ペルシャの諺

'Choice’というゴルフ雑誌にアリスター・マッケンジー氏の「ゴルフコース設計論」という付録がついていた。英国人で医者だったそうだが、彼が有名になったのはゴルフコースの設計者としてだった。セントアンドリュース・オールドコースの改修を手掛けた後、米国でサイプレスポイント、オーガスタナショナルなどの名コースを設計した。その人がゴルフ場の設計はどうあるべきかを論じている。

 良いゴルフコースを作るには良い設計家が必要で、そのよい設計家が何度も現地に足を運び、自然を最大限活用したデザインを作り、造成工事も彼が取り仕切るべきだというのが氏の主張だ。マッケンジー氏は中途半端な知識を持った人たちがゴルフコースを改修しようとして、その良さを台無しにした例をいくつも挙げてその人たち(通常は地位も名誉も持った人たち)を批判している。

 彼はこう書いている。「生半可な知識は特にリンクスの設計については危険なものです。歴史のあるシーサイドコースのコース委員会を相手にする時に最も厄介なことは、そのコースの世界的な名声のために委員は自分達のことをゴルフコースの有能な審判者だと信じ込んでいることです。彼等は、改善案についてのレポートと図面を出すように設計者に申し付け、それを見てそのデザイナーのアイデアを把握したと思い、次にはそれをむちゃくちゃにしてしまいます。私は、シーサイドコースで、まともに改修されたものは一つもないと思っています」

 大変辛辣なコメントだが彼のゴルフコースに対する思いと、十分な知識なしに改修することへの怒りが示されている。氏はその思いを以下のようなペルシャの諺を引用してあらわしている。

無知であるのに、無知であることを知らないものは馬鹿だ。
 彼を相手にするな。
無知ではあるが、無知であることを知っている者は学ぶだろう。
 彼を教育しろ。
無知ではないのに、無知でないことを知らないものは失敗するだろう。
 彼を哀れめ。
無知ではなく、無知ではないことを知っている者は賢い人だ。
 彼に従え。

 中々興味深い諺なので紹介したが、上述した有名コースの委員たちは、無知なのに無知であることをしらない人に入るのだろう。彼等は社会的には高い地位にいる人だろうから、一般的に言って教養なり知性があると考えられる。そういう人達を無知と言うのは少し違和感があるが、ゴルフコースの設計については無知だと解釈すべきなのだと思う。マッケンジー氏が言いたかったのは、我々が言う「餅屋は餅屋」とか「素人が余計な口を出すな」という感じだったのだろう。

 しかしこの諺を良く考えると、自分のことがわかっていない人達はどうしようもないが、自分のことが分かっている人達は救われるというか、役に立つということを言っている。マーケティングの80対20の法則ではないが、氏の基準で言えば、世の中の大半は無知と言うことになるから、我々は無知を自覚して謙虚であらねばならないということになる。あまりに当たり前だが、あまりに的をついていて頷くしかない。