所属しない人たち

 人はどこかに所属していることで自らを確認するところがある。社会的に認知され、ある一定の規模を持つ組織に属していることは、自分の存在が社会的に認知されていることにつながり、そのことで人は安心感や自己肯定感を持つことが出来る。一方で組織に属さない人たちもいる。自由業とか自営業者という人たちだが、これには医師、弁護士等から様々な分野の職人までいる。店舗経営や農業、漁業の従事者もこれにはいるだろう。これらの人たちはそれぞれ専門のスキルを持ち、それで生計を立てるとともに、そのスキルで社会的に認知されている。こうした人たちは組織に属することで自らを確認できる人たち(いわゆるサラリーマンというか勤め人)とは違う。もちろん後者の人たちにも組織で働く人はいて、こうした人は組織人であるとともに専門職ともいえるので、単純に二つのグループに分けることは出来ないが、大まかに言って上述した分け方が出来ると思う。

 世の中の大半は勤め人だから、こうした人たちを念頭に所属について書いてみたい。もっとも勤め人と言っても様々で、中にはビジネス分野での専門的な知識を持ったり、語学等のスキルを有する人や高い学歴のある人たちがいる。こうした人たちは通常社会的な評価の高い組織に所属し、その結果高い社会的地位や収入を得ていることが多い。そうした違いはあるものの勤め人全員に共通するのは所属先に貢献し、その見返りとして報酬を得ていることだ。そしてこれらの人たちは毎日通う場所があり、そこで仕事をする。会社が用意した机があり、知り合いがいて、慣れた環境で仕事が出来る、当たり前のようだがこれは中々凄いことなのだ。だから普通の人は所属する組織に愛着を感じるし、その組織の構成員として見られることで社会から認知されることを受け入れる。そしてその組織の良き構成員であろうとして責任ある行動や発言をするようになる。そうすることで組織内での信頼や評価を得るからだ。

 最近は在宅勤務等が広がりつつあるようで、勤め人に必ずしも通う場所があり机が用意されているわけではないのだが、それでも組織に所属することのメンタリティは変わらない。ある組織に属することで共に働く仲間や上司を持ち、責任ある行動をとり、誠実に仕事に向かう気持ちが維持される。もっとも合併や吸収などで所属している企業がなくなるケースも増えていて、その場合愛着を感じていた勤め先がなくなることで喪失感を感じたり、違う組織が出来ることへの不安も生じる。しかし新しい組織への所属が確保されればとりあえずの問題はなくなるのが普通だ。所属先があることが重要なので、元の組織への愛着がそれに勝るものではない。

 しかし定年などで組織から離れた者、いわゆる退職者は所属先がなくなる。自由人となり所属先がない状況は気楽なものだが、一方でさみしさや疎外感を感じる人も多い。こうした状況では、元xx会社勤務とかそこでの役職とかはそれなりに自分のプライドを支える要素になる。長く勤めた会社には愛着や思い出があるのが当然で、それが退職者の心のある種の支えになるだろうことは理解できる。人はだれでもプライドと自己肯定感で支えられているからだ。しかし元どこの会社にいたとか役職は何だったかなどは自ら語るものではないし、それにこだわる人はあまり好感を持たれない。嫌われない退職者になるには出来るだけ早く元いた会社の色を消すことが重要で、このことと先にあげたプライドとどうバランスをとるかは微妙な問題だ。わたしなどは今が一番重要と割り切っているので自由人として楽しく生きて、昔のことは心の隅に置いておいて時々自分だけが思い出せばいいと思う。

 今は所属する組織を持たない退職者にもビジネス環境の変化の影響はある。先にあげた合併や吸収で自分がいた会社がなくなってしまうことがある。現役の人たちは新しい組織に所属することでこれに対処するのだが退職者はそれが出来ない。自分のプライドの一部を支えてくれている存在がなくなってしまうわけでさみしさや落胆は強くなる。わたしの場合はエクソンモービルが日本から撤退したことで元いた会社、エッソ石油やエクソンモービル日本法人はすっかりなくなってしまった。東燃ゼネラルという会社が資産や社員を引き継いだがそこにはほとんど愛着はないし、今年になってその会社がJXホールディングに吸収されるとなるともう全く関係がないという気分だ。一方でこのくらい離れるとかえってすっきりして所属のない自由人としてノビノビする気持ちになる。もっともどこの組織にも属さないと言っても家庭があり家族があるとまるで自由というわけではない。家族に迷惑をかけないようにしようという意識は働くからだ。銀行、商社、メーカーでも合併や吸収、倒産などで長く勤めた会社がなくなったという退職者は多いと思う。そういう人たちもわたしと同じように感じているのだろうか、それとももっと強いさみしさや喪失感を持っているのだろうか。

 団塊の世代が70歳になろうという今、元いた組織がなくなる退職者は増えていると思う。東芝およびその関連会社で長く働いた人たちは物凄く沢山いる。三菱自動車も日産に吸収されてしまった(まだ会社は存続しているが風前の灯火だ)。同じようなケースは他にもまだまだ出てくるだろう。こうした企業で働いた人たちが家庭に居場所を持たなかったり、家族との絆がなかったりしたらまるで所属する場所がなくなってしまうのだろうか。コミュニティやボランティアなどで何らかの役割をしていたりすればよいのだが、そうでないと彼らは孤立した老人になる。そしてこれからそうした人が増えていくことで社会はどんな影響を受けるのだろうか。彼らが簡単に組織化されるとは思わないが、選挙権を持つ市民であるから政党への支持がまとまるだけでも何らかの社会的インパクトはあるはずだ。村上龍が「オールド・テロリスト」という興味深い小説を書いたが、そんな老人たちが出現するのだろうか。