか手を抜けば、そこにほころびが生じ、それは他の二つに波及してより深刻な状況を招く。国家の基本となる問題がすべて抜き差しならない状況になっているのだ。これに目をつむり、耳に心地よい話だけを聞こうとするのはやめよう。政治家やマスコミはそのことを繰り返し訴えるべきだ。

 これを転換期と言わずして何と呼べるのだろう。今の決断がこの国の将来を変えると思う。衆議院の解散が言われているが、耳障りの良いマニフェストの訴求競争になってはいけないし、私たち選挙民は以上の三点に真正面から取り組み、困難をいとわない、また国民に正当な負担を求める人を選ぶしかない。政党よりも人で選び、選ばれた人が政策を実施するために、あらたに政党を作る形になれば希望が持てるような気がする。