団塊世代をどう捉えるか?(2)

 文藝春秋4月号の特集「第二の敗戦 団塊こそ戦犯だ」における橋本五郎と川端寛の記事を前回の当ブログで批判したが、今回はこの二つの記事に続いて掲載されている三浦展藤吉雅春の小論に触れて、団塊世代をどう捉えるべきか考えてみたい。三浦氏と藤吉氏の記事に共通しているのは団塊の世代が他の世代と比較して劣っていることを論じるのではなく(橋本、川端はそれを論じているがまったく説得力がなく何も証明していない)、団塊が老いていく中で、または去ってゆく中で日本が直面する事態の深刻さを認識し、それにどう対処すべきかを論じていることだ。これは団塊の世代を自分のやり方で歴史的に社会的に定義しているから生まれる問題意識だと言えよう。その意味でまともな世代論になっているとも言えるし、そうだからこそ単純に団塊の世代を非難したりはしないのだ。

 例えば三浦氏の「団塊よ、下流社会を救え」という提言は次の質問で始まっている。「今から十五年後、二〇二九年の日本の‘人口ピラミッド’において、日本人女性で最も人口の多い年齢は何歳でしょうか。答えは‘八十歳’です。略。‘団塊の世代’のピークの女性たちです」

 そして四十年後の二〇五四年に男女とも一番多いのは八十一歳で、これは団塊ジュニアだと続け、団塊ジュニアを待っているのは団塊世代以上の厳しい高齢化社会だと言っている。三浦氏はこう書く。
「これから団塊ジュニアが迎える‘本当の危機’を乗り切るためには、まさに今、日本は新しい社会モデルを作り上げなくてはなりません。そして、その成否は‘団塊の世代’にかかっているのです」

 そして氏はまず団塊の世代の特徴を論じている。わたしはそこに展開された三浦氏の論旨や定義にすべて賛同するものではないが、議論の進め方としてまっとうだと感じる。特に前記の二氏のずさんな議論を読んだあとにはそう感じてしまう。
 三浦氏にによると団塊の世代とは1947年から1949年までに生まれた八百六万人を指すそうだ。三年間平均で約二百七十万人が生まれたことになるが、これは最近の出生数の百五万に比べると2.5倍だ。これを1951年まで広げて広義の団塊世代を見ると、現在でも約一千万人の人口がいるという。

 要するにこれだけの大量人口世代は大マーケットになり、そこを狙ってさまざまな商品が生まれ産業が生まれた。これが団塊の世代がもたらした最大の影響である。それまでにはない雑誌、ファッション、音楽、恋愛、結婚、出産、教育等が生まれたのである。こうしたマーケットを狙って商売をしたのは団塊より上の世代の昭和ヒトケタか十年代生まれで、その上の経営層にいたのは大正世代である。彼らにとっては団塊の世代は格好の利益源だったわけで、団塊の世代は上の世代のビジネスに乗せられたとも言ってよいだろう。もっとも団塊自らが作り出した文化もあるから、その意味では団塊は単なるターゲットに過ぎないとは言えないのも事実だ。

 団塊ジュニア団塊の世代が育てたように、団塊は大正世代が育て、昭和ヒトケタや十年代生まれが商売に利用してきた。団塊の考え方や行動はこうした前の世代によって形作られたと言って差し支えないはずだ。団塊の親である大正世代は1910年代から20年代生まれで、今生きていれば90歳から100歳というところだろう。明治の封建的な社会がだんだんと自由になり、比較的恵まれた子供時代を過ごしたのだろう。その後昭和の金融恐慌を経て日中戦争、太平洋戦争に入ってゆく時代に青年期から大人になっていった。戦争で死んだ数も非常に多い世代である。敗戦によって価値観が覆され、それまでに天皇賛美、鬼畜米英を唱えていた大人たち、軍首脳部や教育者、マスコミが一晩にして主張を変えるのを見てきた。また東京をはじめとする大都市は完全に破壊され、丸裸の状態となった。こうした世代が戦後の復興を担う中で団塊の世代は生まれ育てられたのである。

 こうした大正世代が自分たちの子供に願ったのは、平和で民主的な社会を作ること、豊かな生活を実現することだった。実際そうした教育がなされ、より高い学歴を求め、欧米をモデルにして豊かさを追求した。三浦氏は団塊の特徴として‘アメリカ信仰’と‘マイホーム主義’をあげているが、こうした背景を考えると当然のことだったと言える。彼らはそうなるように育てられたのでそのことで彼らを非難するのは意味があるとは言えない。また団塊をそのように育てたことで大正世代を批判するのも賢明ではない。どの世代も歴史の流れの中で生きてるのだから、考え方や行動はその時の社会や制度に影響を受けざるを得ない。問題は自分たちの始末をどうつけて、次の世代に何を渡すかだろう。明治生まれの権力者たちは日本を焦土にして後に引き渡したが、間違ってもこんなことをしてはいけない。

 団塊の世代は国力の増強を願っても武力でそれを成し遂げようとはしない。日本の若者を意味なく死なせることなど望まない。一方でほとんどは第一線を離れ責任ある立場からは離れている。しかし大量人口世代であることは変わらないし、知識も経験も健康ある人も多いので、かなりの社会的、政治的影響力がある。その影響力をうまく使うためにも、若い世代や国の施策に頼るのではなく、可能な限り働き続けることが大切だろう。年金開始年齢の引き上げや年金資産の減少は由々しい問題で、こうなったことの責任はしっかり追求すべきだし、年金資産を堅実に保全するための対策をとらなくてはいけない。しかし同時に健康で機会があれば、働き続けることが当然だとの考えを持つ必要がある。それが自分たちの始末を自分たちで付ける、後の世代の参考になる生き方を作ることにつながるのだと思う。三浦氏が‘新しい社会モデル’を作ろうと言うのはまさにそれだろう。

 三浦氏は小論の中で七十過ぎまで働くことを勧めるとともに、「あえて子供に美田を残せ」と言っている。資産があるなら子供や孫の世代に対して投資となるような消費をしろと提案している。子供と同居するなら孫の時代まで使える家を建てるとか、孫のために教育資金を残すとかである。また団塊以前と比較すると非婚や離婚、配偶者の死去で単身の老人が増えるから、それが一つの大マーケットになるとともに、その構成員である団塊の世代がつながりを持って助け合って生きる仕組みを作ることを提唱している。大変示唆に富む提案だし、何かあまり暗くならないのがとてもいい。年とるのも悪くないさ、自分たちのことは出来るだけ自分たちの世代で解決しようと思うと元気が出てくる気分だ。

 こう考えてくると文藝春秋の「第二の敗戦 団塊こそ戦犯だ」というタイトルはセンセーショルなだけでまるで実態を反映していない気がしてくる。しかしよくよく考えてみるとこのタイトルは、メインの読者である団塊の世代を狙ってあえてセンセーショナルなものにしたのかもしれない。上述したように団塊の世代は今でもマスマーケットであり、特に出版の分野ではよく本を読む最後の世代なのだろう。そこに売り込むためには団塊を非難するようなタイトルが効果的だし、中身は少しピンボケの記事を最初に二本載せるなどして読者の強い反発を避けながら、雑誌を売り込むという高等戦略なのかもしれない。団塊はまだまだ狙われている。注意すべきは振り込め詐欺だけではない。