「何か持っている」の何かとは何か;2012年の考察

 2011年1月の当ブログで、斎藤祐樹が言った「何か持っているの何かとは仲間です」という言葉に違和感を感じたと書いた。この何かとは具体的な形を持つものではなく、言葉で表すのが難しい、目に見えないものではないか、少なくともそれが多くの人の理解であり、恐らく斎藤もそのことを分かっているだろうと私は推測したのだ。

 一流の人達は皆何か持っていると感じさせるし、実際そうだと思う。一方、この時点ではまだアマチュアの斎藤は、プロで実績を持っている野球選手達に比較出来る実績レベルにはなく、同じような何かを持っていると言うのはおこがましいと感じたのではないか。だから少しはずして'何かとは仲間'と言ったのではないかと私は思った。

 彼のアマチュアでの実績に対して、それが如何に素晴らしくてもアマチュアの記録にすぎないという自負心から、斎藤は何か持っているから達成できたとは言って欲しくなかったのではないかとも書いた。しかし、これらは何故斎藤が'何かとは仲間だ’と言ったのかについての考察であり、「何かとは何か」について述べたわけではない。騒ぎすぎるマスコミへの不快感から、斎藤が何か持っているかどうか議論するのは、プロになってそれを感じさせた時ではないかと思っていたからである。

 以上が昨年のブログの大まかな内容だ。


 プロ2年目を迎えた2012年、斎藤は日本ハム開幕投手に指名された。大方の野球関係者、プロ野球ファンはこれに疑問を持った。斎藤のプロ1年目の実績も特別に凄いものではなかったし、何よりも今年のオープン戦での投球内容もパッとしなかったからだ。誰もがこれは人気取り、話題つくりの起用で実力を評価したものではないと感じた。恐らく斎藤は開幕戦で打ちこまれて負けるだろうというのが大方の予想だった。そんな予想に反し、斎藤は堂々としたピッチングで完投勝利を上げた。相当なプレッシャーがかかる登板で見事な結果を出したのである。

 その後も安定した投球を見せて、完封勝利も上げ、現時点で3勝1敗、防御率1点台の成績である。まだシーズンは始まったばかりで今後は分からないとはいえ、一流の実力を持っているといわざるを得ないだろう。

 わたしは素人なので良く分からないが、少なくともテレビで見る限り、斎藤がとび抜けた才能を持っているようには思えない。広島の前田や巨人の沢村、楽天の田中などは、調子が良いとこれはチョット打てそうもないなと感じさせるが、斎藤にはそんなところがない。斎藤は良い時も悪い時も同じような感じで投球し、素人に凄味を感じさせるような球は投げず、低めに投げるせいか投球数も多く、見ていてとても退屈なピッチャーだ。しかし打たれないのだ。相手チームの打者のコメントも'打てそうな球は沢山あったが打ち損じた’といったものが多く、私のような素人の印象と変わらない。

 '打てそうで打てない’、’打たれそうで打たれない’どちらも同じことだが、斎藤の持っている何かとはどうもこれのようだ。しかしこれは表面的な解釈にすぎず、本当の疑問は’なぜ、打たれそうで打たれないのか’ということだ。'打たれそうで、打たれる'ピッチャーは沢山いるし、'打たれそうもなくて打たれない'ピッチャーも少数いる。斎藤はそのどちらでもない。

 色々な専門家の意見を聞いていると、斎藤は打者の打ち気をかわす、またはタイミングをずらす才能があるようだ。プロの一流打者なら直球がくると分かっていたら150キロの速球でも簡単に打てるそうだ。だからプロの投手は様々な球種を混ぜて次の球の予測をしにくくする。斎藤はもう一歩先に行っていて、打者が何を待っているかを感じる能力があるような気がする。現在はメッツのピッチャーで、ツインズ時代に2度のサイヤング賞に輝いたヨハン・サンタナは斎藤の投球を見て「打者へのアプローチが素晴らしい」と言ったそうだが、本当なら一流の選手には、斎藤が持っている'何か'の凄さが分かるのかもしれない。

 斎藤が交流戦を含めて、シーズンを通して今の調子を維持できるか興味を持って見てゆきたい。同時に専門家に斎藤が持っている何かについて明確な分析をしてもらいたいと思う。