落し前のつけ方

 落し前のつけ方が悪くて信用を失っている人達がいる。最近話題になっているのは、板東英二みのもんた猪瀬直樹だ。この三人の問題とその後の言動を見ていると共通点が見られる。一つは三人とも一般大衆が寄せていた期待や信頼を裏切ったということ、そしてその重大さにあまり気づいていないことである。その上問題が明るみに出たあとの対応や言動が自分の地位や仕事にこだわり、しがみつくことを第一に考えてのものだということだ。彼らを支えてきた大衆への配慮が極めて乏しいのである。要するに彼らは大衆の信頼を裏切ったことに対してキチッと落し前をつけていない。だからこれほど叩かれ批判されるのだ。

 板東英二は長い間国税庁の確定申告キャラクターを演じてきたが、本人が七年間で7,500万円の所得隠しを行ったと報道された。善良そうな笑顔を振りまきながら確定申告する姿をPRで見せながら、本人は脱税行為をしていたのだから申し開きの余地がない。本人は何の説明もせずに隠れ、出演していた番組からは下ろされた。10ヶ月後に会見を行なったが、所得隠しを事務所のスタッフのせいにし、どんぶり勘定だったからだと言い訳する姿からは、反省は感じられなかった。本人は10ヶ月間テレビから姿を消したことで落し前をつけたと思っているようだが、誰も許しておらず、彼には信頼を裏切られた大衆の怒りが分かっていないのだ。

 みのもんたは息子の不祥事でキャスターもどきをしている番組を降りることになった。彼は三十を過ぎた息子の不祥事でなぜ親が責任を取らなくてはならないのか、これは不当なバッシングだと主張している。しかし息子の行為を見るとこれがお粗末だ。酒に酔って寝ている男から財布を取り、その男のキャッシュカードで現金を引き出そうとしたのだ。テレビ局に勤める息子はその酔っぱらいより高給取りだろうし、親は大金持ちだ。なぜ財布を取るのだ。普通ならこんなところで寝てたら危ないよと注意するところだ。世間はこの行為を聞いて驚き呆れたのだ。

 なぜなら小学生のような犯罪であまりに幼稚な行為だったからだ。みのもんたはテレビでは偉そうなことを言いまくっているが、子供に小学生程度のしつけや常識も教えていないのが明らかになってしまった。息子の犯罪が事業をやった時の金銭トラブルというなら、世間は馬鹿だなあと思いながらも分かった気になるし、みのが息子の不祥事は別と言ったとき少しは理解したかもしれない。それは大人の犯罪だからだ。しかし子供以下の犯罪を大の大人がしていれば親は非難されても仕方ない。その辺をみのもんたは分からず(もしかしたら分かっているのかもしれないが)、早い番組復帰を要求している。大衆の感情を理解していない。


 猪瀬直樹はもう語るに落ちたという感じだ。官僚や政財界の不正を追求するジャーナリストとして都知事選でも大量の得票をしたが、知事になってわかったのは旧来の政治家の悪いところをしっかり受け継いだ男だということだ。都知事の椅子にしがみつきたいばかりに、明らかな嘘を次から次へと言って墓穴を掘っている。こうなると彼のジャーナリスト時代の権力に対する厳しい姿勢は正義を求める熱意によるのではなく、世襲をして議員となった政治家や一流大学を出てエリート官僚になった人たちへのひがみと反発によるものに過ぎないと思わざるを得ない。(猪瀬は信州大学出身で学生時代は学生運動で名を馳せたという)要するに権力へのあこがれの裏返しだったのだろう。だから自分が権力を持つと傲慢になりそれにしがみつこうとするのだ。彼に投票した人たちの落胆は大きいし、彼にいいように罵倒された人たちの反撃は厳しいだろう。嘘としか思えない借用書を出してみたり、政治資金規制法に触れないように筋の通らない説明を続けてこの難局を乗り切ろうとしているようだが、ことはそう簡単ではない。彼を信用した人たちへの明確な説明をしていないからだ。落し前をつけていないのである。

 上記の三人ともに状況はきわめて厳しい。失った大衆の信頼を取り戻すのはほとんど無理だからである。しかし可能性が全くないとは言えないと思う。日本の社会は反省して全てを捨て出直す人には意外と暖かいところがあるからだ。何をすればいいかというと、きっちり落し前をつければいいのである。それは正直に事実を語ることだ。板東英二猪瀬直樹はまったくこれしかないし、息子の不祥事を嘆くみのもんたも、愚かな息子の行為には親として責任があると認めることだ。そしてすべての役職から身を引くのである。猪瀬直樹は罪に問われるかもしれないがそれも受け入れることだ。自分でしたことの後始末なのだから。それで初めて自体は鎮静化に向かうだろう。今のような言動を続ける限り、彼らが信頼を取り戻せることはない。

 そして黙々と新しい人生を歩むのだ。決して復帰を望んだりしてはいけない。そうしている内に、もしかしたら新しい風が吹き彼らを再び求める声が上がるかもしれない。もともと才能ある人たちだからだ。もう年だから、いつ吹くかわからない風なんか待ってられないという気持ちもあるかもしれないが、そんなことを言う資格はないのだ。落し前をきちっとつけるというのは、そこまでやることだ。以前このブログでも書いたが「落とし前に時効はない」のである。