同族経営(ファミリー企業)の是非

 大王製紙の前会長が100億円を超える金を会社から無断で引き出し、ギャンブルに使ったとして背任横領で逮捕された。100億以上もカジノで負けたというのもものすごい話だが、株や外貨取引での損失を取り戻そうとして深みにはまったという説明にもあきれる。
 
 私も株をやるので良く分かるが、あれは体のいいギャンブルで儲かるものではないというのが実感だ。経済状況が良い時にやれば、大抵儲かるし、経済が落ち目の時にやると大抵損をする。どちらの状況でも儲けるのがいるが、それはゲームを作っている連中で、ぺてんの中心人物である。大半の投資家はそういう連中のカモになっているのだ。証券会社なども、まともな会社を装っているがこういう連中と同じで、客を騙して儲けているだけだ。だから大企業などの大口顧客には損失補てんなどをしていた。補てんのコストはどうしているかと言うと、一般投資家から集めているわけで、自分の懐など痛めてはいない。一流と言われる証券会社の社員に会ってみると良く分かるが、どうにも人間としての程度が悪い人物が大半だ。

 大王製紙の御曹司に話を戻すと、博打に近い取引で負けた金を博打で取り返そうというのだから正気とは思えない。カジノで儲けたなどと言う話は、株で儲けた話より少ない。奇跡的に勝って儲かる事はあるが、そこでやめてそれ以降一切カジノには立ち入らないとすれば、儲けたということになる。

 ゴールドコーストのカジノで私の後ろでスロットマシンをやっていた太ったおばちゃんが、5万何千ドルを出したのを見たことがある。カジノのマネージャーが小切手と記念品を持って現れ、おばちゃんは旦那とキスをして喜んでいたが、あれは中々良い光景だった。しかしおばちゃんの儲けは我々が出しているのを忘れてはいけない。5ドルチップをルーレットで賭けるくらいなら負けてもたかが知れているが、VIPルームで何百万円も賭ける輩は、カジノにとっては良いカモなので最後には必ず負けることになる。

 この件で大王製紙コーポレートガバナンスが問題とされているが、祖父、父親が苦労して発展させ上場会社にまでした会社で、創業者一族に楯突くなど出来るはずがない。偉そうに大王製紙を批判している読売の新聞記者は、創業者でもない渡辺会長を批判すら出来ないではないか。(私は別に清武氏を応援しているわけではないし、清武氏は彼なりの打算でやったようにも見えるが、渡辺氏に楯突いたという行為は、腰ぬけの記者達と比べると評価しても良いのではないかと思う)

 これはどんな企業でも、創業家が大株主でいるなら同じ状況だ。会社で生きてゆくしかない大多数の社員は、本音はどうであれ創業家を尊重することで、職を維持し、将来を描くのだ。それが嫌なら同族会社には入らないことだが、他に適当な就職先がない場合は、絶対的権力に服従するのもやむを得ないと思う。マスコミの連中は自分が権力にからきし弱いのを棚に上げて、こういう状況になると一斉に同族企業のマネジメントを批判するが、もう少し冷静に自分を振り返ってみたらよい。大王製紙の問題は東京大学を出た秀才の跡継ぎが、実は根本的なところでおろか者だったということにある。お粗末なマネジメントは、同族企業のみならずオリンパスでも新聞社でも見られる現象だ。

 わたし自身は同族会社が好きではないので、そこで働きたいとは思わないが、会社は元をたどれば誰かが始めたわけで、成長過程では多くの会社が同族会社のようなものだ。成長するにつれ会社が株を公開したりすると、個人(ファミリー)のものから社会的存在へと移行し、多くの企業はここで同族的経営から脱する。しかしそうした企業でも創業家の存在は重要で、トヨタパナソニックのような世界的大企業でも、折に触れて大政奉還などが議論されることがある。

 同族経営でも上手くやっている企業は沢山あるし、コーポレートガバナンスの問題なども、しっかりした同族会社の方が問題が起こらないなどという議論もあったくらいだ。しかし2世なり3世の経営者の失敗が続くと、子供が一流の学歴を持っているからと言って、単純に経営者にするのは問題だということにはなる。彼等は親や祖父が今の地位を築くまでにした熾烈な苦労をしないで、簡単に後継者となるわけだから、大きな組織を引っ張る人間としての器のようなものがあるかどうか分からない。そうした器は持って生まれたというだけでなく、先代たちが経験したような熾烈な苦労や努力の過程で身につくのだろう。また大企業を維持、発展させてゆくのは楽勝でも何でもなく、小さな会社を大企業にするのに要した努力、先見性、幸運などを同様に必要とする。そうした苦労が出来ない、またはその必要性が理解できない後継者は上手くいかないだろう。それが理解されていれば同族経営は強みを発揮するような気がする。トヨタサントリーはその好例かもしれない。

 親がした苦労を知らず贅沢に育った子供たちが親のようにいかないのは誰でも分かる。ソニーの盛田氏の息子も'アライ マウンテン&スパ'なる高級スキーリゾートを開発したが潰したし、本田宗一郎氏の息子も'無限’なる会社を作りカーレースに乗り出したが、結局上手くいかなかった。しかしこうした親たちが正解だったのは、本業を継がせず、自分で起業させたことだ。もちろん失敗により多額の負債は背負ったろうが、本業への直接的被害は少なかったろう。自分で始めた企業が大成功すれば、先代たちが築いた企業の幹部に迎えられても異論はないと思う。大王製紙の事件はこんなことを考えさせてくれる契機になった。