’何か持っている’の何かとは何か?

 「斎藤は何か持っている、と言われ続けてきましたが、今日何を持ってるかが分かりました。それは仲間です。」これは斎藤祐樹が早稲田の4年生の時、明治神宮大会で優勝した後で発したコメントである。素晴らしい仲間に恵まれたからここまで頑張れた、この斎藤のコメントは彼への好感度を一気に上げ、流行語にもなった。わたしはこの発言を聞き何か違うなと感じつつ、テレビのレポーター達が彼に対して無条件に好意を示すのを見て、またファンが一層増えるのを見て、斎藤は相当に賢くしたたかな男だと思った。

 わたしが感じた違和感は斎藤が'何か持ってる'の何かを仲間と言い切ったことにある。斎藤に対してそう言ってきた人たちも、また言われてきた斎藤本人も、人々が言っている何かとは具体的な形を持つものではなく、言葉で表現するのが難しいような目に見えないものだと考えていたはずだ。第一級の才能と技術を持った人達が重大な局面で、人々が期待しながらもあり得ないと考えるようなパフォーマンスをやって見せる場合などで私たちは彼/彼女は何か持っていると言う。それはそんな重大な局面に巡り合わせる偶然と、プレッシャーに屈せずに神がかりのようなプレーを行う能力の2つの組み合わせに、何か人智を超えたものを感じるのだと思う。


 スーパースターと言われる人達はみんなこうした凄さを見せて伝説を作る。長嶋や王がそうだったし、ゴルフでいえばタイガーウッズであり、石川遼もそんな何かを感じさせるものを持っている。スポーツだけではなくどんな分野でも一流の上の超一流になるような人やカリスマと言われる人は皆何かを持っていると思う。

 もっとも天才的な才能を持った人達だけが何かを持っているわけではないだろう。世の中には宝くじの1等や2等に何度も当たる人がいるし、大事故に2度も3度も遭遇しても生きながらえる人もいる。一般的には運が良いとして片付けられるのだろうが、こうした人達も一流の人達とは異なるが、何かを持っていると言えるのかもしれない。

 斎藤に話を戻すと何故彼は何かを仲間だと言ったのだろうかと言う疑問が生じる。そしてマスコミやファン達はそんな斎藤の説明を何故素直に受け入れて疑問を持たないのだろうか。上述したように一般大衆も斎藤本人も、何かとは形あるものではないという認識を持っていたはずだからである。マスコミとそれに影響される人達は、斎藤の'仲間'という予想外の答えに新鮮さを感じ、特にマスコミはこれは話題になると感じて無条件に受け入れたのだと思う。彼等の判断基準はニュース性があるか否かだから、受けると思ったら’本当はそうじゃないだろう'といった批判精神はなくしてしまうのだ。かくして斎藤にとって何かとは仲間だということが事実となったのである。

 では何故斎藤はこんなことを言ったのだろう。これは難しい。本人に聞くしかないのだが本人も明確に理由が分かっているかどうか分からない。事実として斎藤がそう発言し、マスコミと世間はそれを受け入れ、好意的に取り扱ったのである。だからいいじゃないかでは面白くもなんともないので、その理由を勝手に想像してみよう。

 一つは単なる受け狙いである。何か持ってるの何かは言葉では中々表せないから何かなのである。運の強さと言えるかもしれないが、そう言ってしまうと宝くじに当たるのと同じような意味になる。一流の人達が持っているのは色々な要因が絡み合った、もう少し複雑な何かだろう。何かが上手く言えないなら、身の回りの分かりやすいものにしてしまおうといった気持があったのではないか。仲間なら斎藤に限らず多くの人が持っているものだ。それを'何か持っている’と言われる斎藤祐樹の何かだと言えば、みんなはずされたと思っても好意的に受け取るだろうという読みだ。実際事態はその通りに動いて行った。

 しかし本質的な疑問は残ったままだ。説明するのが難しい事柄なのは分かるが、何故何かを何かとして捉えず、受け狙いのような答えでこの問題を決着しようとしたのかという疑問である。

 斎藤は明らかにエリートである。人もうらやむ経歴とさわやかな容姿でアマチュアとは言えスター街道を走っている人間である。それだけで何か持っているどころか十分なものを天から授かっているといえる。しかし多くの専門家は今の実力ではプロでは通用しないのではないかとの厳しい評価をしている。実際彼を甲子園活躍した投手たちの中で、ダルビッシュ田中将大松坂大輔、古くは江川卓などの超一流の選手と比べると一段下なのではという感じがする。恐らく斎藤本人がそのことを一番良く分かっているのではないか。そしそうなら、斎藤の輝かしい戦歴は能力を超えたものかもしれず、あの才能でそんなに素晴らしい結果を達成出来たのは'何か持っている'からだと言われたと感じていたのかもしれない。

 斎藤はそんな見方をされるのが嫌だったのではないか。自分は才能と努力でここまでやってきたのだ。それ以外の何かに助けられたわけではない。(もしあればそれは仲間だ) いくら輝かしいとは言っても、アマチュアの戦歴などはスーパースターたちが見せるパフォーマンスやぎりぎりの状況での神業的なプレー(それこそ何かあると感じさせる)に比べたら小さなものだ。アマチュアで頂点を極めたからといって'何か持っている'などと言って欲しくない、そんな気持ちがあの発言の裏にあると言ったら言い過ぎだろうか。

 斎藤はプロとしてよりレベルの高い所での戦いに挑む。何かに頼るのではなく才能と努力で一流のプロになってやろうという気概があるのだと思う。仲間発言でより多くのファンの心をつかんだ斎藤には、他の一流選手を凌ぐ頭の良さがあると感じる。彼はそんな自分の長所をしっかり理解してそれを生かす野球をするのではないか。斎藤が何かに頼らず自分の特性を生かしてプロの世界で生きてゆくのを見てゆきたいと思う。斎藤がプロでも成功する時、彼にも厳しい場面で重要な役割がめぐってくることがあるだろう。斎藤が本当に何か持っているかはその時に分かるはずだ。